第九章

第181話 夢の終わり①

「こっ……ん、のぉっ!」


 感情の発露と共に、最大出力で生み出すのは、朱い水で出来た無数の短槍。

 

「いっけぇ!」


 びゅっと手にした乳白色の長杖を振り下ろすと、それを合図に一斉に槍が目標オゥゾ目掛けて飛んでいく。

 

「っ……!」


 無言で焦りを浮かべながら、分厚い炎の障壁を展開したオゥゾの頬を、避け切れなかった短槍が切り裂いた。


「はぁっ……はぁっ……!らしく、ないのよ……!馬鹿オゥゾ――!」


 悔しそうに叫ぶルミィは、肩で息をする。

 飲み込んだ水晶のせいで、時折空腹を感じるが、オゥゾが被害をどんどんと広げ続けるおかげで絶え間なく周囲に充満している濃厚な瘴気を取り込み、正気を保っていられるのは幸いだ。


「何で――なんで、私から、逃げるの――!」


 ルミィは見た目に寄らず好戦的な性格をしている。それに対して、オゥゾは見た目に反して、任務でもない余計な戦闘を好まない。 

 それは事実だが、自分に明確に敵意を持って攻撃を仕掛けてきた相手を放置するほどのお人よしでも、ない。


 だが、今のオゥゾはどうだ。

 本来、攻撃に特化しているはずの彼の魔法は、ルミィの攻撃を相殺するためには惜しみなく使われるのに、彼女本人を攻撃するために放たれることはない。


「アンタが、どんな幻覚を見せられて、偽物の魔王様からどんな命令を受けてるかなんて知らないけどっ――でも、心のどっかで、私のこと、わかってるんでしょ!?ねぇ!!?」


 虚ろな瞳で、言葉すら発することがないオゥゾは、深い深い眠りの底にいるような有り様だ。おそらく、天使に謀られ、目の前にいるルミィのことも、ルミィ本人だと認識していないのだろう。

 

「これは私の格好をした敵だとか、言われたのかもしれないけどっ……魔法を受ければ、わかるでしょ!!私たちの間にある、数千年は嘘を吐かない!」


 いつだって、背中を合わせて共に命を預けて戦ってきた。些細な喧嘩など、何万回繰り返したか、数えきれない。

 

「眼を――醒ませぇええっ!」

「っ……!」


 ガキィンっ……!

 長杖を振り被り、全力でオゥゾの脳天目掛けて振り下ろすと、すんでのところで青年は腰に帯びた曲刀で受け止める。

 至近距離で視線が絡むと、真紅の瞳が揺れたような気がした。


 まるで、今にも泣きだしそうな瞳。

 本能に働きかけられ決して逆らうことのできない魔王の命令と、目の前にいる美女との間に挟まれ、途方に暮れてどうしていいかわからない――そんな表情だった。


「ぅ……」


 頬を歪めて苦痛に耐えるように呻いた後、バッとルミィの身体を力任せに跳ね返し、オゥゾは背を向けて炎の障壁をさらに外側へと進めた。


「オゥゾ!」


 ルミィの声を背に受けて、青ざめた顔でとにかく人間を恐怖に巻き込む炎を前進させるその姿は、造られしものの宿命を感じさせる。

 理性では逆らえない、絶対の存在がある。

 こうなってしまっては、もはやオゥゾは夢天使の操り人形マリオネットだ。


(どうしたら――どうしたら、いい……!?)


 ルミィは悔しさに歯噛みして考える。

 救いを求めるように視線を後ろに投げれば、ゼルカヴィアは顕現した夢天使と何度も切り結び、魔法の応酬を繰り返しているらしい。手助けを期待できるような状態ではないだろう。

 

「くっ……!ちょこまかと逃げ回り、小賢しい鳥ですね――!」

「貴様こそ、いい加減、諦めたらどうだ!この翼と無数の魔晶石がある限り、僕は絶対に負けない!」


 血走った玉虫色の瞳を見開き、宣言する天使は、顔を青ざめさせ肩で息をしている。おそらく、この圧倒的に不利な空間で強烈な天使の魔法ばかりを連発するにはそれなりにリスクもあるのだろう。

 それでも、仇敵を前に決して怯まぬその視線は、彼女の凄絶な覚悟を感じさせるのに十分だった。


(ヴァイゼルの魔法が、魔王様預かりになっているのが致命的ですね……!オゥゾに掛けられた魔法を解かせ、連鎖する魔族の暴走の陰謀を明らかにするためには、この天使を生け捕ることが必須ですが、我ら魔族には、敵を拘束する魔法が少ない――!)


 封天使という存在が天界にいる以上、同じ能力を付与される存在は生まれない。

 魔族の魔法で敵を拘束しようと思えば、鋼の魔法で鎖を生み出し、物理的に拘束するしかない。

 しかし、そうして生み出される鎖は、封天使の魔法と違いただの鋼だ。動きを阻害することは出来ても、封天使の魔法のように、魔法や思考、言葉など、状況に応じて特定能力を封じる効果を付与することは出来ない。

 

(私の魔法で、魔法の使い方をそっくり忘れさせてしまうことは出来ますが、そうするとオゥゾに掛けられた魔法の解き方まで忘れさせてしまう……慣れ親しんだ魔族の魔法ならば、特定の魔法のみ使い方を忘れさせることも容易ですが、天使の魔法は管轄外ですから、記憶を覗き見ながら慎重に忘却させる必要がある……この激しい戦闘と並行して行うのは、まず無理でしょう。一度、拘束して動きを止めなければ――!)


「我、魔界を統べる王に乞う。万物を拘束する鋼の鎖をここに――!」


 脳裏に描くのは、かつでヴァイゼルが行使していた魔法のイメージ。

 人間界で出回る鋼の何十倍もの高度を誇る漆黒の鎖が、瞬きの刹那に目標を取り巻くように顕現すると同時に、意思を持つ蛇のように一瞬で対象へと絡みついて自由を奪うはずのそれは、魔王という媒介を経て行使されることで、数段劣ったスピードで展開される。

 名前を持って命じれば、本人が使用するのと変わらぬ効果を発揮するが、助力を乞う形での使役は限界がある。

 この陰謀めいた事件の最も大きな影響は、単純な頭数が減ることだけではない。魔界勢力がやられることで、使役できる魔法に制限が出ることこそ、問題の本質だ。

 

 まるで中級魔族が展開するかのような完成度の魔法に歯噛みすると、案の定空を自由に動き回れる天使はすぃっと空中に現れた鎖の魔の手を逃れてしまった。


「く……次こそは――」


 熱気に当てられ、額に滲んだ汗に顔を顰めた、その時だった。


『ゼル、ゼルっ!応答して!お願いっ……!』


 乳飲み子のころから面倒を見続けた少女の、今にも泣きだしそうな、掠れた声が脳裏に響いたのは。

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