第11話

 一方、同時刻。

 闘技場へと続いている廊下の壁に背を向けている伊月と身長が高く、体躯のいい男の姿があった。


「アンタでも、こういう場所にくることがあるんだな」

「滅多に来ない。今回は、親友に連れられて興味があったからきたに過ぎないさ。そういう蛾こそ、こういうところに入り浸っているとは。まぁ、別にお前の行動を縛ることはしないが、ほどほどにするように」


 蛾、と呼ばれた男は目を丸くして楽しそうにクツクツと喉を鳴らして笑っている。

 その体つきに反して、顔つきは童顔に近いためにまるで子供のようにも映りアンバランスに見えてしまうほどだった。伊月は、蛾と呼ぶ男とたわいない会話を続ける。


「はは、ああ。ほどほどにしておくよ。うちの可愛い姫さんにも咎められるからな。室長殿は口止めをしないと、すぅぐにうちの姫さんに告げ口してくれるもんだから困っちまう」

「俺が直接苦言を呈するよりも、彼女から言ってもらった方が効果が高いのは知っているからな。だが、二人とも仲が良さそうでよかった。彼女は良くも悪くも子供だから、気にしてはいたんだ。今は、学校で剥製や標本について教えているんだろう? 臨時の講師みたいな感じなのか?」

「……まさか、本当にただの雑談なのか? まぁ、そうだな。楽しそうに大学に通っては教えているよ。前までは、非常勤だったんだが彼女の腕前を買って大学側が正式に講師としたいということで今は毎日行ってる」


 伊月は会話をするということは、何か重要なことや釘を刺すようなことが多いのだろう。蛾と呼ばれた男は、目を丸くして本当に驚いていた。彼としては、雑談をした後に何か仕事を言われるのではないかと思っていたのだろう。この言葉に対して、きょとんとした伊月はすぐに彼の言いたいことを理解して楽しそうに笑う。


「俺だって、普通に雑談をすることはあるさ」

「それが珍しいから、こっちとしては驚いているんだよ。……室長殿は本当に食えないし、敵に回したくない人物だからな。だからと言って味方にいれば安心、ということができないのが考えものだ」

「俺としては、そうやって面と向かって言ってくれる君は信用信頼に値すると思っている。こうやって言ってくれる人物は、本当に少ないんだ。親友や、うちの部下くらい。異能官たちは本当にずけずけ言ってくれるからありがたいよ。至らぬ点があれば、部下であろうとも上司を指摘する。うん、いいことじゃないか」

「室長殿に隠し事をしても意味がないからな。それにそういうことを言うアンタは、嫌いじゃない」


 どこか悪そうな表情をして笑っている男と、呆れたように笑う伊月。

 見た目は全く違い、接点なども一見すると何があるのかわからないように二人だが当然接点はある。蛾と呼ばれた男は、伊月が持つ情報提供者の一人でもある。加えて、異能課が動くことができない場合最初に動いてもらいその場所についてのレポートを異能課に送る、と言う役割を担っている。

 正式な異能課のメンバ、と言うわけではないが彼らを裏から支えている影の人物というものだった。当然、彼らには異能課はお世話になっているのでお互い顔を知っていると時々会えば食事をするほどに良好な関係を築いている。


「最近、新しく監視官が入ってね」

「お、そうなのかい? あの滅多にスカウトをしない室長殿のお眼鏡にかなったということは。そいつも、良くも悪くもアレな人間ってことか」

「いや、蛾が思っているような人物ではないだろう。今は馨の飼い主をしている。……何事にも無関心だが、確かな執着と自分自身を持っている。本人がまだそれらに気づいていないのが困ったものだが。馨たちと仕事をして、きっと彼は大きく成長する。そして、俺と同じ思考までやってくるさ」

