第3話

 人間を剥製にする。

 聞きようによっては、それはすごく異常なことに聞こえることだろう。もちろん、彼女は人間以外にも動物の剥製なども手掛けているので剥製や標本の作成依頼は全て請け負っている、というのが正しい。この短時間で、思った以上の情報が与えられことにより理玖の脳内は機械であれば煙が出ているであろうレベルに達している。

 軽く数回瞬きをして、気を取りなおするように理玖は自身の頬を軽く叩く。


「目は覚めしたか?」

「目は覚めていますし、今なんとか脳内で処理は完了しました。……まぁ、そういうことも見て見ぬふりをしているということは理解しましたし、異能課は僕が思っているよりも結構アングラなところであるということも再実感しました、という感じですよ」


 少しだけげっそりとした声色で、自身の額に手を添える。

 まだまだ新社会人として社会に触れて数ヶ月しか経っていない理玖からしてみれば、朝から濃厚な豚骨ラーメンを食べているのと同じくらいの高カロリーを一度で摂取したようなものだ。馨が、休憩スペースにあるソファに蝶梨とともに座ったことを確認して急いで自席から立ち上がり理玖もその場へと向かう。

 彼だけでは心許なかったのか、現在案件がなく引越し計画を考えて物件探しをしてた藍も一緒にソファに座っている。


「百瀬さん、真面目に仕事しているように見せて物件探してたんですね……」

「だって今やることがなかったもの。効率的にしないとダメでしょうからね、こういうことは。一応言っておくけど、仕事があればちゃんと仕事を優先してしているわよ。息抜きで物件探しをする程度に抑えているもの」


 それでも業務中に、息抜きで物件探しをすることはやめないのが藍らしいのだろう。

 彼女たちが業務中に、息抜きとして業務とは関係ないことをしていたとしても伊月はそれらに対して注意することは滅多にない。それは、彼女たちがそれ以上の結果を出していることを理解しているから。そして、彼女たちが息抜きをし始めるほどに異能課にはそんなに仕事がないことを理解しているから、なのである。

 理玖のように、過去の事件などを調べて見ているのは珍しい部類だろう。

 莉音もよく業務パソコンの前でカタカタとしていることが多いが、業務と関係ないところで言えば彼なりに深層ネットワークに潜り込んで餌をばら撒き面白いことがあるかを確認していることも多いのだ。もちろん、それがきっかけで何かの解決まで導くことができているので何も言われていないが。


「では、資料を見させてもらいますね」

「はい。何かわからないことがあれば、口頭でお話しさせていただきますね。本当は、こういうことが大得意の灯牙くんがいればよかったんだけど、灯牙くんは個別の仕事で今はいなくて。あと、自分が行ったら屁理屈大会になるからって」

「違いないわね。蛾と冷静に張り合えるのは伊月室長か莉音くらいしかいないもの。馨と蛾は口論という意味では相性最悪だし、最終的に拳での語り合いに移行しているから止めるのが大変なのよね」


 想像しかできないのか、理玖は苦笑を浮かべている。

 そして、ふと藍の口からでた「蛾」という言葉に何か心当たりがあったのか瞬きをしてから隣に座っている藍へと質問をする。普段であれば、不明点があった時には馨に気兼ねなく聞いているのだが、現在彼女は資料を確認中だ。流石に、そこまで空気を読むことができない理玖ではない。


「百瀬さん、あの。蛾って……過去の事件資料や異能課内部のみでの報告書に出てくる「蛾」ですか?」

「ええ、その蛾よ。ちなみに、時々異能課限定の報告書で出てくる「蝶」というのは彼女のことね。蝶と蛾は、私たちの大事な協力者として時々出てくるの。でも、はっきりと名前を書くことはなく内部ではそう通っているわ。まぁ、言ってしまえばエスみたいな感じなのかしら。違うけど」


