第79話 編入初日③
その日一日、アリアネルはどこへ行くにも人気者だった。
「アリアネル様。お迎えに上がりました」
「あっ……ミヴァ!」
帰り支度を済ませた後も級友たちに取り囲まれていたアリアネルは、ほっとした顔で教室に現れた小柄な猫顔少女の名を呼ぶ。
「じゃ、じゃぁ、皆……また、明日ね」
そそくさと級友たちの輪から離れて、小さく手を振って離れると、名残惜しそうな顔をしたメンバーたちはしぶしぶ送り出してくれた。
「人気者ですね、アリアネル様は」
「う~ん……編入生が珍しいからだと思うよ。ミヴァは大丈夫だった?」
「はい。一般クラスは、編入生も珍しくないようで、特に構われることもなく過ごすことが出来ました」
「そう。よかった」
廊下を歩きながら、和やかな会話を交わす。
ミヴァの隣にいると、何となく息がしやすいのは、彼女が魔族だからなのか、気を遣って瘴気を生み出してくれているのかはわからない。
「先ほど、ゼルカヴィア様から
「そっか。誰だろ…ミュルソスかな?」
せっかく初日の成果を沢山話したかったのに残念だ、と思いながらアリアネルはいつも優しく穏やかな黄金を司る紳士の顔を思い浮かべる。
首を傾げながら校門へと向かうと、何やらざわざわと騒がしい様子だ。
(あれ……おかしいな。ミュルソスが来たなら、女の子が集まってると思ったんだけど)
いつもの柔和な笑顔を浮かべたフロックコートが抜群に似合う上級魔族が迎えに来たのであれば、彼の甘いマスクに寄り付くのは目をハートに変えた女生徒だと思ったのだが、校門のあたりに集まっているのは男子生徒が多いようだ。
天使の羽を思わせる純白の生地に金糸の刺繍が入った制服を着た背の高い男子生徒たちの間を縫うように、ひょこっと顔をのぞかせると、そこには見知った顔がいた。
「だ、誰を待っているんですか?」「俺、呼んで来ましょうか!?」「あの、もしよければ連絡先を――」
卒業間近の上級生らしき男子たちが鼻の下を伸ばしながら集っているのは、豊満な胸を無理やり窮屈なメイド服に押し込めたらしいことがわかる、大人の色香を漂わす薄青色の髪をした美女。
「随分と五月蠅い蠅たちね……一度、海の果てまで押し流してあげましょうか」
深い海の底から響いてくるような仄暗い声で囁く瞳は、全ての生物が生命活動を止めると言う絶対零度のそれだ。
「ル……ルミィ!?」
全く予想もしていなかった魔族の登場に、アリアネルは驚きに思わず声を上げる。
いつも目尻を下げて、そのはち切れんばかりの豊満な胸に顔を無理やりうずめるように抱きしめてくる姉のような優しい魔族の姿と、周囲が凍り付きそうなぞっとする声を響かせる冷徹な美女の姿が重ならず、驚いたというのもある。
ザッと人垣が割れて、アリアネルの前に道が出来ると、先ほど男子生徒らに向けていた表情とは打って変わって、ルミィはいつも通りの蕩ける笑みを浮かべた。
「まぁ……お待ちしておりました。アリアネルお嬢様」
完璧なプロポーションをメイド服に押し込んだ美女の極上の笑みは、恐らくその場にいた男子生徒の数名を、何かしらの特殊性癖に目覚めさせたことだろう。
水を司る上級魔族・ルミィはうっとりとした表情で両手を広げて少女へと語りかける。
「さぁ、お嬢様。一緒に帰りましょう?皆がお嬢様のお帰りを心待ちにしております」
「ぇ……あ、う、うん……」
まさかその両手は、いつものようにその胸に飛び込んで来い、という合図だろうか。
いくら何でも、”お嬢様”が迎えに来たメイドの胸に抱き留められて馬車へと乗せられるのは、奇妙な光景ではなかろうか。
アリアネルは周囲の目を気にしながら、ルミィへと近寄るも、ルミィはにこにこと手を広げたままこちらを見ている。
「あの……ごめんね、ルミィ。ちょっと恥ずかしいから、ただいまのハグは帰ってからでもいい?」
「まぁ……!勿論ですとも。では馬車の中では、お嬢様の可愛らしい笑顔も、柔らかな抱き心地の身体も、全て私に独り占めさせてくださいな」
「もう……恥ずかしいよ、ルミィ。もう私、十歳になったんだからね」
頬が赤らむのをごまかすように口をとがらせながら、胸に飛び込む代わりに手にしていた鞄を渡すと、水色の髪をした美女は文句も言わず当然のように受け取った後、にっこりと笑んだ。
「ふふ……お嬢様は、いつまで経っても愛しく可愛らしいお嬢様ですよ。我々がお仕えする、至上の主の、ただ一人の大切なお嬢様です」
「……ふふっ。そう言ってもらえるのは、嬉しいな」
周囲の者には、魔王との関係が本当の父娘のように見えているのだろうか。
たとえ、主に気を遣ったが故のリップサービスだったとしても、嬉しいことに変わりはない。
「では、参りましょう。……お前。御者台に上り、代わりに馬を扱いなさい」
「はい、ルミィ様」
アリアネルの後ろにいたミヴァに威厳をもって命じた後、アリアネルを馬車の中へとエスコートし、己も中へと乗り込む。
ミヴァが御者台で馬を駆って馬車が動き始めるその瞬間まで――妖艶な美女の視線は、一度たりとも取り巻く男子生徒に向くことはなかった。
◆◆◆
ガタガタと静かに揺れる馬車の中で、アリアネルはほぅっと緊張を解いて息を吐く。