「あの気まぐれを体現した馨ちゃんの飼い主!? そりゃ、大物だ。それに……。室長殿にそこまで言わせるたぁ、すごい人物になりそうだな。俺も会ってみたいくらいだ」

「今度、高砂くんの歓迎会をするときにお前たちもくるか? 異能課のあの執務エリアを使ってやるからきても構わないが」

「遠慮しておくよ。一緒に仕事をすることを楽しみにしておく。……おっと、姫さんから連絡が来たんで俺は帰る」


 ひらひらと片手をあげて、挨拶をするように立ち去っていく男の後ろ姿を見ていた伊月は「ああ」と楽しそうに答えて控室へと向かって歩き出す。異能課という存在は、様々な影が集まり機能する。陽の光を浴びることができない連中が集まり、影にいるからこそできる手段を用いて仕事をする。

 伊月の受け持つ異能課というものは、そういう存在であり。

 宵宮伊月というのは、それらの闇を束ねて正確な道を示す人物である。


 ――あいつ、掃除の後にこういうところに来て沈めてるのか。彼女も大変だな。


 わずかに男からした鉄のにおいに苦笑をしながら、この場にはいない男と共に暮らしている少女のことを考えて息をついた。



「……あれ。姫若は?」

「姫若? ああ、あの綺麗な人ならさっき試合に向かって行ったよ。で、血まみれの強面の人が戻ってきたところ」

「よう、いっちゃん! 俺の試合はどうだったよ!?」

「五島さん、この人はさっき戻ってきたところだから試合を一つも見れていない」

「な、なんだと!?」


 伊月が控室に戻ってくると、そこにいたのは返り血のついた五島と話し相手になっている暴れ屋の姿。

 紀伊の姿はないことから、彼は試合に呼ばれて今はこの場にいないのだろう。伊月は肩をすくめて、暴れ屋の隣にある椅子を引いて当然のような表情で座り流れるように足を組む。


「返り血くらいは落としてこないか、彰」

「これでも落としてきたんだ。服に関しては、まぁ、仕方ねぇ。帰りはローブでも羽織って隠すから問題ねぇよ」

「こいつの話し相手になってくれてありがとう、結月ユヅキ

「ユヅキ? あぁ、こいつの名前か。どう書くんだ? いい名前じゃねぇか」


 いきなり知らない名前で呼ばれた暴れ屋は唖然としながらも首を傾げている。

 伊月は蛾と呼ぶ男と会話をした後に、受付まで足を運んで暴れ屋の個人情報を聞きにいっていた。しかし、この場所にやってきた時に名乗ったのが「暴れ屋」だったために彼の本名はわからず。そのまま、本人に本名を聞いてしまえばよかった話でもあるのだが彼がその名前を嫌がるかもしれないということ、そして。

 異能の代償として、記憶の一部が飛んでいるかもしれないことを考慮した結果自身で新しい名前をつけてしまおうという結論に至ったのだろう。


「それ、俺の名前ですか?」

「うん? そうだ。結ぶ月、と書いてユヅキだ。いい名前だろう?」

「というか、本人に無許可でつけたのかよ。いっちゃん、それは俺でもどうかと思うぜ?」

「今言ったから問題ないだろう。俺の予測だが、お前は記憶の一部が飛んでいるんじゃないか? 異能というものは、何も代償なく好き放題使えるほど便利なものじゃない。万能ではあるかもしれないが、完璧でもない。多くの異能力者を見てきているが、全員何かしらの代償を支払って異能を行使している」


 伊月は頬杖をつきながら、隣に座っている男、改め結月に話しかける。

 結月は少しだけ視線を彷徨わせてから、まるで降参だ、と言わんばかりに両手をあげては肩をすくめて頷いた。彼にとって、異能を行使すればするほど記憶の一部が消えていく。それでも異能を使い続けるのは、ひとえにこの場所で生き残るため。生き残るために自身の記憶を犠牲にして生を得る。

 失った記憶が、息の仕方など至極当然に行われていることであれば彼はすでに死んでいたことだろう。

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