第149話 神殿②

 実際に足を踏み入れた神殿と呼ばれる施設は、事前に授業で習っていた通りの造りをしていた。


「御覧の通り、神殿は線対称を意識して造られた建築物です。太古の時代、顕現された天使様の偉大なる魔法によって造られてから、どれくらいの時間が経ったか詳細は不明ですが、当時から変わらず、数多くの心の清らかな者たちが、ここを聖地と崇めて来訪します。今、皆さまが見ているここが、俗に大衆広場と呼ばれている場所です。来訪者が一番最初に目にする、いわば神殿の顔のような場所です」


 白装束に身を包んだ、年若い青年神官が丁寧に説明してくれるのを聞きながら、アリアネルは気づいたことを手元のメモに書き込んでいく。


「広場を抜ければ、左右に道が分かれます。本日は、一般の来訪者にも開放されている向かって左の施設を中心に見学していただきますが、皆さまの中には、卒業後に神殿に勤める方もいらっしゃるでしょう。その方々は、研究が主目的となっている右手側が、人生の大部分の時間を過ごす施設となりますね。なるべくゆっくりと歩きますので、今日は、くれぐれもはぐれて右手側に立ち入らないよう注意してくださいね」


 青年の言葉に、アリアネルは施設全体に興味がある振りをしながらぐるりと周囲を見回す。

 卒業見込みの上級生らと、アリアネル、シグルト、マナリーアの三名。学園から付いてきた引率の教師と、案内役の若い神官の補佐を任されているらしき集団の後ろにぴったりとついて回っている年配の神官。

 さすがに、この団体行動の最中――それもこんな最序盤で、個人行動をして立ち入り禁止区域に入ろうと画策することは難しいだろう。


(まぁいいや。どこかで隙を見つけるとして、今は見学に専念しよう。一般公開されているところにも、何かのヒントがあるかもしれないんだし)


 胸中で呟きながら、改めて施設の全体像を仰ぐ。

 王国の歴史よりも長くこの地にあったという建築物だというのに、全く古びた様子がない。まるでついこの間造られたばかりだ、と言うような顔で聳え立つのは、どこもかしこも真っ白な石造りの巨大な施設だ。


(何か、建物自体にも老朽化を防ぐような魔法が掛けられてるのかな……?石造り、ってことは、地天使の魔法で作ったのかも……この辺りは、パパに聞いたら教えてくれるかな……?)


 顔を合わせることが少ないせいで、以前のように父に日々の中で生じる疑問を尋ねる機会はぐっと減ってしまった。メモの中にしっかりと、次に会ったら聞きたいことを書き込みながら、アリアネルは再び広場をぐるりと見回す。


「すごい、見事な彫刻ね。見て、あの有名なアダンの代表作って書いてあるわ」


 マナリーアが、広場の中央に据えられた噴水の彫刻と足元のプレートを交互に見ながら感心したように口を開く。

 アリアネルもつられて覗き込むと、黄金のプレートには、歴史的にも著名な芸術家の名前と共に、作品名として『人類を導く正義の天使』と彫られていた。


「正天使――これが……」


 ぽつり、と口の中で呟きながら、アリアネルも改めて巨大な彫像を見上げる。

 幼いころにゼルカヴィアから読み聞かせるようにして見せてもらった天使の分厚い図鑑に載っていた絵画と、外見特徴に大きな違いはない。

 戦争の歴史と縁深い天使のせいか、手には剣を持ち、暑いと噂の天界に暮らす天使らしく、露出の多いぞろぞろとした衣服の下から除くのは、雄々しく逞しい身体付き。大きな翼を広げ、今にも飛び立たんとする迫力は、さすが稀代の芸術家と言われたアダンの作品というところか。

 髪が短いところを見るに、これは二代目正天使を象った像なのだろう。

 

