第150話 神殿③
厳かな雰囲気が広がる礼拝堂の見学を終えたあと、石畳の通路の途中で神官が立ち止まる。
「ここにあるのが、施設の案内図です。一般公開されている部分に関して、詳細に記されています。当然、研究施設には外に出せない機密事項も多く保持されていますので、公開はされていませんが……こちらを見ていただくだけでも、神殿がいかに一般の聖なる気を持つ善良な市民に門戸を開いているか、理解していただけると思います」
周囲の雰囲気に溶け込むようにして造られた案内板を指しながら、柔和な笑みで解説する。
(やっぱり、授業で使う教本の方が詳細に書いてあるんだ。念のため、記録石に撮って来てよかった)
選択クラスのメンバーは、将来、神官になることが決まっていると言っても過言ではない。そのメンバーにしか開示されない教本には、一般公開されていない情報が載っていても不思議ではなかった。
まだ授業で習っていない箇所まで、事前に教本を読み終えてしまったアリアネルは、最後の参考資料集に載っていた研究施設内の中まで描かれた概略図を、記録石に撮って持ってきていた。
勿論、たかが教本の参考資料に過ぎぬそれには、機密情報が保存されている場所がどこか、といった内容までは書かれていなかったが、概略図だけでも持っていれば、忍び込んだ先で迷子になる、という事態だけは防げるだろう。
頭の中にある図面の中身と目の前の簡略化された案内図を比べながら、アリアネルは神官が導く通りに足を進める。
「さぁ、ここからは長い長い階段となります。無理せず、ゆっくりとついてきてください。高い所が苦手な方は、下を見ないことをお勧めします。体調が悪くなった方は遠慮なく申し出てくださいね」
「ぇ……わぁ……」
思わず、目の前の光景にアリアネルは驚きの声を上げる。
まるで、何かの嫌がらせかと思うほどの長い長い階段が、聳え立つ高い塔にぐるりと巻き付くようにして続いていた。
真下から塔のてっぺんを見上げようと思っても、先が見えないくらいだから、これを登ろうというのはなかなか大変だ。
「これ……一般人が登ってるの……?」
隣でマナリーアも、引き攣った声を上げている。
特待クラスの自分たちは、普段から戦闘訓練も課されているため、相当体力があると自負しているが、一般市民がこの長い階段を上るなど、にわかに信じられない。
「お気持ちはわかります。やはり、童話の印象が強いためでしょうか。見学を申し出る一般市民の方々は、皆この塔をぜひ見たいとおっしゃるのですが、この階段を見て、ため息とともに諦めてしまう方も非常に多いですよ」
「まぁ……だろうな……」
神官の解説を聞いて、シグルトも苦い顔で呟く。
「昔から、邪念がある者はこの塔を登り切れぬ、と伝わっています。途中で『やっていられない』と思い挫折してしまうからです。我々神官も、最低限の手入れのために立ち入るだけで、そう頻繁に訪れる場所ではありません。長い階段をのぼりながら、己の人生や行いを顧みる内省の時間としてください。頂上に着くころには、煩悩など全て消え去っています」
神官は解説を締めくくると、そのまま口を閉ざして黙々と先頭に立って階段を上り始めた。
案内役が年若い青年に任されている理由をここへきて初めて理解しながら、生徒らも腹を括って足を踏み出す。
一般市民の中にさえ、この階段を踏破する者があると言うのだ。まさか、天使に選ばれし自分たちが、弱音を吐くことなど出来まい。
そうして、長い長い苦行の時間が始まるのだった――
◆◆◆
ぜいぜいと、あちこちから苦し気な声が響いていた。
最初は固まって登り始めたはずの一行は、徐々に差が開き、列が縦長になっていく。階段の途中で座り込んで立ち上がれなくなる者もいるようだった。
(階段は一本道だから、ここで逸れることは出来ないけど……見学はここで最後、って言ってたし、時間的にも、塔の頂上で解散して、各々のペースで広場に戻ってお昼休憩になるはず。頂上から降りてくるときに、疲れた、とか、頂上に忘れ物をした、とか言って、途中で列を離れれば、単独行動できるかも――)
疲労の色を濃くして己のことで手いっぱいになっている生徒らを見ながら、アリアネルは冷静に算段を付ける。
「っは……は……アリィ、大丈夫?」
「え?」
「これだけ体力使い果たしてくると、ポジティブにはなれない生徒も多いだろうから……もしかして、瘴気に当てられてない?」
