第13話
今もなお、彼の家族は彼のことを探していることだろう。
伊月はそっと目を細めて口角を上げてからその資料を削除する。勿論、彼が見ているこの資料は警察で保有している内部データである。それを当然のように削除したのだ。それだけでは飽き足らず、伊月はそのまま執務室に居るであろう莉音にメッセージを送り「結菱螢」についてのデータを全て削除するように指示をしてスマホの画面をスリープ状態にする。
――もうこれも必要ないだろう。
記憶がほぼないならば、過去について未練もない。
そして彼は別に過去に固執するようなものでもないことを理解しているからこそ、全てなかったことにしてしまっているのだろう。知られることがなければ問題ない。最初から存在していないようにふるまえばいいだけの話なのだ。
「昔と今では、あまり顔つきは変わっていないから彼の家族が見ればすぐにわかるだろうな。……少しあの人に協力を依頼するしかないか。それにしても、今回は依頼するに至って何を要望されるのやら」
これからの計画を頭の中で考えながら、小さく苦笑をする。
彼はそのままスマホをポケットの中にしまい込んでようやくやって来た地上へと続くエレベーターに乗り込んで地下闘技場から姿を消したのだった。
一方、控室。
「あれ、伊月はどうしたのかな」
「いっちゃんなら、野暮用があるとかでどっかに行っちまった。自分の可愛い弟を俺らに託してよォ」
「なんとも薄情な男だね。というか、弟? ……ああ、別に説明してくても大丈夫。なんとなく分かったから。……まぁ、ともかく。アキのことだ。このあと、祝杯を花月さんの店に行こうと言いたいんだろう」
「ビンゴ! つぅわけで、花月ちゃんのところに飲みに行こうぜ。ああ、そうだ。いっちゃんが、花月ちゃんの店に行くなら酒を持参しろって言われちまったんだ。だから、まずは酒屋に行ってから行こうぜ。ユヅは荷物持ちな」
五島は楽しそうに笑って指示を出す。結月は苦笑をしてから、静かに頷いて肯定を示している。紀伊は、あの伊月が花月の店に行くならば酒を持参しろといったのは驚きだったのか数回瞬きをしている。伊月が事前にそう告げる程、五島の酒を飲む量は驚くほどに多いのだ。
「荷物持ち……まぁ、別に構いませんけど」
「ひとまず、シャワーをしてから上に行かないかい? 彼、結月くんか。彼は問題ないかもしれないが、私とアキはわずかに返り血もついているから洗い流したほうが良い。荒事がありました、と言えばどうにかなりそうだが……私たちの立場が邪魔をして面倒なことになりかねない。なったところで、まぁ丸め込むことが出来るのだけど」
そう告げた紀伊の表情は、綺麗な顔でありながらも何処かあくどく歪んでおりそっと視線を背けて結月は見なかったことにする。美人の歪んだ顔は恐ろしい、とはよく言ったものなのだろう。顔の造詣が整っているからこそ、何気ない表情一つでも様になるものだ。結月はここにはいない伊月のことを思い出す。彼もそれなりに顔立ちは良いほうだろう。
よく考えれば、目の前に居る五島だって強面と言われている部類の顔であるが綺麗に整っておりある意味では女性から好まれそうな顔でもある。だが、やはりいかつく見えるので女性からは一歩引かれて声を上げられるタイプなのかもしれない。紀伊は髪の毛も長い部類であるのか、後ろで纏められており一見すると女性と見間違えてしまう美人だった。
「シャワーなら、廊下に居るスタッフに話しかければ案内してくれる、と思います」
「じゃあ、私たちはいったんそうしよう。君もここから出ていく準備があるんじゃないかな。私たちが返り血を流している間に、準備をしているといいかもしれないね」
紀伊は五島の首根っこを掴んで、控室から出ていく。
この場所に住んでいると言っても過言ではない結月であるが、別に私物が多く存在しているというわけではない。この闘技場のメインのような存在でもあったので待遇は悪くはなく珍しく自室が与えられていた。その部屋に置かれているものも、少ない。ベッドやタンスなどは元々備え付けのものであり、服という服も大して持っていない。持っているものと言えば、この闘技場で蓄積された賞金くらいだろう。
その賞金を貰うために、結月も席を立ちあがり廊下に居るであろうスタッフの元へを歩き出す。
「少しいいすか?」
「ああ、これは暴れ屋殿。……名前に反して、先ほどの勝負はあまり暴れることをしておりませんでしたが」
「……ここから出ていくんで、稼いだお金を受け取ろうと」