 彼の中で、時折資料の中に出てくる「蛾」と「蝶」がそのままの意味ではないことは薄々勘付いていたのだろう。特に驚くそぶりを見せることもなく、「なるほど」と頷くだけだ。それに、蝶が絡んだ報告書に関しては死体解剖や剥製、骨についての話が多く出てきていたのですぐに納得することが出来たのだろう。

 あらかた馨は資料を読み終えたのか、そのまま資料を藍と理玖に手渡してから足を組み直して話し出す。


「ちなみにですが、この死体。加工したんですか?」

「ううん。本格的な加工はまだしていないよ。明確な期限までまだ時間はあるからね。ああ、でも腐っては加工ができないから防腐処理だけはしたよ。他にも、必要そうなものはちゃんと取り出して保管しているから問題なく医務室に回すことはできると思う。臓器は全てキレイなままで取り出しているから」


 平然と話しているが、内容は全くもって平然なものではない。

 理玖は眉を顰めながら、藍が読んでいる資料を覗き込むようにして中を確認する。そこにあるのは、運ばれた当初の死体と思われるものの写真。そして、その死体から抜き取ったであろう臓器の写真の数々。どれも、生々しくまるでそこにまだ生きているようにも思えてしまうほどだ。


「この顔……」

「そうなんです。実はこの人、違法に異能を使って傷害を起こして指名手配中の人とそっくりだったんです。私は覚えていなかったんだけど、灯牙くんが覚えていて。だから、本格加工の前に相談しにきたの」

「動き出しそう……」

「まぁ、そりゃ生身の死体だから。……蛆さえ湧いていないし、死んでからすぐに処理をしたの?」

「沸きかけだったんですけど、なんとか問題なくキレイにできました。なので、死にたてほやほやかと言われたら、少しだけ違うのかもしれない。……でもそんなに苦戦することはなかったから、ほやほやに近いけどそうじゃないって感じなのかも」


 可愛らしい少女の見た目をしていても、話していることは可愛らしくはない。

 ギャップが、というよりもそれらの差はゾッとするほどだ。彼女がどのような死生観、倫理観を持ってその仕事をしているのかは理玖にはわからないが、心のどこかで分かりたくないな、というわずかな拒絶が見え隠れする。基本的に、他人に対してはl興味を持とうと心がけなければ興味を持つことが出来ない彼からしてみれば、異例中の異例に近いのが現状だ。

 そのようなことを意識せずとも、忌避してしまう。

 同じ年齢の新社会人と比べたら誰よりも死に近い現場に身を投じているというのに、だ。


「依頼者は?」

「わからないの。灯牙くんも足取りを調べているんだけど、不明。これを持ってきてくれた人は、依頼者について一言に話さなかったから。もしも調査が必要になった際には、屋敷にあるカメラとか浅海さんに送るね」


 蝶梨曰くは、この死体は完全防備した黒服の男たちによって棺に入れられて運ばれてきたらしい。一見すると、葬儀屋の所属している人物にも見える見なり、車でやってきていたためそれが異常であるということに気づくことが彼女本人は出来なかったらしい。何せ、彼女の元には依頼者と葬儀屋の人物と思われる人物たちがやってくることも当たり前にあるのだ。

 まだ浸透しておらず、少ないが剥製葬というものも存在している。

 彼女は葬儀社と連携して、依頼があった場合は剥製にする。ペットでも、人間でも、なんでも。今回も、それと同じだと思ってしまったのだろう。


「……人間を剥製に」

「身元と依頼者に関しては、莉音さんに任せるとして。人間剥製で、成人済みが来るのは珍しい」


 馨は足を組み直しては腕を組んで首を傾げる。

 藍は資料を読み終えたのか、隣にいた理玖に渡す。話の内容からして、見ることを憚れそうになるのを飲み込み資料を受け取る。そこに書かれていたことは、理玖の予想通り死体解剖書のようだ。


「……無理して読まなくても良いわよ?」

「無理はしてないですよ」

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