「あぁ……うん。そもそも、脱落者も多いからかな。傍に人もまばらだし――今のところは大丈夫だよ。心配してくれてありがとう、マナ」
「そう。それなら、いいんだけどっ……」
むしろ、肩で息をしながらも友人を気遣うマナリーアから放たれる聖気で、やや息苦しいくらいだが、笑みの形を作って答える。
この嘘は、ばれても問題ない。相手は勝手に、本当は瘴気が蔓延しているのをアリアネルが気丈に我慢しているのだろうと、誤解してくれるだろうから。
「ほら、マナ。お前、人のこと心配してる場合か?ったく……病弱なアリィより体力がないってどういうことだよ」
見かねたシグルトが振り返り、マナリーアへと手を伸ばして助けてやると、マナリーアは一瞬躊躇した後、憎まれ口を叩きながらその手を大人しく取った。
「う、るさ……!アリィは、病弱っていうか、瘴気に弱いだけで、それがないときの試験の結果だけ見たら、普通に体力お化けでしょ……!」
「お化けって……酷いなぁ……」
あはは、と軽く笑って引き続き上を目指す。
戦闘については、物心つく前から、ゼルカヴィアや魔王城の魔族らに徹底的にしごかれてきたのだ。特に、将来男の勇者と戦うことを考慮して、長く重い武器を使った戦闘訓練ばかり積んでいたせいで、筋力も体力も随分とついている。
その戦闘スタイルは、ゼルカヴィアからは散々、大味な戦闘だと皮肉られてきたが、その分、身の丈以上もある大きな斧や槍を片手で軽々振るえるほどになったのだ。
仮に、聖気や瘴気といった双方にアドバンテージが一切ない空間で、シグルトと魔法無しの肉弾戦で戦ったとしても、力で押し負けて勝負にならない、ということはないだろう。
勇者は、前線で一行の道を、剣と魔法を駆使して切り開く存在なのだ。後方支援型としての能力に特化して訓練を積んできたマナリーアとは、体力面で大きく差があるのは仕方がない。
「っていうか、こんな高い塔っ……『聖なる乙女』も、困るじゃない……!」
「え?」
「正天使様の手で神殿に預けられた後、愛を司る天使様が迎えに来るまでしばらくはここで暮らしてたんでしょ……!?日常生活、困らなかったのかしら!?まったく……!レディへの扱いがなってないわ!」
「言われてみればそうだな。学術書の記述を見ても、『聖なる乙女』は実在していたことはほぼ証明されているし、神殿にいた期間も、半年から一年程度だったんじゃないかって考察を見たことある」
「そうなの!?知らなかった……」
シグルトの補足に、アリアネルは素直に驚く。
さすが当代の勇者候補だ。この長い階段でも、さほど息を乱していない。
片思い中の少女が息を切らしていないのに、自分が情けなく息を切らすわけにはいかないとやせ我慢をしている可能性がないわけではないが。
「『聖なる乙女』が暮らしてたのは、塔の一番上の部屋なんだよね?じゃあ、そこにお風呂もトイレもあったのかな」
「そうだとしても、食事には困るだろ。仮に部屋の中にキッチンみたいな設備がついてたとしても、食材は下から運び込まなきゃいけないわけだし――」
「あ、そっか。……変なの。それまで滅多に人間の前に姿を現さなかった正天使が、公の場に堂々と顕現して、乙女を預かるように言いつけたんだから、普通、最上位の待遇でもてなすよね?」
「だろうな。実際、おとぎ話でもそう書かれてることが殆どだし。……乙女自身は、どれだけチヤホヤされても、神殿や人間の暮らしに馴染めなかった、って話だけどな」
「うぅん……召使みたいな人がついて、至れり尽くせりの生活をさせるにしても、絶対こんな塔の上よりも地上に近い所の方がいいよね。不思議……」
息を弾ませることすらなくシグルトといつも通りの調子で会話を交わした後、アリアネルは難しい顔で考え込む。
人間同士の戦争において、絶対の勝利を確約してくれると言う正義と戦を司る天使の存在は、当時はまだ公の場に顕現したという記録はほとんどなかっただろうが、伝承というレベルでは伝わっていたはずだ。初代正天使の肖像が、少ないながら世界各国に残っているのはその名残だろう。
「正天使が歴史上初めて加護を付けたって言われるくらいだからな。その身から放たれる聖気量は凄まじかった、って話だし、贅沢とか興味なかったんだろう。清貧を愛して――ついでに幼い頃から面倒を見てくれた正天使を愛して、少しでも天使に近いところで過ごしたいって言って、自ら塔にこもった、とかじゃないか?天界は空の上にあるってのが通説だし」
