第25話
日葵はそれだけを告げて、そっと持っていた掃除道具を片づけてから次はキッチンへと歩き出す。行うことは、老婆の食事を作ることである。ふと、先日まで作っていた作り置きのおかずを見て首を傾げてしまう。彼女は基本的に、日数に合うように食事を作る。限られた予算の中でやりくりをするために必要なことだ。
それでも残っているということは、老婆が食べれずに残ってしまっているか。
もしくは。
「おばあちゃん、前の作ったものが残っているけど多かった?」
「あ、それはね、日葵ちゃんに残しておいたの。私ばっかり食べているから、日葵ちゃんもちゃんと食べないとダメよ? ほら、あなたは育ち盛りなのだから」
「……うん、ありがとう。でも、これは実はもう食べていたんだ。だから、おばあちゃんで食べきっちゃって!」
「あら、そう? わかったわぁ。じゃあ、今日はそれを食べるわね?」
もしくは、今回のように老婆の善意で日葵に向けて残されている場合がある。もちろん、少しだけ多かったというのもあるかもしれないが。
――今度から少しだけ少なめに作って、足りなければ追加で作った方がいいかもしれないな。
静かに考えてから冷蔵庫を閉じる。
刹那、胃から込み上げてくるような気持ち悪さを感じて急いでトイレへと駆け込む。老婆は、純粋に彼女が用をたしに行ったと思っているのだろう。トイレに駆け込んだ日葵は急いで扉を閉めては、便器の蓋を開けて顔を近づける。
「……うぇえッ、ゲホ、こほ……ッ」
何度もえずくも、そこから出てくるのは唾液や胃液といった液体だけだ。
何度か空えずきをしてからトイレットペーパーを手にして口元を拭う。彼女が、こうなるのは今に始まったことではない。世間一般的に食べられる食材や、完成した料理の匂いを感じてしまうと時折吐き気を感じてしまう体質なのだ。この体質はもちろん、病気などではない。
「はぁ、はぁ……。昔より、マシになったんだけど、なぁ……」
自身の体を蝕む異能力。
その異能のせいで、日葵は生まれてこのかた獣数年。世間一般的な料理を口にすることはおろか、それらの匂いを吸い込むと体が拒否反応を起こしてこのように吐いてしまうのだ。
「私だって、……みんなと一緒に、まともな食事がしたい、けど」
考えたところで、何かが変わるわけでもないということを理解してしまっている日葵はゆっくりと苦笑をしてからトイレの水を流して出てくる。こうなってしまった場合は、一度料理や食材から身を遠ざけるのが一番である。リビングにいる老婆に、冷蔵庫に料理を入れていることと、体調が良くないので自室で眠っていることを告げてその場から立ち去っていった。
異能課事務所から出た馨と理玖は、莉音のアドバイス通りに何も変哲もない普通の一軒家の前までやってきていた。途中、馨の方向音痴が発動したためこの場にくるのに軽く一時間半は要している。
「甘羽さんの方向音痴って、もはや病気じゃないですか……?」
「私も常々思っています。でもまぁ、基本的にナビゲータと一緒に外に出るようにしているので今まで困ったことは特にないんですよね。これからは高砂少年がナビゲータになるんですから、しっかりしてくださいよ」
「自分で頑張ろうとしないあたりがもう甘羽さんで、一層のこと清々しいですよ……。浅海さんによれば、件の少女、脛巾日葵さんはこの家に老婆と一緒に住んでいるとありましたが……」
家の表札を見ても、そこには「脛巾」という文字は存在しておらず、別の名前だ。
本当にここであっているのだろうか、と僅かな不安を感じながらチャイムを押すに押せない理玖を横目に馨は躊躇うこともなくチャイムを鳴らした。普段であれば、顔を青くして間違いであればどうするんだ、などのことを考える理玖であったが今回ばかりはここまでくるのに疲れが勝ってしまったのか馨の行動に口を挟むことはしない。
――もし違ったら、普通に謝ろう、うん、そうしよう。
考えることを八割ほど放棄してしまった理玖は、そっと周囲を見渡す。どこにでもあるような住宅街。一つ言えることがあるとすれば、一時間ほど歩けばホームレス達が多くいる公園や、自殺スポットと名高いあの廃ビルがあるくらいだろうか。目視では遠くに高く聳え立つ廃ビルに息をつく。
「はいはい、どちら様でしょうか?」
「あ、出てきてくれた。すみません、私たち。脛巾日葵さんの友人なんですが、最近彼女の体調が良くないような気がして心配で。彼女、やっぱり今日も体調不良なのでしょうか?」
眉を下げて、心底心配ですと言わんばかりの表情と声色に頭を抱えたくなる衝動を必死で抑えるつける理玖。馨は、身長は女性の平均より僅かに高い程度であるが見目は良く高校生やひどい場合は中学生に間違えられるほどに幼い。加えて、彼女は仕事着として着用しているのはスーツではなく馨が気に入っている私服である。一見すると、まさか成人した異能官とは思うことも少ないだろう。
玄関から出てきた老婆は、馨の姿を見て数回瞬きをしてはそっと近づいてくる。
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