第45話
「もう良いんですか」
「うん。もう、充分だよ」
その表情は何処か、憑き物が消えたように晴れやかな笑顔だった。
ゆっくりとした足取りで、村の出入口までさしかかったその時。馨を呼び止める、凛子の声が静かな空間に響きわたる。単に、彼女が大声を出したの響きやすい声質なのか。
「馨くん、色々と気を付けてね。……あと、君たちはきっと良いコンビになると思う。私と馨くん以上にね! それはそれでちょっと妬けるけど、まぁ。……その時を、楽しみに待っているから」
空いている片手を上げて振り返ることはせずに、返事をする。
馨はそのまま朱鳥に自分に掴まるように告げては、細いその身体の何処にそのような力があるのか理玖を抱えながら器用に風の通り道を造り出してその中へと入り込む。風の通り道に一度でも入ってしまえば、周囲から目視することは出来なくなる。
凛子と脩は、突然消えたように見えた馨に満足そうに笑っては集められた村人たちを一瞥する。二人の仕事はまだ終わることはない。
朦朧とする意識の中で、夢をみていた。
世界を覆いつくすのではないかと思わせるほどの白い雪の中で、寄り添う二人の幼い少女がそこに居た。見た目が大きく違うが、二人の雰囲気は姉妹なのだろうかと思わせるには充分すぎる。そっと二人の少女に視線を向ける。
少女たちは、理玖の存在に気づくこともなく白く小さい手を赤くさせて雪だるまを作る。
――あの女の子、どことなく。
桃色の髪の毛と極彩色のようにも見える美しい瞳を持つ少女は、隣に座っている黒髪の少女を愛おしそうに見つめては微笑んでいる。家族が大事で仕方がない、ということがその瞳や雰囲気を見るだけで分かってしまうほどだ。そしてその面影を、理玖は知っている。
――幼いころの甘羽さんかな。ということは、その隣に居るのは。
『ずっと一緒に居ようね、お姉ちゃん』
『当たり前でしょう。だって、私たちは双子なんだからずっと一緒に居るよ。私が、香のことを守るからね』
幼き頃の、甘羽馨と甘羽香の些細な約束。
子供が交わす約束は、守られずに二人は違えてしまった。何があって、違えたのかは理玖には分からない。それでも、目の前の幼き双子の約束を。あまりにも安心したように微笑んでいる馨のその顔を、その声色を見て。
今でも、何処かで片割れのことを心配して守ろうとしているのだろうかとか。
場面はがらりと変わり、雪の中で一人佇むのは黒髪の少女。殴られたことがあるのか、頬は少しだけ赤くなっている。傍に桃色の少女はいない。
『うそつき』
黒髪の少女の言葉はあまりにも冷たい。
何故だか彼女の感情が理玖の中にも入ってくるような。よく分からない感情で頭がぐちゃぐちゃになり思考がまとまらなくなりそうになっては、自身の額を抑える。必死で、自我を保とうとする。そうでもしなければ、目の前の少女が全てを飲み込まれそうになる。
『ずっと一緒だって言ったのに』
刹那、黒髪の少女の周りが黒く染まっては白い雪が赤く染まっていく。
『だいっきらい』
夢だというのに。幻だというのにやけに生々しい感覚に、血なまぐさい鉄の匂いに意識が浮上する。
「……っは」
「顔が真っ青ですが、大丈夫ですか?」
「良かったぁ……。お兄ちゃん、ずっとうなされてたよ」
上半身を起こして嫌に滴る汗を感じて目を開けると、そこに居たのはタオルを持って心配そうに看病をしていたのだろうと思わせる朱鳥の姿と胡坐をかいてお菓子をパクパクと食べている馨の姿。
部屋は、京都に任務でやってきてから使用している季楽の家の客間だ。
「あ、私は季楽さんに報告してくるね。お粥なら、食べれるかな」
パタパタと持っていたタオルを机の上に置いてから、朱鳥は急いで部屋から出て季楽が居るであろう場所まで走っていく。理玖は、首を傾げては不思議そうに馨を見ている。馨は、直ぐに何が言いたいのかをくみ取ったのか自身のスマホを取り出しては画面を見せる。
