第195話 潜入捜査③
ゼルカヴィアの話を纏めると、こうだ。
その昔、命天使が羽をもがれて魔界へと堕とされたとき、造物主は魔王となった彼に、天界勢力への介入を禁じた。
そもそも、命天使の堕天自体、正天使による策略で、犯していない人間殺しの罪を擦り付けられた故の措置だった。正天使は命天使を殺すべきだと主張したが、造物主はそれを拒否して、恩情措置として羽を堕として瘴気が飽和していた魔界へ堕とし、瘴気を糧とする魔族を生み出す役割を担わせた。
だが、正天使はそれだけでは罰が軽すぎると主張した。
命天使が命を落とさない限り、同じ力を持つ存在は生まれない。つまり、天使の数を増やすのも、魔王に頼らなければならなくなる。
だが、堕天を決定づけられた命天使が、逆恨みしないとも限らない。既にすべての天使の名を把握しており、これから先も天使を増やすことのできる命天使が、己の力を悪用し、天界を私物化する可能性がある――と訴えたのだ。
「フン……馬鹿馬鹿しい。そんなこと、あるはずがない。所詮それも、正天使が天界を私物化するための詭弁だ」
魔王がそう言って鼻を鳴らすのはもっともだが、共依存の関係にある造物主は、正天使の訴えを完全に退けられなかった。
結果として、魔王は新しく天使を造ることを禁じられ、万が一、天使を相手に敵意を持って接したり、天界勢力に不必要な介入をした場合は罰を下されることになったのだ。
「も、もし、その約束を破ったらどうなるの……?」
アリアネルが震える声で尋ねると、ゼルカヴィアが痛ましい表情で答える。
「詳しくはわかりませんが、全身に耐えがたい激痛が走り、魔力操作が上手くいかぬほど意識が朦朧とし、場合によっては吐血することもあるようです。日常の務めを果たすのは難しくなるでしょうね」
「ぇえっ!」
「実際にどうなるかなど、知らん。魔界に堕とされてから一万年、一度もそんな事態に陥ったことはない」
下らない、とでも言いたげに吐き捨てる魔王は、不機嫌なままだ。
正天使の策略によって、不名誉極まりない措置が取られていることが気に入らないらしい。
「ですが、魔石の製造元と思しき地天使に、魔王様から積極的に接触し、呼び出して尋問するとなれば、禁を破ることになります。魔王様の身に被害があるような施策は――」
「天使との接触が全て禁じられているわけではない。会話程度なら問題がないことは、ヴァイゼルの件で治天使と話して何事もなかったことが証明している。先日、夢天使相手に拘束や尋問を行っても、何もなかった。命を奪うことを目的とした攻撃ではなく、拘束と尋問だけならば、禁止事項の対象外ということだろう。ならば、地天使への接触も――」
「魔王様らしくもない。楽観的過ぎます。この前の夢天使の一件は、何の証明にもなっていません。敵意を持った攻撃ではなかったから、とするには早計です。相手が純正の天使ではなく眷属だったせいかもしれませんし、正当防衛だと捉えられたのかもしれません。……今回は、現時点では直接的な危害を加えられているという証拠があるわけでもない地天使相手に、疑惑段階にもかかわらず、積極的に接触して、拘束や尋問を行うということです。見逃してもらえる保障など、どこにも――」
白熱し始めた言い合いに、間に挟まれたアリアネルはオロオロと両者を交互に見ることしかできない。
どうやら、ゼルカヴィアは魔王の身を案じて、神殿にいる天使から情報を取る方法を提案したらしいが、それに魔王は反対しているようだ。
(あれ、でも、さっきは……ゼルの方が、私を神殿に向かわせるのは嫌そうだった……なんで……?)
なおもやいやいと言い合っている二人を前に、アリアネルは先ほどの魔王の言葉を反芻する。
「……帯同……?」
ぽつり、と呟くと、ふっと言い合いが止まり、部屋に静寂が訪れる。
アリアネルは、ゼルカヴィアに向かって疑問を口にした。
「神殿に乗り込むのは、私だけじゃない――って、こと?その、一緒に乗り込む人が問題、ってパパは言いたいんだよね……?」
「……そうだ」
魔王の静かな肯定に、ゼルカヴィアはこれ見よがしにため息を吐く。
「一体どうされてしまったと言うのですか、魔王様らしくもない。アレも所詮、駒の一つです。万が一のことが起きたとて、いつもの貴方らしく、無情に捨て置けばよいでしょう。敵に情報を取られるようなヘマはしでかしませんから、ご安心を――」
「そんな心配をしているわけではない。あまりにも成功する確率が低いと言っている。アレは確かに殆どの組成が人間と同じだが、根底には魔族としてのお前の組成が残っているだろう。故に、生粋の人間と違って、天使の魔法は使えない。聖気だらけの王都で、満足に身を守ることすら危ういということだ。魔法の一つも使えず、どうやって作戦を成功させると言うのか。それならば、まだ天使の魔法が使える小娘を帯同させる方が確率が上がると言っている」
「ですが、アリアネルが敵の術中に落ちたらどうするのです。そちらの方がよほど、情報を明け渡すという観点で、我らにとっては不利に――」
「だから、それを言い出すならば俺が直接地天使に接触する方が――」
再び堂々巡りの言い合いを始めた二人に、アリアネルはオロオロとするしかできない。
二人に説明を求めてもすぐに言い合いになってしまう。どうやら、自分で状況を把握するしかないらしい。
(えっと、殆ど人間の組成で?天使の魔法は使えなくて?作戦に使おうってことは、魔界側に協力してくれる存在なんだよね?根底には魔族としての――って、アレ……)
魔王は『魔族としてのお前の組成』が残っていると言った。
その存在には、一つだけ、心当たりがある。
ゼルカヴィアを元にして造られた、殆ど人間と同じ能力しかない、魔界側の協力者となってくれる存在。
「もしかして――”お兄ちゃん”を神殿に行かせようとしてるの!?」
答えに辿り着いて、アリアネルは仰天した声を上げた。
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