第151話 神殿④

 たどり着いた先にあったのは、よく言えば華美な装飾がない――悪く言えば物寂しい――分厚い扉だった。

 ここは、宗教的にも歴史的にも貴重な建物だ。部外者の侵入を阻むためだろうか、分厚い閂が嵌められていて、厳重に施錠が施されている。


(でもやっぱり……賓客が暮らす部屋っていうよりも、まるで、牢屋みたいって、思っちゃう……)


 後ろから遅れてやってくる生徒を待つ間、案内役の神官が息を整えながらその施錠を外しているのを視界の端に認めて、アリアネルは胸中で呟いた。

 

「ここまでで大丈夫です。後の生徒は、下で待つことになりました」

「そうですか。では、中に入りましょう」


 学園から引率者として就いてきていた教師が伝えると、毎年のことで慣れたものなのだろうか、若い神官はあっさりと頷いた。

 結局、脱落せずにこの部屋までたどり着けたのは、参加者全体の半分程度しかいないようだった。


 ギィ……と古びた蝶番が耳障りな音を立てて、大人の男が全力を出さねば開かないくらい重い扉がゆっくりと開く。

 ごくり……と唾を飲み込んだ後、アリアネルらはメモを片手にそっと部屋の中に足を踏み入れた。


「こちらが、一万年以上前に、聖なる乙女――アリアネルという名前の少女が暮らしていた部屋です」


 青年神官の説明に、生徒らの中から小さく歓声が上がる。あの苦行を耐え抜いた先で、幼いころから慣れ親しんだ童話の舞台に来たのだ。気が緩んでいるらしい。

 

「殺風景だと思われるかもしれませんが、聖なる乙女は非常に清貧を愛する少女だったと言われています。豪華な装飾も生活家具も必要ない、と言って、本当に必要最低限のものだけがあるこの部屋で、暮らすことを望んだのです」


 神官の説明を聞きながら、アリアネルはざっと部屋の中に目を走らせる。

 最初にチェックしたのは、その間取りだ。


(トイレとお風呂はあるみたい。でも、随分狭い……賓客をもてなすには十分とは言えないんじゃないかな。ベッドも、すごく簡素で狭くて、寝心地悪そう。キッチン――は、ないみたい)


 つまり、ここで食事が作られたわけではないということだ。


(下で作ってから持ってくるとして――確実に冷めるよね。あの気の遠くなるくらいの階段を、十歳の育ち盛りの子供が満足するだけの料理を持って、三食毎回往復する――現実的、かな……?本当に……?)


 ぎゅっと思わず眉間に皺を寄せて、メモの中に間取り図を描きこんで行く。


(暖炉も小さい。こんなに空に近い場所なら、夏はよくても、冬はこの程度の大きさじゃ部屋ごと温まれはしないはず……それに――)


 アリアネルは生徒らが神官の解説に耳を傾けてあちこち見ている中で、目立たないようにそっと足音を殺して窓へと近寄った。

 それは、この狭い部屋の中で唯一の窓。


(やっぱり――この部屋、おかしい……!)


 窓の近くに寄って、アリアネルはぎゅっと拳を握り込む。手の中で、指輪が食い込む感触がした。

 この部屋唯一の窓は――漆喰で分厚いガラスが嵌めこまれただけの、換気すら出来ない、窓だった。

 

(仄かな魔力の気配を感じる――これ、きっと、封天使の防御魔法だ。仮に、そこの木製の椅子で思い切りガラスを殴りつけても、この窓が割れないようにされてる……!)


 そっと冷たいガラスに指先で触れて、下唇を噛みしめる。

 関係者を問い詰めたい衝動に駆られるが、案内役の若い神官が真実を知っているかどうかは怪しいし、一般市民が万が一にもこの窓から転落などしないようにしているだけだ、と言われてしまえばそれまでだ。

 だが、この明かり採りにしかならない窓は、鉄格子こそ嵌っていないが、仮に嵌っていても何ら驚きはしない頑丈さで造られている。

 ぐるり、と改めて窓から部屋を見回せば、そこからの景色はやはり――牢獄、と呼んだ方がしっくりくる、底冷えするような寂しい空間だった。


(最初に入ってきたとき、なんだか暗くて寒いって思ったのは、窓が北にあるからなのね。ってことは、日中、殆ど太陽の光が入らないってこと。……太陽の樹を心の拠り所としていた乙女は、不安でたまらなかったんじゃないかな……)


 きゅぅっと心臓がわしづかみにされたように苦しくなって、そっと周囲にわからないように密やかに息を吐く。

 正天使が、置き土産に与えてくれた植物は、この暗く寒い部屋で育てるには向かないはずだ。

 それは、太陽をたっぷり浴びて育つからこそ、『太陽の樹』と呼ばれる植物なのだから。


 毎日、その樹に再会を祈れと言われた乙女が、太陽の光を十分に浴びれずに徐々に萎れていくそれを見て、どんな気持ちになったのだろう。

 この、鉄格子がないだけで、決して自由を約束してはくれない分厚い窓から、毎日空を眺めたのだろうか。

 いつか、愛した天使が迎えに来てくれると信じて、ずっと、ずっと、待ち続けたのだろうか――


 アリアネルは、そっと瞼を伏せて、かつて自分と同じ名前を与えられたという乙女の心に思いを馳せるのだった。

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