「さっすが第一位階の天使様。誰もが納得する美形だわ。私もこんなイケメンに加護を貰えたらなぁ……」

「治天使様も第一位階だろ。俺、こないだ初めて見たけど、相当な美人だったじゃねぇか」

「そりゃぁそうだけど。治天使様は女性じゃない。イケメンにキスしてもらうのとは訳が違うわ」


 ぶすっとした顔でぼやくマナリーアに、シグルトは呆れた半眼を返す。どうやら理解できない感覚らしい。

 もう一度像を見上げたシグルトの横顔に、複雑な影が落ちているのを見つけ、アリアネルはそっと少年の傍に寄り添った。


「――似てる?」

「へっ?わっ――あ、アリィ!」


 超至近距離から発せられた想い人の可憐な囁きに、シグルトは飛び上がる思いで振り返る。

 天使も舌を巻く美少女は、幼気な少年のトキメキになど気づいた様子もなく、声を潜めて続けた。


「この、正天使像。……私は、正天使を見たことがないから」

「あ――あぁ……うん。だいぶ、似てる。そっくりだ。アダンは、生涯のどこかで本人を見たのか?ってくらいに」

「そうなんだ……」


 少年が、周囲に正天使と出逢ったことがある過去を隠していることを知っているからだろう。アリアネルの配慮に気付いて、同じく声を潜めながら答えると、少女は一つ頷いてからもう一度像を見上げた。

 晩年の全てを天使像の制作に費やしたと言う稀代の芸術家アダンは、『私の仕事は石の中にいる天使を救い出すことだ』という彼が遺した名言に象徴されるように、作品の殆どを大理石の彫刻で残しているという。

 今、目の前にそびえる白皙の像も又、大理石の中からアダンによって救い出された天使なのだろう。


 少し上方を睨みつけるような細く鋭い眼光は、図鑑のカラーが正しければ、燃えるような緋色をしているのだろうか。耳に少しだけかかる程度の長さの髪は、躍動を表すような動きを持って石造りとは思えぬリアルな質感を醸す繊細さで象られているが、きっと、本物は陽光をはじくような黄金の色をしているのだろう。


「どう?さすがにパパ以外の男の人に興味がないアリィも、こんなイケメンの眷属になれるって思ったら、思わずときめくんじゃない?」

「え?……あぁ……まぁ、確かに美形だなぁとは思うけど――」


 マナリーアが悪戯っぽく揶揄するのを聞いて、改めて像を客観的に眺める。

 確かに、造られしもの故の非現実的な美しさがそこにはあったが――


「うん。――パパの方が、絶対格好いい。何倍も格好いい。全然ときめいたりはしないかな」

「えぇぇ……嘘でしょ。それは絶対嘘でしょ」


 マナリーアは呆れかえった声を出すが、アリアネルの横顔は微塵も迷いがない。

 隣ではなぜかシグルトが頭を抱えているが、気にせず少女はじっくりと大理石の彫像を観察した。


(もし、シグルトが言うように、本当にアダンが本人を見たことがあったんだとしたら、これは殆ど本人と一緒ってことだよね。……剣を掲げてるってことは、武器は剣が使い慣れてるってことかな。パパは、魔族を処断するときも固有魔法を使うことが多いし、武器を携帯してどこかに出かけてるのを見たことがない。殆どの天使と魔族の全ての名前を把握してるから、仮に戦うことになっても大丈夫ってことなんだろうけど――正天使は、剣も魔法も使う、ってことなのかな)


 冷静に頭の中で分析する。

 アリアネルが世界で一番大好きな家族に、明確に敵対意識を持ち、その命を脅かさんと今日も虎視眈々と狙っているのが、この像の主なのだ。

 家族の敵は、アリアネルの敵だ。

 万が一戦いになった時のことを考えて、アリアネルは心づもりをしっかりと行う。


(第一位階の天使に、実力で敵うなんて思ってないけど――でも、天使が自由に動けない魔界で遭遇するなら、地の利を生かして一矢報いることは出来るかもしれない。対等に戦うことは出来なくても、せめて、”寵愛”を与えようと近づかれたときに、抵抗するくらいはしたいもの)


 ”寵愛”を与えられてしまっては、名前で行動を縛られることになると言う。そのまま天界に連れて行かれてしまっては、もう二度と、魔界の地を踏むことは出来ず、魔王やゼルカヴィアらに逢うことも出来ないだろう。


