第217話 敵地潜入⑤

「え゛……?」


 第一位階の天使ともあろう存在が、好悪の情で物事を判断するなど信じられず、思わず”影”の口から引き攣った声が出る。


「アレは中立などと言いながら、俺が苦悩する様を見て愉悦に浸る、くらいは容易くする女だ。昔、をきっかけに、アレの性格は酷く歪んでしまい――先日人間界で偶然言葉を交わした際も、その歪みは変わっていなかった。本来であれば、真っ先に俺の敵に回ってもおかしくないところを、『役割』に忠実であらんと、”中立”を保っているだけだ。そう言う理性的な面は、第一位階の座を賜るに相応しいが、本質は歪んでいる。アレが俺を助けるなど、天地がひっくり返ってもあり得ないだろう」

「そんな……」


 アリアネルが絶望的な声を出す。

 癒しと慈悲を司る女天使は、人間たちの芸術意欲を刺激するのか、画集や彫像などで素晴らしい作品として世にその姿を生み出されている。アリアネルもそれらを何度も目にしたことがあるため、あのモチーフになったと言う美しく優し気な天使が、そんな風に性格が歪んでいるなどとは全く思っていなかったのだろう。


「第二位階……力を持つと言えば、雷天使と光天使だろうが、難しいだろうな。雷天使はプライドが高い。天界にいたころから、序列で敵わない俺や初代正天使に反骨精神を持っていた。光天使は、基本的に争いを嫌う。”中立”を表明するくらいのことはするかもしれんが、表立って俺に協力し味方になることはないだろう」

「では、第三位階は」


 ”影”は焦れるように続きを促す。

 魔王は、少し視線を空へと彷徨わせ、第三位階の天使たちの顔を思い浮かべ――ふと、ある瞬間、わかりやすく顔を顰めた。


「魔王様……?」

「いや……唯一可能性があるとすれば、封天使……だろう。だが、博打要素が強い」

「ば、博打……?」


 普段あまり見ることの無い魔王の表情に、不穏なものを感じ取りながら、アリアネルは恐る恐る尋ねる。

 深くため息をついてから、魔王は億劫そうに口を開いた。


「アレの能力は使い勝手が良すぎるのが問題だ。人間界で悪用されれば尋常ではない混乱を生む。天界であっても、悪用されればリスクは高い。相手を物理的に拘束するだけではなく、魔力を封じたり言論や特定の能力のみを封じたりと、何でもありだ。とはいえ、王都の結界をはじめとして、知恵も文明も発達していない時代の人間たちには必要な能力ばかりだった。リスクばかりを考慮して弱く造りすぎても、役割を果たせない。故に、序列は第三位に留め、他者に利用されないよう、誰とも慣れ合わない排他的な性格に造った」

「なるほど。ルシーニのような感じでしょうか」


 一度、能力を悪用されたために、辺境に住まう偏屈者として造り直された魔族を思い描きながら”影”が尋ねると、魔王は少し考えながら答える。


「いや、ルシーニは封天使の失敗を考慮した改良版だ。ルシーニは、序列意識が明確で俺に逆らうようなことはないが、出来ることなら俺にもなるべく会いたくないと思っているほどの孤独を愛す偏屈だ」

「あぁ……確かに、ゼルカヴィアとして顔を合わせたときも、そんな感じでした」


 滅多に魔王への謁見すら申し込んでこない偏屈者を思い出しながら、顔を顰める。その性格故、数度しか対面する機会はなかったが、いずれの機会でも、他者の視線を拒絶するために目深にかぶったローブのフードを、魔界の序列二位のゼルカヴィアの前でも決して取ることはなかった。

 全身から「自分に関わらないでくれ」というオーラが立ち上っている漆黒のローブ姿は、魔王の前でも変わらない。伝言メッセージを飛ばしても素っ気ない返事が一言、二言返ってくるのみだった。


「封天使は、ルシーニとはやや異なる。他の天使や人間たちを基本的に遠ざけようとする懐疑的な性格で、己の能力を悪用されぬよう何においても慎重に考える傾向があるが、奴の能力を使う機会が多い俺や正天使も遠ざけるようでは困る――と、当時は考えていた」

「パパが封天使の能力をよく使うのは、天使の命を奪う機会があったからだよね。この前、夢天使を拘束してたみたいな感じ?……正天使も、よく使うの?」

「あぁ。正天使は、戦を司る。……聖気を生ませるために、争いが起きないように行動する他の天使達と違い、正天使は避けることが出来ずに起きてしまった争いを最短で治めることが『役割』だ。戦いの中に身を置く者にとって、封天使の魔法は攻守にこれ以上なく役立つ」

