第152話 【断章】太陽の祝福
「では、ここで一度解散します。帰りも同じだけの長い階段です。登りも辛いですが、下りも慣れない方には辛いでしょう。登りで大変だったという自覚がある方は、早めに下り始めることをお勧めいたします」
神官が笑顔で告げたのは、アリアネルの予想通り、塔の部屋の中だった。
神官の言葉を受けて、引率の教員が言葉を引き継ぐ。
「昼食もこの時間に取るように。飲食が許可されているのは、大衆広場と一般市民向けの団欒スペースだけだ。見取り図を見て、決して決められた場所以外での飲食をしないように。基本的に自由に過ごしていいが、事前に配っておいた予定表通り、時間厳守で集合すること」
厳しい言葉に生徒らは頷く。
基本的に、心根が素直な生徒しか特待クラスには存在しない。教師の言葉に背いて悪ふざけをするような不届き者はいないだろう。
「もし、体力と時間に余裕がある方は、よければ塔の屋上に上がってみてください。そこにも、かの有名なアダンの芸術作品がありますよ。一般市民には解放していないのですが、特待クラスの皆さまは特別です。自由にご見学ください」
すぃっと神官が部屋の奥の扉を指す。
どうやらそこが、屋上に繋がる階段らしい。
「アリアネル、どうする?」
「うん。行ってみようかな。せっかくだし」
「えぇ……また階段上るのぉ……?」
疲れ知らずのシグルトとアリアネルの会話に、マナリーアはげんなりとした声を出すが、一応ついてくるつもりではあるらしい。
他の生徒らは、どうやらもう階段はこりごりだと思ったのか、めいめいに出口へと向かっていくようだった。
木製の扉を開けて、暗く狭い階段を踏み外さないように注意しながら上がっていく。
行き止まりの扉を開けると、ぶわっ――と強い風が吹いた。
「わっ……!」
「大丈夫か!……気を付けろよ。こんな高さから吹っ飛んだら間違いなく死ぬぞ」
「ご、ごめん……」
風に煽られてよろけたアリアネルの身体を支えて、シグルトは安堵のため息を吐く。
いつの間にか、頼りがいのあるがっちりした身体つきになっていたらしい少年に、一瞬ドキンと心臓を撥ねさせてから、アリアネルは風に遊ぶ長髪を押さえて謝った。
「はいそこ、イチャイチャしな~い」
「イっ――!?そ、そそそそんなことしてねぇだろ!」
「はいはい、扉の前で陣取らないの。世間に公開されてないアダンの作品、あたしも見たいんだから早くどいて」
マナリーアの半眼の言葉に、頬を赤らめてシグルトは大人しく身体をどける。
外に出てから、大きく伸びをして、マナリーアは目的の像を見つけた。
「あ、あれね。うわぁ……すごく大きい。超大作じゃない。風に煽られて倒れないように、ってことかしら。それにしても、あの大きさじゃ、ここまで運び込むのも大変だったんでしょうね……」
石造りの塔の屋上は、その彫像以外は何も置いていない。もともと、一般市民の出入りも許可されていないのだから、人々の眼を楽しませるようなものを置いていないのも当然だろう。
広場にあった正天使の像と同じか、それ以上の大きさの彫像は、羽を入口の方に向けて、地上の大衆広場を見下ろすような向きで置かれていた。
「やっぱり、正天使様の像かしらね。アダンの作品の中で、一番作品点数が多いっていうし――あぁでも、一般に公開しない場所に置かれてるってことは、治天使様かも。アダンの治天使様像は、数は少ないけど、一体一体が物凄い情熱で造られたって聞いたことあるわ。造り込みも、他の彫像と比べても段違いで、アダンは治天使様に恋をしているのでは……って噂されたのよね」
「アダンが生涯独身だったから、そんな噂が出ただけだろ。稀代の芸術家って言っても、結局は仕事なんだから、注文が入って依頼人の要望のものを造るわけだし、単純に正天使が民衆に人気で、治天使様の注文の方が少なかったってだけじゃねぇ?」
「夢がなぁい」
暢気に気安い会話を交わす幼馴染二人の会話に少しだけ笑いながら、アリアネルはくるりと像の正面へと躍り出る。
そして、思わず――息を、止めた。
「ぇ――ぅわ、何これ、すごい――!」
後に続いて正面に回ったマナリーアも、同じく息を飲んで感嘆の声を漏らす。
「す、すげぇ……これ、一般公開しないって、なんでだよ……」
シグルトも同様に驚いたようだった。声変りをした低い呟きが、風に乗って攫われていく。