「うぅん……仮に、乙女本人がそう望んでも、当時の神官の人たち、そんなあっさり従うかな?だって、正天使の機嫌を損ねたら、自分たちの国が戦争で大敗して大変なことになっちゃうかもしれないんでしょ?正天使も、太陽の樹と一緒に、いつか迎えに来るって言葉を残してたんだし――その時、乙女が殺風景な塔で日常生活に困ってるような環境に置かれてたら、反感買っちゃいそうで怖くない?」
「う……いや、そのときは、なんとか乙女本人に弁明してもらおうとしたとか」
「えぇぇ……流石に、楽観的すぎない?」
互いに正天使の加護を持つ二人は、先の見えない階段を登りながら議論を交わす。
「だって、状況から考えたら、当時の国一番の賓客と言っても過言じゃないでしょ?そんな人の棲み処としては、やっぱりこの塔は、ちょっとおかしくない?」
「ぅ……いや、でもさ……」
「だって、こんな温かみのない殺風景な石造りの高い塔――これじゃ、賓客をもてなすっていうよりもまるで――」
言いかけて、アリアネルは口を閉ざす。
「……アリアネル?」
「ぁ……うぅん。なんでもない」
シグルトの気遣わし気な声に、慌てて首を振って誤魔化す。
(まるで、幽閉するみたい――って、言ったら、さすがに神官たちに目を付けられちゃうよね……)
チラリ、と少し先を行く神官の背中を見る。こちらの声が届いているかどうかは怪しいが、危ない橋を渡ることはないだろう。
アリアネルは、もう一度天を振り仰ぐ。
地上から見たときは雲の上にあるのでは、とすら思ったその頂上が、少しずつ近づいているのが分かった。
(聖なる乙女は、森で育ったから、自然や動物を感じられないこの石造りの建物は、とても殺風景で寂しいものだったんじゃないかな。そもそも、赤ん坊のころからずっと森で暮らしてたなら、初めて見た自分以外の人間って、森を焼いたエクスシア帝国の兵士だったんじゃない……?もしそうなら、正天使も本当に迎えに来るかどうかわからない中、森を焼いた人間たちに囲まれて、不安でいっぱいだったはず。そんな時に、こんな高い塔に入れられたら――閉じ込められた、って思っちゃいそう……)
自分と同じ名前を持っていたという、はるか昔に実在した乙女の心情を想って押し黙ると、後ろから荒い息のマナリーアが口を開いた。
「正天使様に、赤ん坊の時点で見初められたくらいの乙女だもの。……きっと、アリィと同じ体質だったんじゃない?」
「え……?」
肩で息をしながらも、勇者としての資質を持つ二人のペースに食らいついてくるのは、マナリーアの意地なのかもしれない。
ふーっと息を吐いてから、少女は手の甲で額の汗を拭って考えを口にする。
「神官になるには厳しい試練があって、いくら神殿内が聖気で満ちているって言っても、中にいるのは”人間”でしょ?私たちの特待クラスの中でも、アリィが体調を崩すことがあるように、選び抜かれた神官たちに囲まれてても、瘴気を敏感に感じ取っちゃう体質だったんじゃないかしら」
「あぁ、なるほど……!だから、『邪念がある者は登れない』塔なのか!」
シグルトは手を打って頷く。アリアネルは、ぱちぱちと眼を瞬いた。
「この塔をくじけず登り切ることが出来るのは、この苦しみの果てにいる乙女を純粋に想う者だけ――魂が綺麗で、瘴気を発しない人間しか、乙女は傍に置けなかった。むしろ、地上でたくさんの人に囲まれてちやほやされてたら、瘴気が生まれやすくて、乙女は苦しくて生きていけなくなる――そういうことだな!?」
「そういうこと。そう考えれば、こんな無駄に高い塔を造った理由も頷けるでしょ」
どこか勝ち誇ったようにマナリーアが言うのを、シグルトは素直に感心して納得しているようだ。
(う……うぅん……本当に、そう、かな……?)
アリアネルは空気を読んで言葉を発せず飲み込むが、釈然としない気持ちを抱え込む。
気になっているのは、父が発した言葉――
『聖気に満ちた王都の中で唯一、鼻に衝くような瘴気を纏う人間が息衝く場所――それが『神殿』の真実だ』
その言葉の意味するところをぼんやりと考えながら、アリアネルは最後の一段を登り切った。
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