第10話
そっぽを向いたために、馨の表情を理玖が見ることは出来ない。声色も平坦で、どこか淡々としている。知らない人が彼女を見れば、なんて冷たい人なのだろうかと口をそろえて告げるのではないだろうかというほどに馨の態度はお世辞にもいいとは言い難い。
対する理玖は、表情や声色には一切出すことはしていないが内心では少しだけ焦っていた。馨の言葉に何も言い返すことが出来ないで居たのだ。その証拠に、言葉を返しているがそれらは全て質問に対する回答ではない。馨もそれが分かっているのか、特にそれについていうこともしない。
「監視官を守る異能官も中にはいるようですが、私はそんなことをするつもりはありませんよ。不要と私が判断すれば、すぐさま切り捨てます。それが例え、監視官であろうともどれだけ立場が上の人間であってもね」
「甘羽さんなら、やりかねないですね。では僕は、切り捨てるに値しないという有用性をあなたに示す必要があるようですね」
「そのための実地試験でもあるんですけどね」
馨自身は、実地試験と何度も言っているが実際にそのような試験は異能取締課に存在していない。ただ、相棒として今後は共に働くことになるので相性というものはどうしても必要となってくる。普通の相棒であれば、仕事であるからと区切りをつけるものであるが、馨たち異能官は違う。
相棒になる監視官は、いわば自身の命の手綱を握るものだ。信頼も信用も出来ない者に自身の命を預けようと思えるほどお人よしでもないのだ。だからこそ、東京本部異能課には実地試験という非公式な試験が設けられている。内容も、異能官により異なり判断基準も勿論異なる。
大事なのは、異能官がこの監視官であれば背中を、命を預けても良いと思えるか。
少し重たい空気が二人を纏いながらも、ブラックボックスの設置が完了する。理玖は手に持っていた小型スイッチを使用して起動が出来るかを確認していた。
「……うーん、僕にはわかりませんが。起動できている、と考えても問題はないのでしょうかね」
「大丈夫ですよ。……作動している音が聞こえますから。これで、ブラックボックスに未登録の異能力を持つ者はここに立ち入ることは出来ない。ひとまずは、拠点を確保したということですね」
馨は耳に手を添えてから、少しだけ煩わしそうに表情を歪めてから店の中へと戻っていく。理玖はそんな馨の後ろにおり、続いて店へと入っていく。ふと何かを思ったのか、彼は前を悠々と歩いている馨に向かって窘めるように言葉を発する。
「そういえば、甘羽さん。何をしようとも甘羽さんの自由ですが、その責任が少しでも僕に降りかかってくる可能性を忘れないでくださいね」
「それは……」
ピタリと足を止めては、ゆっくりと振り返る。
刹那、何故か自身の命の危険を感じて理玖は背筋にゾワリと駆け巡る今までの感じたことのない悪寒にゾッとする。目の前に居るものが、自分とは違う世界に居る人間の顔をした異能力者であるということを突きつける冷たい視線。
雰囲気でさえも、とげとげしく。まるで、粉雪が舞う中で必死にできもしない息をしようと灰で満たされていくかのような息苦しさを味わいながら。
「誰の言葉なんですかね」
ひゅ、と喉から音が出る。
恐怖で、息が詰まる感覚を覚える。理玖は自身の心臓に手を当てて、生きているということを確認してしまった。それは無意識に行った咄嗟の行動。そうでもしなければ、今、本当に。
――殺されるかと、思った。
感じたのは、本能的な恐怖。
この人にだけは、絶対に逆らってはいけないのだという圧倒敵的な強者へのイフ。そして、この人の機嫌を損ねるということは自身の死へと直結するということを身に持って感じてしまったのだろう。
「言い忘れていましたけど。……上っ面だけの言葉に従うほど、私は優しくありません。権力にものを言わそうとしても無駄。最悪、上の連中なんて皆殺しにしてしまえば良いだけのこと。最初からなかったことにするには、殺してしまえば良い。ただ、それだけのことですので」
殺しをするのは久々なので、ちょっと手加減は出来ないかもしれないですが。
まるで、日常的にそれらを行っていたのではないかと平然と告げられる理玖にとっての非日常。それに対して彼は、余計に目の前にいる馨が分からなくなる。先ほどまで何処か冗談を言ってはつかみどころのない猫のような彼女はそこには居ない。
理玖にとって、異能官や監視官という存在はテレビの世界であり自分とは生きる世界が違うと思っていたのだ。
心の、どこかで。否。
自分が当事者でもあるのにも関わらず、何故か他人事のように今も過ごしている。
「何も覚悟も、目的も意味だってないままにやっていけるほど。この世界は、優しくないですよ」
彼女が言う「この世界」が何を指しているのかは理玖には分からない。
そのままクルリと前を向いて、足早にその場から立ち去っていく馨。おそらく部屋に戻るのだろう。逐一、行うことを報告してこないのはまだ彼女が理玖のことを命を預けるに足りえる相棒であると認めていないからか、単に面倒くさいだけなのか。
彼女から先ほどの言葉を聞くまでの理玖であれば、面倒くさがり屋なのだろうという一言で済ませていたかもしれないが、彼女がまだ認めていないからなのだろうなという考えが頭によぎる。
「覚悟も何も、……どうしろって、いうんですかね」
うつむいて呟かれた言葉は、誰かに届くこともなく静かに空気に溶けては消えていく。まるで、最初からその言葉はなかったかのように静寂に飲み込まれては消えて行ってしまう。
何処か悔しそうにつぶやかれた言葉に、握りしめられた手。強く握りしめ過ぎたのか、僅かに爪痕から血がうっすらと滲んでいる。
――甘羽さんの、言う通りだ。
「とにかく、今は。明日からの方針を、考えないと。……僕の意見を、甘羽さんが聞いてくれるかなぁ」
先ほどまでの馨の様子から、どのような提案をしても真面目に取り合ってくれるのかが分からずに今から不安を覚えてしまう理玖。彼は、そのまま伸びをしてからロビーにあった壁時計で時間を確認してから部屋まで戻っていく。
今、自身が行うべきことは。
これからの方針を決めることは勿論であるが、その前に。何をしたいのか、ということを合わせて考えて行こうと思ったのだろう。
「……そう、だよな。自分のことを知らない人とペアになれって言われても困るよな。僕が甘羽さんの立場でも、同じことを思うだろうし、きっと、いう」
それに何より、理玖自身が馨のことをある程度理解していなければ出せる指示も狭まってしまうだろう。彼女が出来ないことを指示して、仕事に影響を出すことは少しでも避けるべきだ。効率よく、仕事を進めるためにも現状とそして、何より馨のことを少しでも知る必要があると考えたのだろう。
自身が、命を預ける必要があるならば。
何も知ろうとしない、無責任な人物に命を預けるなんて御免だ。
何も理解していない、分かっていない理玖でも。それだけは漠然と理解できてしまったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます