第39話

「……あ」

『もうないなら切るけど』

「ありますあります! 窃盗です!! 甘羽さんは国が所有する武器ですよね! その武器が、村人に盗まれたんです! うん、これならどうだ!」


 実際には盗まれているのかも不明であるが、それを証明することは出来ない。受話器越しに、楽しそうに笑っている凛子の声と、もう一つ。少し高めの男性の声が響き渡る。凛子の近くにいるのか、男性の笑い声もよく聞こえる。


『せ、窃盗! あはは! それは良い!』

『馨を盗むだなんて、命知らずな奴もいたもんだね。ぷくく、これは。あはは、これを肴にお酒飲めるよ、僕』

『よしきた。丁度暇だったから今すぐそっちに行く。高砂くんも、村に行って。殴られてくれたらそのまま公妨でしょっぴくから!』


 言っていることは最早、横暴に聞こえるほどだ。

 ここでもわずかに異能官と監視官の扱いの差を感じてしまい、理玖はやるせないような表情を見せる。結局、何処まで行っても異能力者の持つ何かと他の者の壁を取り払うことは出来ないのだ。スマホを耳につけたまま、「お願いします!」と見栄を張るように声を上げて告げてから通話を終了する。

 そっと顔をあげて、腕時計を見ては時間を確認する。この場所から村まで、距離はあれども少し歩けばつくような距離だ。凛子たちがどれくらいの時間がかかってここまでやってくるのかは不明だが時間は早いに越したことはない。

 理玖は馨の部屋から出ては、季楽を探して歩き回る。


「佐倉さん!」

「どうされましたか?」

「甘羽さんを、連れ戻しに行ってきます! なので、とびきりに美味しいごはんの準備をお願いしますね!」

「……ふふ、はい。行ってらっしゃい、高砂さん」


 彼女は理玖の言葉を聞いて少しだけ微笑む。全く持って、何も話していないのに何処か彼女は何かを察しているような雰囲気さえも出ている。理玖はそれに気づくこともなく季楽に挨拶をしては、靴を履いて柄にもなく走り出す。

 何故かは分からないが、急がなければいけないと思ったのだ。そして、何故だか。理玖がこの二日間をかけても出なかった答えがそこにあるような気もしたのだろう。何もない自分に、何ができるのかをずっと考えても出ることがなかった答え。

 その答えが、今向かっている場所にあると心の何処かで思っていた。

 否、もしかするとそれは単純に期待をしているだけなのかもしれない。答えがあればいいな、という理玖の淡い願望なのかもしれない。


「……甘羽さんには、何で一人で無茶をしようとしたのかを聞き出さないとね」


 理玖にとって、馨は異能官の甘羽馨でしかないのだ。

 過去には、元死刑囚とか大罪人だとか。今では知る人には犯罪者の片割れだとかいわれていても、理玖にとっては大事な相棒でしかない。それ以外は、必要ないのだ。

 過去の経歴も全て。


「……っ、やっぱりなんかこの村、異様な雰囲気なんだよな。本当に、何年かに一回くらい生贄でも排出してんじゃないかな」


 流れ出す汗を無造作に拭っては息を整える。肩で息をしているのは、彼なりに急いでこの場にやってきた証拠だ。目の前に馨が居れば、失礼だとしりつつも指をさして盛大に腹を抱えて笑っているのだろう。

 その光景が想像出来てしまったのか、苦し紛れに口角を上げて笑う。

 厳しいときやどうしようもないときにこそ、笑う。笑っていれば、どれだけ理不尽でも厳しくてもいつかは乗り越えられると信じているから。その先にあるのが、果てのない暗闇に包まれたものであろうとも。進めばきっと、道は拓けるから。