アダンは、この天使も大理石の中から救い出したのだと嘯くのだろうか。
巨大な翼を優雅に広げて、下界を眺める天使の像。その白皙の美貌は、完全なる黄金比だけで形成されている。
長い睫毛を讃える切れ長の瞳は、無感動とすら捉えられるほど冷たく冷静で、人間の営みをこの高みから睥睨するかのようだ。
すぅっと通った高い鼻筋も、少し薄い唇も、鍛え抜かれた逞しい身体付も――何もかもが、この世の”美”という概念を凝縮したような、非の打ちどころのない傑作だった。
「でも、こんなに美しい天使様、図鑑でも学園の教本でも見たことないわ。一体誰をモチーフに作ったのかしら……アダンの想像?まさかね……」
ほぅ……と熱いため息を漏らしながらマナリーアは足元のプレートを眺める。
「えぇと……『太陽の祝福』――?」
読み上げられた作品名に、シグルトはハッとする。
「あ!あれじゃないか?聖なる乙女を迎えに来た、っていう、天使!」
「もしかして――愛を司る天使様!!!?」
「いや、それは諸説あるって話だけど――でも、そう、それだよ!」
確かに、それならばこの塔の屋上に設置されている理由も頷ける。
一般に公開することを目的にせず造られたこの像は、世間の思惑から超越したところにある、稀代の芸術家としての粋を集結した物だろう。
設置場所まで含めて、彼の芸術は完成したのだ。
「ここに降りてきた――って逸話があるからか。当時の目撃者の話って、とにかく腰を抜かすくらい美しくて、足がすくんで動けなくなる者が続出したとか、それ本当か?って話ばっかりだったけど……もし、アダンが造ったこの彫像通りの美しさなら、それも納得だな……」
感嘆のため息を漏らしながら、しみじみと芸術作品を眺めていると――ふと、それまで口を開かなかったアリアネルの唇から、するりと小さな声が漏れ出た。
「……いい……」
「アリアネル……?」
「すごい……っ――格好いい――!!!!」
「「――――は――?」」
ふるふると身体を震わせ、感極まった様子で、アリアネルは熱い視線を彫像へと注いでいる。
広場の正天使像を前にしても素っ気ない対応だった少女は、てっきり芸術に感動する心を持ち合わせていないのでは――と思っていた二人は、揃って間抜けな声でアリアネルを振り返った。
「っ、嘘、嘘、本当に!?本当に!!?天使像!!?天使の姿!!?格好いい――想像の五億倍格好いい――!!!!」
「えっと……あ……アリィ……?」
眼をハートマークにしているのではと思うほどうっとりした視線を注いで、普段のテンションの三倍くらい高いテンションで黄色い声を上げる友人に、マナリーアは戸惑いの声を上げる。
「あっ、記録石!記録石に撮っていいかな!!!?見取り図は、脳裏に刻み込めば上書きしてもいいよね!?いいよね!!?そうしたら、おうちに帰ってから、何百回でも見返せる!!?」
どうやら我を忘れて興奮しているらしい。
アリアネルがこういうテンションで、黄色い声を上げるシチュエーションには、既視感があった。
「えぇっと……ねぇ、アリィ……?」
「あぁ~~~~!ねぇ、マナ、シグルト、映像石って持ってない!?魔水晶!もうこれ、全方位から映像で残して帰りたい!!!」
「落ち着いて、アリィ。えっと……えっとね?」
キャーキャーと騒ぎ立てる友人に、こめかみに手を当てながら問いかける。
このテンションは間違いなく――彼女が、”パパ”について話すときのそれだ。
「もしかして、と思うから聞くわね。……この天使像と、貴女のパパ――どっちが、格好いい?」
「えぇええっ!?そっ、そんなの、決められないよ!!!いつものパパも最っっ高に格好いいけど、この天使像も本当に格好いい!!!天使の格好、めちゃくちゃ似合ってる!!!」
頬を赤らめて興奮するアリアネルに、隣でシグルトが遠い目をしているのが気の毒だ。
どうやら、稀代の芸術家が心血を注いで造った最高傑作と同じレベルの造形でないと、少女の関心は引けないらしい。
「はぁ……どうしてアダンはこんな作品が造れたんだろう……まさか、実物見たことあるのかな!?あーもう、本当、世界一格好いい……大好き……」
ほぅ、と完全に恋する乙女と変わらない表情で熱いため息を吐かないであげてほしい。シグルトが切ない瞳のままどんどん空気のようになっていく。
「でも、うぅん……悩むけど、やっぱり、実物のパパの方が、格好いいかなぁ……この像も、最っっ高に格好いいのは事実だけど――この、ちょっと人間を見下していそうな冷たい目線とかは本当に再現度高いなって思うけど――やっぱりパパの美しさって、あの彫刻みたいな非の打ちどころのない存在が、動いて、喋るところにあると思うんだよね。パパが瞬きするだけで息が止まりそうだし、口を開けば低音のいつまでも聞いていたい美声だし、眉間に皺が寄ってても、その皺すら愛おしいというか――」
「うん、うん、アリィ。わかった、わかったから、一回その辺にしようか」
サラサラと砂が溶けるようにして虚無の表情を見せるシグルトを横目で見ながら、マナリーアは友人の熱弁を食い止める。
「ほ、ほらっ……お昼ご飯!私たちも食べなきゃでしょう?あたし、もう足パンパンでガクガクだから、時間かかるかもしれないし……ねっ!そろそろ下に降りよう!?」
「えぇ……でも……でも……」
アリアネルは眉を下げて、珍しく聞き分けなく名残惜しそうな声を出す。
余程この彫像が気に入ってしまったらしい。
「ね。パパが一番格好いいってわかったし、この彫像は世界で二番目ってことでしょ?じゃあ、もう下に降りても――」
「ぅ……でも、でも、もう次にここに来られるのは、あと一年後なわけだし――」
哀しそうな顔でもう一度像を見上げ――再び、ほぅ、と熱い吐息を漏らす。
隣のシグルトのライフはもうゼロだ。
「あぁ……そう。そうね。じゃあ――えぇと、あたしたち、先に降りるわ。アリィはしばらくここで、像を見て行ったらいいんじゃない?あっ、でも、お昼ご飯食べそびれるくらい遅れちゃだめよ?サクサク降りて来るんだからね!広場で待ってるから!」
「うんっ!ありがとう、マナ!大好き!」
ぱぁっと嬉しそうにはじける笑顔を向けられて、その純粋な輝きに思わず顔を背ける。
「ほら、シグルト、行きましょう」
「ぁ、いや、でも――」
「アンタ、ドMなの!?これ以上ここに居たって、アンタが一方的にダメージ喰らうだけでしょ!」
何やらやいやい言いながら、入ってきた扉の奥へと帰っていく二人を見送って、アリアネルはもう一度像を見上げた。
「やっぱり、天使姿のパパも最高に格好いい……私もこのころのパパに逢ってみたかったなぁ……」
勿論、細部は少し異なるところはあるが、この彫像の再現度はかなりのものだ。
おそらくアダンは、当時の目撃者の言葉を嘗めるように見比べ、想像の翼を広げてこれを掘ったのだろう。
「今のパパは絶対こんな薄着しないから、めちゃくちゃレアだし……さすがパパ。格好いいだけじゃなくて、色気もあるんだ」
露出の高い衣服を身に着けていても、恥ずかしくないバランスの良い雄々しい筋肉。正天使のようにこれ見よがしに剣を掲げたりせずとも、自然と威圧感が感じられるのは何故だろうか。
「はぁ~……天使の頃のパパに逢えたら、絶対にパパの眷属にしてって頼み込むのになぁ……」
この、完璧な美貌を持つ男に、口付けと共に『永遠に誰より一番傍にいる権利』を与えてもらえるのだ。
生涯、ずっと、ずっと、気の遠くなるくらいの時間を、彼の傍で、彼のために生きる――
そんな、夢のような、幸せな選択。
「はぁ……現実逃避はこの辺にして、ちゃんとお仕事、しよう」
重いため息を吐いた後、アリアネルは頭を切り替える。
腰に付けたポーチから、学園で支給された記録石を取り出し、決められた呪文と共に魔法を展開した。
「えっと……今が、この塔の上にいるわけだから……」
光天使の魔法を使い、地面をスクリーン代わりにして、教本に載っていた見取り図を映し出す。
「ここからこう行けば――うん。『天使降臨の間』に行けそう。そのあとは、こっちから飛び降りれば、大衆広場の傍の道に出られるから、何かあっても『道に迷いました』って言って切り抜けちゃおう」
しっかりとルートを確認し、頭の中で何度もシミュレーションして脳裏に刻み込む。
失敗は許されない。――これが、偉大なる父に与えられた、アリアネルの『役割』だから。
「……ぁ。この像、撮って帰っても、いいよね?」
ぼそり、と誰にともなくつぶやいて、アリアネルはしっかりと記録石に上書き保存するのを忘れないのだった。
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