第36話

 例えば、現状から見て無理であると答えるもの。

 希望的観測を交えて、理想を口に出し可能であるというもの。

 双方次第では可能である可能性があるというもの。

 理玖も馨も、このうちの三番目のパターンの考えなのだろう。もちろん、この三つの考えでどれが正しい、どれが正しくないというものは存在していない。全て正しくて、そして現在の状況であり、理想なのだ。そもそもな話、この世界にいる人たちの認識が変わらないことには難しいことなのだろう。

 悪と思い込んでいるものを、悪ではないと考えるのはきっとどのようなことよりも難しい。一度でも染み付いてしまった印象を、ガラリと変えるのは根気がいる作業の一つである。


「ま、所詮は。使われるものと、使うものという根深い思考があるので無理なんですけどね」

「ですが、そう思っていない人もいるのは確か、なんですよね」

「ええ。一応、伊月室長は二番目の理想を口にするタイプですね。でも、伊月室長の場合はその口にした理想へと限りなく近づけるようにという努力をしています。一番何をしているのか、人脈などが謎なんですけど。それでも、この異能課が潰されずに存命しているのは伊月室長の影響が大きいでしょうね」


 彼がいなければ、きっと今頃異能課は存在していないのだろう。

 それほどまでに、伊月の及ぼしている影響は大きいと馨は告げる。まだこの異能課に来て日が浅い理玖からしてみれば、すごい人なんだろうな、ということだけがぼんやりとわかる程度であるが、彼女の口から大体のことを聞くとやっぱりすごい人なんだ、という訂正をせざるを得ない。

 異能課の執務室にいるときは、威圧的でもないので気兼ねなく話しかけることができる上司という印象が大きいのだが。

 先日、自身が作った洋食を嬉しそうに食べてみんなと談笑をしていたことを思い出して苦笑一つで止める。


「屋上へ行く前に、一つ」


 からん、と音が鳴っては扉が開く。

 屋上があるのは、この上だ。ここから屋上へ行くには、否が応でも階段を使うしか道はない。エレベータから降りた馨は、ぴたりと足を止めて後ろを振り返り理玖をしっかりと視界に入れる。

 まっすぐ彼を見ているその目は、何を考えているのか相変わらずわからない。


「高砂少年は、今回の一件をどのようなストーリで考えますか」

「……屋上に行く前の答え合わせ、ということですね?」

「そうとも言えるでしょう。ですが、この物語の正解を決めるのは私たちではなくこれから起きる出来事です。事実と真実は異なりますので、今はまだ。事実だけを考えていいと思います。真実は、後日談で明かされるものでしょう?」

「……ストーリ、として言えないですけど。出てくる異能力者は、脛巾日葵さん。そして彼女を敵視しているのは、異能力者排除過激派の青年でしょう。彼は、深層ネットワークで情報を集めて、各地に餌をばら撒いた。餌は、死体でしょうね。噂程度のものでも使ったんでしょう。そして、一気に場所が狭まった理由は。僕をストーキングしてこの場所を知ろうとしていた女性が情報提供者だったから、ですよね」


 少しだけ困ったように眉を下げて告げる理玖に、「そうですね」という言葉を告げるだけの馨。

 何かまだいいたげな表情を見せているが、それを告げることはないということは今の彼には特に新たな情報を与えるまでもないと彼女自身が判断したからなのだろう。


「……頭では分かっているんですけど。どうして、みんな異能力者とか、非異能力者とか分けたがるのかなって思ってます。多分僕がそう思ってしまうのは、こうやって仕事で出会った異能力者は子供とか、どうしようもない理由があったり。話が通じる、というか。つまるところ、庇護されるべき存在だからなのかもしれないです、けど」


 階段を歩く足が、どうにも重たく感じてしまう。

 誰もが幸せになることはきっとない。理玖もそれは理解をしている。そして、異能力者全員が話が通じる庇護されるべきではないということも理解している。理解しているが、どうしても彼と出会ってきた人物たちが庇護されるべき人物たちだったことも影響してそのように考えてしまっているのだろう。それを馨も理解しているからこそ、口を挟むことをしない。


「さて、では。反撃としましょうか。まぁ、できることは決まっているんですけどね。どうするにしても、ここから先は高砂少年の命令がないと私は基本的に手出しができません。だから、瞬時に考えて命令をしてください。大丈夫。人間は間違うものですから」

「……甘羽さんが優しいとゾッとしてきた」

「私に謝ってください、今すぐに」

「冗談ですよ。たとえ、それが理想に塗れていても。僕は僕のしたいようにすることに決めたんです。……そもそも、異能課の皆さんってそうじゃないですか。皆自分がやりたいことを率先としているやっているだけ。それがたまたま誰かの助けになっただけに過ぎない、でしょ?」

「上等」


 理玖の最終的な言葉に満足したのか、馨は楽しそうに笑ってから大袈裟に扉を開ける。コツコツ、とブーツの踵を鳴らして歩いては人影を見つけて楽しそうに指で銃のポーズを取ってはこれまた楽しそうな声色で冗談なのか本気なのかわからないこと、平然というのだ。


「動くな、警察だ!」


 ――絶対にそれがやりたいだけだったでしょう!? 警察だけども!


 馨により声をかけられた二つの影は、ゆっくりとこちらを振り向く。正確には、振り向いたのは男一人だが。理玖は頭を抱えたくなる気持ちを必死で堪えて二人を視界に入れる。どちらも武器を持っているようには見えず、普通に会話をしていただけと言われて仕舞えばそうなのかもしれない、と納得せざるを得ない普通の雰囲気なのだ。

 だが、その普通すぎるのがあまりにも異質である。

 馨は大したリアクションを貰えなかったことに対して、不満げに肩をすくめては「ノリが悪いなぁ」と呟いて二人に向かって歩き出す。

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