 ――いや、違う。僕はもう、進む事しかできないんだから。


「それにしても、こんな……本当に人気はないな! 廃村じゃないのかな!?」


 誰も突っ込むこともないその独り言は、あまりにも空しく消えていく。最初この村に来た時とは雰囲気が何処か違うことに対して不安と嫌な予感を感じながらも理玖が人気のない村の真ん中へ急ぐと、そこに居たのは頬を殴られたのか、見事に腫れあがり痛々しい痕跡のある朱鳥が震える手でナイフを持っており。その先には、縛られて髪の毛を無造作に掴まれている馨の姿。

 あの飄々として、過去に起こしてきた事件で誰も傷をつけることが出来なかった甘羽馨がいとも簡単に殴られているのだ。


「甘羽さん!!」


 複数の村人に囲まれている馨を見つけて、腹の底から声を上げる。しかし、それは喧噪の中に飲み込まれて馨まで発せられた声は聞こえることはない。それでも、彼女には理玖が来たという気配と意思だけは読み取ることが出来たのだろう。

 うつむいていた顔をゆっくりと上げて、目の前に居る村人を挑発するように。最大限莫迦にするように笑った。否、嗤ったのだ。


「コイツ、今笑ったのか?」

「家畜以下の存在の癖に、良い御身分だなァ? あはは、本当に最高だよ。こうやって、お前たち異能力者を傷つけようが俺たちは法律によって守られている!」


 村人は後ろに居る理玖の存在に気づかない。

 耳を塞ぎたくなるほどの、汚らわしい声に言葉の数々。異能力者は、ずっとこれらを浴びてきたのかと現実を目の前にしてゾッとする。

 声をあげないんじゃない。


 ――声を、あげれないんだ。


 声に出せない恐怖が目の前にある。

 何をされるのか分からない恐怖が、常に目の前にあるのだ。生きるだけで精一杯な中、声を出すことさえも出来なくなるのは当然だ。人は、辛いことがあると逃げたくなるものなのだ。酷いことをされると分かっているならば、それを回避しようとするものなのだ。それが悪いのかは良いことなのかは分からない。少なくとも理玖には、それらは悪いことには思えなかった。


 ――僕だって、彼らと同じ立場であれば逃げるに決まっている。


 たとえ、何がしたいのか分からなくとも。伽藍洞であっても、死ぬことだけは避けてしまう。空っぽでも、それなりに生への執着はあるものなのだ。何もないくせに、いっちょう前に目の前の命に縋っている。


「ほら、朱鳥が放っておくからこうなったのよ」

「貴方なんて、警察にちょっと言えば一生を刑務所で過ごすことになるのにね。そうなればもう、お母さんに会うことなんて出来なくなっちゃうわね」


 女の声が酷く耳障りに聞こえる。どろり、汚らわしい何かのようにしか聞こえなくなっていく。耳を塞ぎたくなるほどの悪意の中で必死に震えながらも立っている朱鳥が、理玖にはとても脆くて強いもののように映る。

 そこにあるのは、自分には存在しない確かな「自分」を持った姿。ずっと探して、それでも今の今まで。二十年生きてきて、いまだに見つからないもの。


「たく、やり方がわかんねぇんなら手本を見せてやらねぇとな」


 中々馨を刺すことをしない朱鳥にしびれを切らしたのだろう。彼女が震える両手で持っているナイフを無理やり取り上げて、一人の男が舌なめずりをしては馨を視界にいれる。何を行おうとしているのかなど、考えなくともすぐにわかる。

 ナイフを持った男が、思い切り馨の顔を目掛けてナイフを突き刺そうとしたその刹那。


「あ、ぐぅう……っ」

「は?」

「いったいなァ……!」


 馨の前に居たのは、後ろで光景をじぃと見て動けないでいた理玖。

 彼女を庇うようにして前に立ち、咄嗟に顔を庇おうとして前に出ていた左腕にはナイフがぐっさりと刺さっている。顔をゆがめながら腕に刺さったナイフに手を添えてひと思いに抜き取る。幸いにも思ったより深くは入り込んでいなかったのだろうが、それでも理玖の腕は血まみれだ。

 理玖が何かをするだろうとは分かっていた馨だが、まさか身を挺してまで庇ってくれるとまでは思わなかったのだろう。

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