第15話
彼女の言う通り、身体につけられている傷は全て。
直近で出来た傷などではない。一見すると痛々しそうに見えるが、全ての青あざなどで本人の言う通り痛みなどとうになく本当に見せかけだけの傷なのだ。平然と、昔の勲章と告げているがそれは彼女なりに考えたこれを見てしまった季楽への気遣いでもあるのだろう。
滅多な事がない限り、気遣うことはしない彼女であるがさすがにこの無数の傷を見た相手への気遣いが出来ないほど無神経でもない。
「勲章、ですか。……そう言われてしまえば、そうなんですね、としか言えなくなってしまいますね」
「物分かりが早くて、助かります」
もし勲章であると茶化したところで、相手が理玖であれば問題ない範囲で問い詰めてくることだろう。その傷が出来たのはいつなのか、果たして任務で出来たものなのか、否か。もしくは、異能力者故につけられた理不尽なものなのか、なども。
彼女の目の下にも不気味な痣が存在しているが、これに関しては体にある痣とは全くの別物である。言ってしまえば、生まれつき存在している痣に近い。
「甘羽さんは、異能官ですよね」
「まぁ、そうですね。府警異能課と比べたら、異能官らしくないと思いますが。ほら、あいつらって基本的に伝統とか保身で動くことが多いでしょう? きっと、あいつらのことなので様子見~とか、最初は言ったはずですし」
「あはは、そうですね。……一概にそうではないっていうのは分かっているんですけど、やっぱりそういうイメージがありますね。甘羽さんの言う通り、一度は門前払いのような感じの扱いを受けていますし」
季楽は苦笑をしながら、ゆっくりとお湯を両手ですくっては顔を濡らす。
髪の毛は水が滴りゆっくりと、下へと向かって落ちていく。隣でそれを見ていた馨は、ゆっくりと視線を季楽から天井へと戻す。まるで、彼女から何か言葉を待って探っているような。
もしくは、何も思っておらずただのんびりとしているだけなのか。馨は、ゆっくりと浴槽から抜けて軽く身体を洗い始める。もこもこと泡を立てては、鼻歌交じりで身体を撫でるように洗っていく。
「あの、本当に痛くないのですか? 泡がしみたり……」
「あはは! 大丈夫ですよ。見た目より、痛くないのでね。まぁ、消毒液とかは忘れたころに時々しみることはありますけど。泡とかのレベルであれば問題ありませんよ」
浴槽から、馨の傷ついた背中を見ながら告げた季楽に対して笑って返す。
季楽はそっと目線を背けてから、ゆっくりと浴槽の背中を預けては腕を伸ばして首を回してから天井を視界に入れる。そこは、蒸気などで天井に水滴がついておりそれらが意味もなくポチャリ、と小さな音を立てて落ちてきている。
静かで反響しやすい浴室では、ため息の音や他の些細な音が良くも悪くも響くものである。
――あの傷は、おそらく。……誰かに故意的につけられた傷に酷似している。仕事の傷、というよりもまるで、それは。
「もし、差支えがなければ、なのですが」
季楽は、彼女の傷を見て一つの推測を立ててしまう。
彼女の勲章と言ったそれらの傷の一部は、確かに仕事で出来た傷もあるだろう。だが、その他の一部は。異能力者故につけられた、悪意的な傷なのではないか、と。もっと言ってしまえば、例えば両親からの傷。友人や同級生からの傷、などだろう。
流石にそこまで踏み込むことは野暮である、と考えたのか言葉を告げてから少しだけコクリ、と喉を動かして固唾を呑みこむ。馨は特に断ることもなく、季楽の言葉の続きを待っている。息を吸い込んでは、言葉を呑みこみ。何かを決意したように一文字にしてから、ゆっくりと口を開いて質問をすべく口を開いて音を紡ぐ。
「甘羽さんは、どうして異能官を目指されたのですか?」
何気ないその質問には、様々な思惑が込められている。
