第42話

 ニコリと微笑んで告げられた言葉には、先ほどまでの恐ろしさは存在していない。

 朱鳥は口を開けて、ハクリと息をつく。彼女には決してそのようなつもりはなくとも、朱鳥は一つでも選択を間違えてしまえば殺されてしまうのではないか、と何処かで思っていたのだろう。その証拠は、手はわずかに震えている。馨を見つめる目が、恐怖で染め上げられている。

 意図しなくとも、馨の態度はこの世界を知らない平和の中で生きてきた甘い子供に恐怖を与えてしまう。生きてきた世界が、違うのだ。


「さて。そろそろ、私の相棒である高砂少年が異変に気づいてやってくる頃合いじゃないでしょうか。結構、お腹がすいてきたので」


 わずかに不機嫌そうに唸り始めた自身の腹部を押さえて苦笑をする。

 そして伸びをしてから、何かを思い出したのか「あ」と小さく声をあげてから朱鳥に話しかける。


「そうだった。実は私、朱鳥さんのお母さんである円香さんと知り合いでして。一時期は同じご飯を食べた仲でもあるですよね。……よく、円香さんから貴方の話を聞いていましたよ。幼いながらに一人で生きるように言ってしまったが、大丈夫だろうかと。それはまぁ、大変心配しておりました」


 瞳を閉じて思い浮かべるのは、かつての収容所での出来事。

 馨と円香が入れられていた収容所は、ランクが違ったがそれでも昼食時などの食事の場所ではよく同じになることが多く必然的に会話も増えて行った。

 その中でよく円香から聞かされた話は、大事な娘である朱鳥のこと。故に馨は、異能課が保持しているデータ以上に二人のことを知っていた。そのことを詳しく理玖に話さなかったのは故意的ではなく、単純に詳しく聞かれなかったから答えていないだけの話である。聞かれたら馨は、必要な範囲内で全て答えている。


『大事な一人娘なんだけどね。……私、酷いことしちゃったの』


 後悔を煮詰めたような瞳と声色は、今でも鮮明に思い出せる。

 様々な人を見ては、容赦なく殺しを行ってきた馨の中では酷く新鮮に。そして、珍しい部類だったのだろう。故に、数年前の出来事であるのにも関わらずに昨日のことのように思い出すことが出来る。


『迎えに行くからって、ここから出れないのに。本当に、酷い約束をしちゃった』


 異能力者収容所に一度でも入れられると、滅多なことがない限り二度と外に出ることは出来ない。円香はそれを十二分に理解をしていた。理解をしていたが、あまりにも泣きそうになるわが子を見て、迎えに行くからと口をついて言ってしまったのだ。

 その言葉を頼りに朱鳥は必死に生きて、そして縛られることになるなどこの時の円香は思いもしなかったことだろう。


『もしも、もう一度会うことができたね』


 その先の言葉を告げるべきなのか、否か。

 考えたところで、何が正義で何が悪なのか分かるはずもない。ただ、馨は。朱鳥には、それを知る権利と義務があるのだろうということだけは分かった。

 それが正義なのかは、分からない。誰かにとっての正義は、誰かを傷つける悪になりえるのかもしれない。しかし、知らないままでいることを彼女は許さない。


 ――知らないままで生きることが出来れば、どれだけ楽だろうか。でも、知らないままで生きることは許さない。無垢とはそれすなわち罪であり、免罪符そのもの。知らないからと言って、逃げるだなんて許さない。


「もう、待たなくても良いの。貴方は自由に何処へでも行ける。その翼を持って、自由に。好きなように生きてほしい」

「……え?」

「異能力者収容所にある、毒ガス室。そこに連行される前に、私に告げた言葉です。あの人、私がいずれ外に出れるだなんて思ってたんですかね? まぁ、結果的にこうやって外に出れていますけどぉ」