そこに映し出されていたのは、理玖の知っている日付から一日経った後の日付。
「……冗談ですよね?」
「まさか。……高砂少年は、あの後風の通り道の中で気絶をして丸一日眠り続けて今ようやく起きたところですよ。随分とうなされていましたが、何か嫌な夢でも?」
机の上に置かれたタオルを掴んで、遠慮もなく理玖の顔を目掛けて放り投げては馨は再びお菓子を食べながら質問をする。分かっているのか、否か。その瞳は、まるで何もかもを見通すような瞳をしている。
もしかすると、本当に分かっているのかもしれない。
「夢、というよりもあれは……」
「もしくは、私の記憶が流れ込んでしまったか、ですかね」
「……そうだと、思います。あの、甘羽さん」
理玖が見た夢、否。記憶について聞こうと口を開いたタイミングでお粥をお盆に乗せてやってきたのは朱鳥と心配そうな表情をした季楽。季楽は、起き上がっている理玖の姿を見て、安堵の息をついている。
馨の告げた、丸一日眠っていたというのは嘘でもなんでもないのだろう。
「はい、どうぞ! 季楽さんが真心を込めて作ってくれたから、しっかりと食べるんですよ」
「でも無理はしないでくださいね。……朱鳥ちゃん、二人はお仕事のことでお話があると思うから少しだけお手伝いをお願いできるかしら」
「はぁい」
ニコリと微笑んで、敬礼のポーズをしてから朱鳥は季楽と共に部屋を出て行く。
あまりにも二人の関係が良好に見えたこともあり、唖然としてしまう理玖。そんな彼に対して、そっと頬杖をつきながらも事の成り行きを説明し始める馨。
「高砂少年が眠っている間に、大まかなことは解決しましたよ」
「でしょうね。……ほんと、何で大事な時に眠ってたんだろ、僕」
「まぁまぁ。……結果的に言うと、佐倉さんは朱鳥さんが犯人であり村人から盗みを強要されていることを知っていました。知っていて、私たちに頼み込んだみたいですね」
馨の口から聞かされる、眠っていた時の出来事。
それは、馨を迎えに村へと向かったその時に考えた推測の一つ。どうやら、理玖の考えた推測は当たっていたらしい。大げさに喜ぶわけでもなく、怪我をしていない右手を胸に添えては嬉しそうに微笑んでいる。
そっと机のところまで移動して、朱鳥が持ってきたお粥を食べるために木製のスプーンを手に取る。
「あの、朱鳥さんはどうなるんですか? ……いくら、村人に強要されていたからと言えども窃盗は窃盗です。ですが、朱鳥さんは異能力者。情状酌量なんて無くて終身刑か下手をすると死刑なんてこともあり得るんですよね」
「普通なら、ですけどね。死刑になんてさせるわけないじゃないですか。勿論、終身刑にもね。そもそも、朱鳥さんの回収を命じたのは伊月室長ですよ? ウチの一員にするつもりはないと思いますけど、異能課預かりになるでしょうね」
「委託所だったんですかね、異能課は」
「さぁ? ……でも、下手に外に出されたり他部署に預けるよりは扱いは酷くないと思いますよ。子供というのはマインドセットが大事と言いますので」
異能官であると言えども、元犯罪者の元で過ごしても良いのか。
そう思う理玖だったが、それを言ったところでニコニコと有無を言わさない表情で無言の圧力をかけてくるであろうと分かってしまって口を閉ざす。口にすることはしていないが、本質などを読み取ることが出来る馨からしてみれば、何を考えて何を思考して黙っていたところであまり意味はないかもしれない。
それでもそれらを行うのは、決して学習能力がないという訳ではない。理玖なりの、無意味な抵抗なのだろう。
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