「そっか。確かに、学園でも封天使の魔法を使った戦闘術、習ったよ。ただでさえ高位の第三位階の魔法だから、生徒でも使える人は少ない上に、瘴気が濃くて聖気が少ないと使いどころが限られるからって、さらっと応用編みたいな感じで流されちゃったけど。選抜クラスでは、しっかりやってるんじゃないかなぁ」


 アリアネルは秋ごろに座学で習った授業の内容を思い出しながら納得したようにうなずく。


「あぁ。だから、他の天使と距離を置くとしても、俺と正天使には好意的な感情を持って協力要請には素直に応えるような性格に造った。……造った、のだが」


 命天使は、過去を思い出したのか、嫌そうな顔で眉間に皺を刻む。どうやら、珍しく、封天使の生成には後悔が残っているらしい。


「どこで、何を間違えたのかはわからん。だがアレは、最終的に”好意的”という言葉で括るには行き過ぎなくらいに、俺を敬い、讃え、礼賛した」

「へ……?」

「不必要に俺に近づき親愛を示すと造物主の不興を買う、と何度か忠告したが、アレはいつも、俺をこの上なく讃えながら、そんな存在をこの世に生み出した造物主もまたかけがえのない存在であると、感謝と尊敬の念を惜しまなかった。造物主も、見逃すべきかしばらく困惑していたようだが、二代目の正天使を造って共依存の関係を育むようになってからは、何も言わなくなった」

「ぁ……そう……」


 魔王は控えめに言っているが、その表情から、恐らく封天使のアピールは尋常ではなかったのだろうと容易に推察できる。改良版と称したルシーニが、魔王にもなるべく近づきたくないと願うような性格にされたことからも明らかだ。


「で、でも、好意的であることは間違いないんでしょ?だったら、パパに協力してくれるんじゃ――」

「いや。アレは、俺と正天使に協力的であるように、と造った。初代も二代目も正天使の役割に変わりはない。つまり、今でも二代目の正天使に命令されれば、無条件で協力せざるを得ない枷がある、と言ってもいい」

「あ、そっか。うわぁ……厄介……」

「封天使の感情面だけを見れば、当時のままであれば俺に惜しみなく協力するだろう。だが、俺が魔界に堕とされたことをどう捉えているかまではわからない。至高の存在だと讃えていた相手が、不名誉極まりない汚点を着せられて、天界への接触を禁止されて魔界に堕とされたわけだ。上位の存在として認めていたからこそ、裏切られたと思う場合もあるだろう。……雷天使などは、その典型だな」


 逆立つような短髪に、ギラリと光る鋭い瞳を湛えた雷天使の容貌を思い出す。

 序列も実力も敵わず、高いプライドを刺激されながら、いつの日か命天使に認めてもらうために努力を惜しまなかった第二位階の天使は、その偉大な天使の堕天を知って、怒りと侮蔑の視線を投げかけた。

 断罪の日に、唯一己が認めた存在が不名誉な結末を迎えたことに失望したと憤る苛烈な男を、今も昨日のことに思い出せる。


「もしも、俺を敵視するようになっていたり――あるいは、今の正天使に取り込まれ良い様に使われていたりするならば、相手としては最悪だ。正天使は、下位の存在に偽りを許さず真実を話させる魔法がある。仮にこちらの陣営に引きずり込んだとて、情報が筒抜けになるだけだろう。……戦闘になれば、また面倒くさい。アレが使う封印の魔法を打ち破るには、基本的に力押しか、封天使に命じる形で行使する魔法で解呪を施すしかない。魔界勢力で後者が可能なのは俺だけだろう。前者については、魔王城にいる者であれば、ヴァイゼルが死んだ今、ゼルカヴィア、オゥゾ、ルミィ、ミュルソスくらいだ。どちらにせよ、今のお前たちには不可能、という結論になる」

「そんなぁ……」


 アリアネルが哀しそうな声を出すが、魔王は厳しい顔で更に続ける。


「だから基本的に、第五位階以上の天使と遭遇すれば、戦闘を避け引き下がれと言っている。協力を仰ごうなどと余計なことを考えるな」

「ぅ……はぁい」

「その中でも、封天使は厄介だ。お前たちでは、打ち倒すことは勿論、無事に逃げおおせることすら危うい。その気になれば、扉に通常よりも強力な封印をかけて、人間ごときが扱う魔法では解錠できぬようにしてしまえばいいわけだからな。あとは、誰も助けに来られない環境で、ゆっくりと料理されるだけだ」

「ぅ゛……」

「お前たちのような脆弱な存在を閉じ込め無力化する方法など、無数にある。封天使の存在が確認されたら、隠密行動など関係なく、使えるものは全て使って脇目もふらず一直線に帰ってこい。これは命令だ」

「はぁい」


 序列の外にあるため、好きに振舞うことを許されているアリアネルに、強い言葉で『命令』と示すからには、魔王はどこまでも本気なのだろう。

 アリアネルは少し唇を尖らせながらも、素直に頷いたのだった。

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