(ただでさえ、私がパパたちの傍にいられるのは、数十年しかないんだから、せめてその間だけは、余すことなくずっと、皆の傍にいたい。パパが許してくれるなら、十五歳を過ぎてからもずっと魔界で暮らさせてもらって……そうしたら、容易には”寵愛”を与えることなんて出来ないだろうし、仮に正天使本人が魔界に踏み込んできたとしても、私だって抵抗くらいは出来るかもしれない)


 ぎゅ……と我知らず拳を握り締める。

 もしも、アリアネルの魂が善良であると確信して、不慮の死を迎える前に、と十五を過ぎてすぐに連れ去られでもしたら、あと二年もしないで、家族と永遠の別れを迎えるということだ。

 それだけは、避けたい。


 ”寵愛”を与えられれば、命の期限は”永遠”へと昇華する。

 永く果てしない時間を――気が遠くなるほどのその時間を、愛しい人に一目会うことすら叶わないどころか、彼らを害すことを強制され続けるなど、とても耐えられる気がしない。


(しっかり顔を覚えておこう。万が一この天使と人間界で遭遇したら、絶対に勝てないし、抵抗だってさせてもらえない。人間界で見かけたら、すぐに逃げて伝言メッセージを飛ばして――ゼルに迎えに来てもらって、魔界に逃げ込む)


 する……とお守り代わりに渡された指輪を、無意識に撫でる。

 ゼルカヴィアの戦闘力は、第二位階の天使と同程度と聞いた。仮に正天使と交戦することになったとしても、彼に勝ち目はないだろう。

 危険を背負わせてしまうことになりかねないのは、重々承知している。

 だが――ゼルカヴィア以外に頼ることは出来ない、というのが現実だ。


(パパには頼めない。……正天使の狙いは、パパだから。パパが負けるなんて全然思ってないけど、直接対決するなんてことになったら、パパのことが憎くて堪らない正天使は、何をしてくるかわからない。人間界にだって影響が出るだろうし、それを気に留めるような人格者とは到底思えない)


 だが、偉大なる父は違う。

 世界のバランスを保つことが己の役割だと捉え、その役割を果たすために何万年も己を律して生きてきたのだ。

 自分たちの酷く個人的な諍いで人間界を荒らすようなことは避けようとするはずだ。

 そして何より――これほどまでに明確な敵意を向けられ、命を狙って人間を絶え間なく送りつけてくる正天使を、魔王は何千年も放置し続けている。

 それはつまり、曲がりなりにも『正天使』という役割がこの世界にはまだ必要だと思っているからだろう。


 正義と戦いを司り、人間界を治める天使が――


(天界を追われてからは、天使は造ってないって言ってた。もしかしたら、今のパパには、天使は造ることが出来ないのかもしれない。だとしたら、『正天使』と直接的に戦うことを避けてきたパパの心情もわかる……きっと、そんなパパに助けを求めても、来てはくれないよね)


 ほんの少し寂しい気持ちはあるが、さすがにそこまで驕っていない。

 取るに足らない、気まぐれで拾っただけの脆弱な人間の子供の命と、世界の安寧。

 その二つを天秤にかけたとしたら、あのどこまでも厳格な父であれば、きっと迷うことなく世界の安寧を取ることだろう。

 少女の誕生日や年齢にすら興味がなく、名前も憶えているか怪しいくらいの関心なのだ。

 そんな魔王の慈悲に縋るのは、現実的ではないだろう。


(だから、もし助けを呼ぶならゼルしかいない。来てくれるかな。……ううん。きっと、来てくれる。口では色々言うけど、ゼルはお兄ちゃんと一緒で、本当は物凄く過保護で優しいから)


 最後に”お兄ちゃん”に逢った時に、蒼い顔で必死に心配してくれた姿を思い出し、口の端に笑みを浮かべる。

 彼は、ゼルカヴィアの”影”だ。

 ゼルカヴィアと思考を同じくする彼のあの様子は、きっと、ゼルカヴィアの想いと同じなのだろう。


「広場の見学は十分でしょうか?それでは、次は礼拝堂を経由して、最後に『聖なる乙女の塔』と呼ばれている場所へと行きましょう」


 案内役の神官が声をかけるのに導かれ、アリアネルも足を向ける。

 視界の先には、天まで届くと錯覚するほどの高い高い塔が聳えていた。

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