「ああ、なるほど。じゃあ、少し待っていてください。今、取ってきますので。ああ、きっとあなたが思っているよりも大金なので扱いには気を付けてくださいね」
一体、どれほどの金額をこの闘技場で稼いだのか。
スタッフがそう注意をするくらいには、多く稼いでいるのだろう。生きるために戦ってきた結月からしてみれば、結果的にみれば多く稼ぐことができたという認識しかない。彼はフタッフを待っている間に、廊下の壁に背中を預けてそっと天井を仰ぎ見て息をつく。
ここにくる前の記憶はもう存在していない。
今更、その記憶を巡ろうとも思うことはない。だが、それでも。
「……家族とか、いるんだろうか」
この闘技場ではさまざまな人物たちと出会ってきた。
家族のために異能力者でも稼ぐためにこの場所にやってきた者。異能力者ゆえに、人々から迫害をされてこの場所に流れ着いたもの。誘拐されて、この場にいるものや家族を人質にされて嫌でも戦っているもの。さまざまな人物たちと出会ってきた中で、彼は「家族」というものに興味があったことも事実である。
――もしも、地上に行ったら探してみるのもいいかもしれない。
だが、探したところで結果が、自身を貫く刃になればどうなるのだろうか。
そのような考えが頭を一瞬よぎるが、その時はその時だろうと完結させる。死ぬことよりも、恐ろしいことはきっとこの世界に存在しない。否、恐怖というものは人により異なるので一概にいうことはできないが。少なくとも、結月にとって死以外のことは恐怖ではない。落胆することにはなるかもしれないが、それでしかないのだ。
――いや、でもまぁ。
「……宵宮結月、か」
どのような過去があろうとも、彼は今を生きているし、この前にどのような名前があったとしても。
彼はもう「宵宮結月」でしかないのだ。
「まぁ、別にいいか。探したところで、意味はないだろうし」
自身の中で結論が出たのか小さく口角を上げて笑う。
その後、スタッフが厳重に鍵がかけられるキャリーケースを重そうに引いて戻ってきてはそれを受け取る。それと同時に、シャワーから戻ってきた五島たちと合流して暴れ屋と言われてこの闘技場で人気だった男は、この場から立ち去ったのだった。
「あ、室長さん! これからお出かけですか?」
「夏鈴、おかえり。……今回の任務で怪我などは大丈夫か?」
「はい、問題ありません! 夏鈴は先ほど、鳴無先生の診察を終えたのでこれから報告書を書くつもりです。なんだか、室長さん。ちょっと楽しそうだなぁって。何かいいことでもあったのですか?」
少しだけ銀色が混じっている白髪をツインテールにまとめた一人の少女に声をかけられて、伊月は足を止めて微笑んでは会話をする。少女、改め
「いいこと、か。……ああ、そうだ。後日紹介をする予定なんだが……。次の任務から、夏鈴と悠莉くんの戦闘地域への派遣に一人追加されて三人で任務に当たってもらうことになる」
「新人さんですか!? あれ、でも最近来た新人さんは馨お姉様と組んでいるんですよね? うぅん、じゃあ誰だろう」
「新しくスカウトしてきたから、新人ではあるな。ただ、高砂くんではない。彼は、元々は地下闘技場にいた無敗のエースと言ってもいい戦歴を持っている異能力者だ。きっと二人の力になってくれる」
「そうなんですね! じゃあ、……高砂理玖さんと一緒に歓迎会をしないと。夏鈴たちが次の場所に派遣される前に絶対に、みんなで歓迎会をするんです。ね、室長さん」
「……ふ、あぁ。そうだな。……っと、ここで立ち話をしている場合じゃなかった。じゃあ、俺はもう退勤するが……」
「分かっていますとも! 報告書は明日にして今日はゆっくりと寝ろ、と言いたいんですよね。悠莉くんが戻ってくるまでは、少しだけ報告書を作って合流したら今日はもう上がります。室長さんも、お疲れ様でした」
「ああ、お疲れ」
夏鈴と会話をした伊月は、そのまま彼女の頭を数回撫でてからその場から立ち去っていった。
「伊月室長さんも大変そうですねぇ。……それにしても、京都を根城にしている組とどんな話をするんでしょう?」
伊月の後ろ姿を見ていた夏鈴は不思議そうに首を傾げてから、報告書を書くために急いで執務室へと足を向けて進みだしたのだった。
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あとがき:18時以降に掲載予定
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