第148話 神殿①

 厳しかった夏のギラギラした陽射しが和らぎ、風が秋の訪れをやんわりと教え始める晩夏のころ。

 当然のように初夏の統一試験で最優秀成績を修めたアリアネルは、二位のシグルトと三位のマナリーアと共に、上級生らに混じって一年早く神殿見学に参加していた。


「アリィ、大丈夫?王都と神殿だから、いつもより体調は良いと思うんだけど」

「う、うん……時々、ちょっと苦しいときもあるけど、大丈夫だよ」


 神殿前の広場に到着してすぐに、心配そうな顔で覗き込んでくるマナリーアに、ドキリ、と心臓をはねさせながら答える。


「お前、昔は王都に住んでたんだろ?それでも支障が出たから人がいないあの山奥に来たって聞いたぞ。王都だからって平気なわけじゃないんだろ。無理はするなよ」


 胸のあたりを抑えて困ったように笑いながら言うアリアネルを気遣ったのだろう。シグルトが声をかけると、マナリーアもハッと口を抑えた。


「あ、そっか。そうだったわね。っていうか、世界で一番聖気に満ちてると言っても過言じゃない特待クラスの中でさえ、倒れることがあるんだもん。そりゃ、王都や神殿だからってだけで安心は出来ないか」

「あ、ありがとう。シグルト、マナ」


 友人を騙しているようで後ろめたいが、都合よく解釈してくれるものを敢えて正す必要もあるまい。

 アリアネルは二人に礼を言って、ふぅっと深く息をついた後、軽く左手で口元を覆って息を吸う。

 その中指が、キラリと陽光を反射したのを見て、マナリーアがうっとりとため息を漏らした。


「何度見ても、素敵ね、その指輪。深い――藍色?なんとも形容しがたい吸い込まれそうな不思議な色……お父さんに貰ったんでしょう?」

「うん!パパが私に贈り物をくれるなんて滅多にないから、すっごく嬉しいの!」


 中指に嵌まった指輪を大事そうに抱えながら、ぱぁっとアリアネルが太陽を思わせる笑顔で笑う。

 邪気ゼロの、魔界の上級魔族らすら懐柔したその笑顔に、シグルトもマナリーアも思わずたじろいだ。


「そ、そうか……よかったな」

「うん!えへへ……これなら毎日身に着けられるから、御守り代わりにするの!」

「そ、そう……アリィが良いなら、それでいいのよ」


 相変わらず、少女は"パパ"の話になると人が変わったように明るく饒舌になる。今年の太陽祭も例年のごとく報われない失恋の仕方をした男子生徒らには可哀想だが、病弱な少女からこの太陽のような笑顔を引き出せる唯一の存在が"パパ"なのだとしたら、諦めるしかないだろう。


「相変わらず、筋金入りのファザコンっぷりが凄いわね……」

「誕生日も祝ってもらったことはない、滅多に家に帰って来ることもない、基本的に無口で塩対応――って、言ってたよな?アリアネルはそんな父親の何がいいんだ……?」


 指輪を見つめてうっとりしているアリアネルに聞こえないように、コソコソと二人で話し合う。


「でも、最高に格好いいんでしょ?ゼルカヴィアさんやこないだの執事長なんかとは比較にならないくらい格好いいって言ってたから。まぁ、もし本当なら、それ本当に人間?ってレベルだけど」

「いや、さすがにそれは身内の贔屓目があるだろって思ってるぞ俺は。……贔屓目であってくれ、頼むから」

「でも、誕生日でも特別な何かがあった日でもないのに、ポンと高そうな指輪を買ってくれるのよ?あれ、石は小さいし見たことない宝石だけど、あの透明感と見事なカット……絶対に超高級品でしょ。台座も純金っぽいし」

「ぅ……」

「アンタ、大丈夫?顔も良くて経済力も桁違いで、アリィをあんなに喜ばせられるプレゼント力まである人に勝たなきゃなのよ?」

「ぅぅぅ……言うな、考えないようにしてたのに……!」


 頭を抱えて絶望的な声を出すシグルトのことなど露知らず、アリアネルは上機嫌で中指にキラリと光る指輪を眺める。

 マナリーアやシグルトが見たことがない石――というのも当たり前だろう。

 この台座に嵌められた石は、魔族らが竜の棲み処から研究用にと持ち帰った魔水晶だ。


(今日は、ミヴァがいないからって、パパがミヴァの魔法を閉じ込めた魔水晶を指輪にしてくれたんだよね……小さいから、数回分の魔法しか込められないって言ってたけど、パパの優しさがわかるから凄く嬉しい)


 冷ややかな目をした魔王が、魔族を生むため地下に籠もる直前に、戯れのようにひょいと指輪を寄越された日を思い出すだけで、頬が際限なく緩んでしまう。

 

 魔王の不在が続くことで、その間の政務は全てゼルカヴィアが請け負うことになったが、どうしても魔王に対応してもらわねばならないこと、というのは生じる。さらに言えば、暴走によって処断される魔族が増えているということは、慢性的な人不足に陥っていると同義だ。最高権力者の不在というのは、それなりに不和を生んでしまう。

 結果、魔王とゼルカヴィアが協議を重ね、一度、処罰については、一定以上の能力を持つ上級魔族らに任せる方針にしよう、となったのだ。

 ゼルカヴィアが抱いていた、不平等が生まれるのではという懸念については、ゼルカヴィアの下から序列順に対応する、ということで配慮することにしたらしい。

 基本的に、魔族の序列は戦闘力と殆ど同義だ。仮に平定に向かった先で、ヴァイゼルのように遣いに出した上級魔族までもが暴走してしまったとしても、ゼルカヴィアが城に残っていればゼルカヴィアが討伐に向かうことで事を治められる。勿論、暴走せずに処罰を完了させて戻って来れば、一つの実績となるのだから、次の処罰対象についても積極的に派遣されてしかるべきだ。

 このシステムであればゼルカヴィアが城に残って政務に従事する理由にもなるため、理に適っていたのだろう。魔王も、彼が直々に赴かずとも、処罰対象であると断じる業務だけで良くなった。

 そうして浮いた時間を、新しい魔族を生む時間に当てるらしい。今まで処断した魔族の中には、力のある重要な魔族も多く、人材の穴埋めは急務だった。


(おかげで、前に言ってた通りミュルソスも人間界の拠点から引き上げちゃったから、今はあの御屋敷も無人になっちゃったけど……でも、魔界の危機だもん。協力し合って対処することの方が大事だから、仕方ないよね)


 思い出もそれなりにある屋敷が、ひっそりとしてる様は寂しく感じられてしまうが、大事の前には仕方のないことだ。

 

「あっ、そろそろ全員集合したみたい。行こう、マナ、シグルト」


 神殿の代表者らしき白づくめの人物が手を上げているのを見て、ひそひそと何かを話している二人組を振り返って声をかけた。

 そっと指輪を撫でて、いつでも魔法を展開できるように心づもりをする。

 今日は、何としても魔界に有益な情報を持ち帰らねばならないのだから、濃密な聖気に当てられ、倒れている場合ではないのだ。

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