誰かに復讐をするためのだろうか。それとも、善意なのだろうか。もしくは、その力を用いて誰かを助けるためなのか。甘羽馨、という人物を季楽は良くも悪くも知らない。ただ、昔に多くの人を虐殺したという事実だけはぼんやりと知っている。それでも彼女がおびえることなく馨とこのように話している理由は、彼女が異能官であるという事実が大きいのだろう。
もしくは、季楽自身が異能力者に特別な何か思考や考え、感情があるのか。
「……そうですね」
ポチャリ、と水が滴る。
きゅ、とシャワーの口を緩めてはお湯を出して泡だらけになっていた身体へ遠慮なく打ち付けられる暖かな水を直に感じながら馨は季楽の質問について考える。彼女の思考、質問の意図を「人の本質を嫌でも知ってしまう」馨が分からないはずがない。
だが、それをくみ取って質問に答える義理も馨には存在していない。幸か不幸か、季楽は馨がどの様な異能を保持しているのか知らないのだ。
――異能官になった理由、か。
目を閉じては何かを思い出すような表情をしては、口角を静かに上げる。
鏡は曇っており、彼女の表情は後ろに居る季楽には見えることはない。見えないことが、ある意味で好都合でもあるのだろう。なぜならば、馨の表情は口角が上がっているのにも関わらず絵美、というよりもそれは。
どことなく、狂気を孕んでいる表情にも近しいからだ。
「あ、本当に答えたくないならば大丈夫ですから……っ」
「いえ、問題ありません、私は、答えたくない質問に対してはしっかりと断ります。……何故異能官になったのか、は。そうですね、ありきたりな言葉になってしまうかもしれないですが。……正義の味方に、なりたかったから、ですかね」
何処か遠くをぼんやりと眺めながら、身体から泡が流れ落ちたことを確認して再びシャワー口を掴んではお湯を止める。シャワーを元の場所に戻しては、馨はゆっくりと伸びをして再び浴槽に足をつけて中に入って温まる。
ここまでの時間は、まだそこまで経っておらず本当に馨が長風呂なのかは季楽にはわからない。彼女は欠伸をしながら、首元に手を添えて堪能している。
「正義の味方、ですか?」
馨の返答が自身の予想をしていたものとは大きく違ったのか。もしくは純粋に驚きだったのか季楽は数回瞬きをしてからオウムのように聞き返しながら首を傾げる。
横目でその姿を見て、彼女の表情があまりにも抜けており面白かったのか口元に手を添えてクスクスと上品に笑みを浮かべる馨。
「はい、正義の味方です。……たった一人の子だけの。たった一人の、正義の味方になるために私はこの道を選んだ……んだと、思います」
何処か自分のことを話しているはずなのに、他人事のような。客観的に話を進めてしまう馨。しかし、それに反して口調や表情は酷く柔らかくて小戸やかなものだ。何かを懐かしむように、何かを思い出すように。
何かを、悔やむように。
「それは、ご家族の方でしょうか?」
「そうですねぇ。……まぁ、別に言っても困る話じゃないのでいっか。私には、双子の妹がいましてね。一卵性の片割れなんですが、妹は非異能力者なので見目は違うんですけど」
「双子だったんですね! 初めて双子の方と会ったかも……」
馨の話を聞いて、最初の申し訳なさはどこへやら。
キラキラと目を輝かせては、まるで話をせがむ子供の様な雰囲気を持っている季楽に対して軽く苦笑をしながらも両手でお湯をすくって顔を濡らしてから、水面をみつめたまま視線を動かすこともなく口だけを動かして話始める。
「実は私、一度だけ妹とした約束を破ってしまったことがあるんです」
「……え」
「ずっと一緒に居るって、約束をしたんですけどね。……私が、それを破ってしまって。妹とはそれきり会っていません。今もどこかで生きていることだけは、知っているんですけど。それが果たして健康なのかは不明ですね」
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