「お疲れさまでした、アリィ。初日はいかがでしたか?」
「うん。さすがにちょっと疲れちゃった。迎えに来てくれてありがとう。……でも、ルミィが来てくれると思わなかったから、びっくりしちゃったよ」
「ふふ……ミュルソス殿は、ロォヌと買い出しに行っていたようで、ゼルカヴィア様から代わりに迎えに行ける者はいないかと、城の上級魔族に声がかかりまして。オゥゾと私が空いていたので、熾烈な争いの結果、私がお迎えの権利を得たのです」
「し、熾烈な争い……!?け、喧嘩したの!?」
火と水を司る上級魔族が前面衝突したとしたら、城が滅茶苦茶になってしまうのでは――というアリアネルの懸念は、ルミィの朗らかな笑い声にあっさりかき消される。
「まさか。私とオゥゾは、魔王様に命を頂いたとき、互いに同等の力を持つように、と造られています。仮に魔法を使って戦ったとしても、どちらかが勝つことなどありえません。何度やっても必ず引き分けになることでしょう」
「そ、そうなの……?」
「えぇ。私たちは、互いに相反するものを扱いますが、実は同時に作られたのです。互いを補い合うように、性格も能力も緻密に計算されて――」
「ぁ……そういえば、オゥゾは攻撃に特化してるって言ってた。それに比べると、ルミィの魔法は、確かに防御力が高いよね」
魔王による魔法講義でも、ルミィの力を借りた水の盾は防御力が高く様々な応用が出来るために、魔法の打ち合いになった時は優先度高く使えるようにしておけ、と教わったことを思い出す。
「そうです。攻撃はオゥゾが、守りは私が。前衛はオゥゾが、後衛は私が。性格も、激情家で少しお馬鹿な所があるオゥゾに比べて、私は冷静で賢明でしょう?」
「う、うぅん……性格についてはノーコメントかな」
にっこりと、当然、という顔で言い切るルミィに明言は避ける。
(でも確かに、オゥゾは『娯楽』でもお肉とかいかにも、って物が好きで、食事もワイワイおしゃべりしながら食べるのが好きなイメージだけど、ルミィは人間界のお花が好きで独りでも楽しめる穏やかな趣味だなぁって思った覚えがあるなぁ……)
妖艶な美女の、可憐な趣味を思い出してふふっ……と思わず笑みが漏れる。
「昔は、その相反する性質故にぶつかったこともありましたが、どうせ戦っても引き分けにしかならないとわかってからは、そんな愚かなことはしなくなりました」
「え……む、昔は衝突してたの……?」
「造られたばかりのころ――何千年も昔のことですよ?とはいっても、互いにいがみ合うというよりは、姉弟喧嘩や幼馴染のじゃれ合い、というようなものに近しかったと記憶しています。魔王様のご配慮で、きっと本格的に相手を嫌うことなど出来ぬよう、なんだかんだ馬が合うように造られたんでしょうね。絶対オゥゾ本人の前では認めたくない事実ですが」
クスクス、と笑ってから、ルミィは馬車の中で両手を広げた。
「さぁ、アリィ。そんなオゥゾと熾烈な争い――という名のじゃんけん大会――を経て、やっとこの時間を勝ち得たのです。そろそろ、『ただいまのハグ』の時間ではありませんか?……堪能、させてくれるんでしょう?」
「ぅ……は、恥ずかしいなぁ……」
人間を”愚か”と断じて虫けら以下の生物としか認識していないルミィが、主の天敵たる天使の加護を付与された男子生徒らに囲まれていたのだ。
忍耐の一言で必死に不愉快に耐えていたその時間はまぎれもなく、アリアネルのためだったに違いない。
そう思えば、世話になっている美女のおねだりを無碍にすることが出来ず、アリアネルは躊躇いながらも馬車の中で豊満な胸へと身を任せた。
「ふふふ。相変わらず、小さくてかわいい子」
「ぅぅ……ルミィ、どうやったらこんなにお胸がおっきくなるの?」
「さぁ……外見に関しては、魔王様にそう造られただけなので、私には人間がどうしたらこうなるのか、さっぱりわかりません」
言いながら、ぎゅうぎゅうと抱きしめ、うっとりとしたため息を漏らす。
オゥゾが匂いを嗅いでいるときと変わらない反応は、二人が姉弟や幼馴染に似た存在、という言葉が真理なのだろうと思わせた。
「この世で私に許可なく触れていいのは、魔王様と、アリィだけです。全て跳ね除けましたが、今日、愚かな人間が不躾に手を伸ばしてきたときは、辺り一面を濁流で飲み込んでやろうかと思ってしまいました」
「が、我慢してくれてありがとう……」
わしゃわしゃとアイボリーの髪の手触りを堪能するように撫でるルミィに、引き攣った声で礼を言う。
冷静で賢明、と自分で言いながら、その実、オゥゾ並みに激情家なのではないだろうか。
「あぁ……可愛い愛しのアリィ。ずっと、ずっと、私たちの宝物です」
「うん。私も、ルミィとオゥゾ、大好きだよ」
”大好き”の安売りをしてはいけないと言われたが、ルミィは女性だし、ここにゼルカヴィアはいないからいいだろう――
そう考えながら、アリアネルはふにゃりと笑って、窒息しそうな胸の合間から心からの言葉を告げたのだった。
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