 馨は少しだけ腑に落ちないのか、頬を膨らませて幼子のように拗ねる素振りを見せる。

 どのような意味を込めて円香が、朱鳥という名前をつけたのかは馨は知らない。だけれども、彼女の言葉と感じから少し想像をしてみたのだろう。自分は異能力者であるが故に、自由に飛び立つことが出来なかったけれども。

 娘である朱鳥には、鳥のように自由に好きなとこへ行き好きなように生きてほしいという願いが込められているのかもしれない。もしくは、どのような困難に当たろうとも不死鳥のようにくじけることなく生きてほしいという願いが込められているのかもしれない。

 全て、馨の想像でしかないが。


「……馨くん」


 ふと意識が戻り、自身の小脇から聞こえた言葉に対して欠伸をする馨。その声は何処か凛としており決意が込められている。


「はい、何でしょうか」

「……下ろしてください。ちょっと、酔いそう……」

「甘羽さん、流石に僕も下ろしたほうが良いと思いますよ。危なくないと言えども、小脇に抱えられる人の気持ちにもなってほしいものですね」


 朱鳥の言葉に深くうなずいては同意を見せる理玖。既に広場は、多くの村人が手足を縛られて集められている。馨は少し不満げな表情をしつつも、小脇の少女がもう逃げることはないと思ったのかため息交じりでゆっくりと地面に下ろす。

 地面に足をつけた朱鳥は、自身の胸に手を置いてはゆっくりと深呼吸を繰り返す。


「なんだか朱鳥さん、ちょっと雰囲気が変わったような。甘羽さん、何か変ことでも吹き込んだんですか?」

「ちょっと待ってください。その言い方はちょっと私に対して失礼じゃないですか? まるで、私が人に変なことしか吹き込まない人みたいじゃないですか」


 ふざけながら冗談交じりで「今すぐ謝ってください、私に」と言い出す始末だ。これでは誰が子供なのか分からない。小学生くらいであろう朱鳥のほうが、よっぽどしっかりとしているように見えなくもない。

 ゆっくりと、腕を組ながらも静かに村人に近付いていく朱鳥を見る馨と対照的に理玖は何処か焦って心配そうにしている。


「大丈夫ですよ、高砂少年」

「はァ!? 相手は容赦なく斧を振るってくるような頭のねじがぶっ飛んでいる人たちなんですよ?今さら何かを言い出したところで、信用できませんって」

「いえ、そっちではなくて。朱鳥さんなら、大丈夫だと言っているんです。もう、鍵が開いているのに膝を抱えてうずくまっているだけの鳥ではないのでね」


 馨のたとえがいまいちわからなかったのか、器用に片方の眉だけを歪めては首を傾げている。そっと、腕時計を見ては時間を確認する。もう時間は、夜の七時を回っている。先ほどから低く唸り上げそうな勢いになってきている自身の腹部を押さえては深呼吸をする。

 平然としているが、馨は異能力を使えば使うほどに空腹状態へとなっていく。ただでさえ空腹状態だったのだ。そろそろ限界に近付いてきているのだろう。それでも問答無用で必要があれば異能を使っていくのは彼女なりに何か思うことがあるからなのか。


「……あ、朱鳥さん危ない!」


 村人に近付いたその時に、何処かに隠れていたのか朱里が出てきては朱鳥に向かってナイフを振りかざそうとしている。しかし、それは理玖の声と同時に人の手によって簡単に阻止されてしまう。


「子供であろうとも。殺人未遂として処理させてもらうわよ」

「ニコちゃん、おっそいですよ」

「これでも車を最大限に飛ばしてきたのよ! 脩くんには悪いけどね」

「うえ……やばい、気持ち悪い。吐ける、確実に吐しゃ物をまき散らせる」


 金髪のツインテールをして、耳には煌めくピアスをつけた女性とスーツを緩めて地面に膝をついて口元を押さえている一人の青年。あまりのアンバランスに、理玖は目を丸くして唖然としながら二人と馨を交互に見つめる。

 女性の声は、数時間前電話越しで聞いた声に非常に似ている。

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