第196話 潜入捜査④
二人のギスギスした言い合いの経緯が大体わかったアリアネルは頭を抱える。
魔石の製造元を突き止めて対処するまでは根本解決にならないと考え、地天使が関与していると当たりを付けるところまでは、魔王もゼルカヴィアも意見が一致していたのだろう。
だが、地天使は天界にいる可能性があり、魔王が直接接触するのは、一万年前に造物主から課された
とはいえ、正攻法を試みたところで、魔族の性質上、天界という相手のフィールドで立ち回るには不利すぎる。
故に、現時点で最も有力で確実な手掛かりがある神殿に潜入しようとゼルカヴィアが提案した。
太古に施された魔法のせいで、魔族は踏み入ることが出来ないその地にどうやって潜入するのか――と魔王が尋ねれば、ゼルカヴィアは、人間とほぼ変わらない組成である己の”影”を忍び込ませると言う。
その瞬間から、意見が激しく対立したらしかった。
”影”一人で十分に任務をこなせる、もしもの時はあっさりと切り捨てればいいと訴えるゼルカヴィアと、成功する見込みが低いのだからせめてアリアネルを連れて行け、それすら拒否するなら自らが危険を冒して直接地天使に接触すると譲らない魔王。
結果、アリアネルがこの部屋に踏み入れた時のような、冷え切った空気となってしまったようだった。
(ゼルが私を一緒に連れて行きたくないのは、たぶんいつもの過保護からだよね。でも、パパも変に強情になっちゃってるから、いざとなったら本当に、自分で地天使に接触しようとしちゃうかも。でも、ゼルが言った通り、パパが痛い思いをするのは嫌だし……)
何より、この一万年の間、本当に一度も魔王が罰せられることがなかったというなら、今は着実に造物主からの信頼を回復しているところなのではないだろうか。ここで万が一にも造物主の信頼を裏切るようなことになってしまえば、敵である正天使を調子に乗らせ、それ見たことかと、さらに魔王を不利な条件に追いこんで来る可能性がある。
(もしも正天使が、地天使への接触を契約違反だと盾にとって、今度こそパパを殺すべきだって主張したりしたら、大変だもんね。パパは、自分を造った造物主にだけは逆らえないわけだし……ゼルが慎重になるのは最もだよ。冷静に考えたら、絶対に取るべき手段じゃないのに、パパ、本当にらしくないなぁ)
珍しく相手に煽られるようにして言い合う父を見て、アリアネルはすぅっと息を吸い込んだ。
「ストップ、ストーーップ!」
二人の間に割り込んで、両者を制しながら声を張り上げると、とりなすようにぐっと拳を握った。
「わかった!私、お兄ちゃんと一緒に神殿に行くよ!大丈夫。ちゃんと、私がお兄ちゃんを守るから。ねっ?パパ」
「……フン」
少女によって言い合いを制されたことで幾らか冷静になったのか、魔王は小さく鼻を鳴らしてもう一度椅子に深く腰掛ける。
「ゼルも、心配してくれてありがとう。でも、私、パパや皆の役に立ちたいの。もう、オゥゾの時みたいに、傍で見てるだけは絶対に嫌だから……だから、行かせて。ね?」
「ですが……」
「一度侵入してるから、神殿の中はある程度分かるし、パパが言う通り私は聖気が沢山あるところでも魔法が使える。……ほら。鍵がかかってる部屋に入るだけでも、お兄ちゃん一人じゃ苦労するでしょ?」
アリアネルの正論に、ぐっとゼルカヴィアは言葉を詰まらせる。
封天使の魔法で簡単に鍵を開けられるというのは、確かに魅力的だ。”影”一人で乗り込んだとしたら、いちいち鍵を持っている人間を探し出し、敵から鍵束を奪うという手間が生じる。
「貴女が言う”お兄ちゃん”は、戦闘能力に関しては、貴女と同等くらいしかありませんよ。それも、魔族の魔法しか使えないというハンデ付です」
「うん。さっき聞いた」
「いざというときの戦力としては、あまりにも心許ない。もし捕らえられでもしたら――」
「でもそれは、お兄ちゃんだって一緒でしょ?ゼルと記憶を共有してるんだから、魔界の事情をよく知ってるんじゃないの?私が敵の手に落ちるよりもよっぽど大変だと思うけど」
アリアネルの正論に、ゼルカヴィアはふるふると頭を横に振る。
「”影”は朝が来ればゼルカヴィアに戻れます。そうなれば、いくらでも抵抗の方法がありますし――もし、抵抗出来ないような窮地に陥れば、己で己の命を断てば済みます」
「そんなっ――!」
「ですから、貴女とは違うのです。……そう言っているのに、魔王様は決して聞き入れて下さらず……」
ぼやくようにしてもう一度ゼルカヴィアが魔王を見るが、ふぃっと顔を逸らしてそれ以上の問答をしてくれない所をみると、意思を曲げるつもりはないようだ。
何をどう言おうとも、序列がある以上、最後は魔王に逆らうことは許されない。
ゼルカヴィアは、重々しいため息をついて、しぶしぶ魔王の命令を受け入れることにした。
「では、アリアネル。作戦決行は五日後の夜です」
「……五日後?」
中途半端な決行タイミングの提示に、アリアネルは首をかしげる。
それは、学園が始まる日の夜だ。アリアネルを伴うならば、休暇中の方が動きやすいだろうに――という疑問を孕んだ瞳で見上げると、ゼルカヴィアは軽く肩をすくめて少女に答える
「次の新月が五日後なのです。”影”が活動できるのは、新月の夜の間だけですから。その夜を逃せば、次のチャンスはひと月後――悠長に時間をかけている暇がないのですから、さっさと進めた方が良いでしょう」
「あ、そっか。わかった!じゃあ、ちゃんと五日後までに準備を万全にしておくね」
従順にこくりと頷くと、青年は満足したらしかった。
意見の対立も一応の着地を見せたことで、部屋の空気も通常に戻る。
アリアネルは大好きな二人の仲違いをこれ以上見ずに済んでホッと安堵の息を吐いた後、ふとゼルカヴィアを見上げた。
「そういえば――小さい頃から当たり前だったから、疑問に思ったことも無くてわざわざ聞いたことなかったけど……”お兄ちゃん”って、どういう魔法で生み出されてるの?」
「はい……?」
怪訝そうな顔で見上げてくる少女に、ゼルカヴィアもまた怪訝な顔を返す。
軽く眉間に皺を寄せて考え込みながら、アリアネルはむむむと唸った。
「確か昔、分身のようなもの、って言ってたよね?新月の夜はパパの密命をこなすから、小さい頃の私のお世話をするために置いて行くって……性格とか考え方も殆ど一緒で、分身になる時までのゼルの記憶も共有されてて、夜の間は別行動してても朝になったら融合して……融合したときに、離れてた間のお兄ちゃんの記憶もゼルは引き継ぐって言ってた」
「まぁ……概ね、そのような感じですね」
ゼルカヴィアはくい、と軽く眼鏡を押し上げて小さく俯く。チラリ、と魔王が物言いたげな視線をゼルカヴィアに向けた。
「密命をこなしていること自体を周囲に知られちゃだめだから、絶対に”お兄ちゃん”の存在は周りの魔族に言っちゃだめって言われてた。小っちゃい頃は、私もその説明を聞いて、ふぅんって思って疑問に思ったことなかったけど――」
細く白い指を顎に当てて、アリアネルは考え込む。
ある程度、この世の法則や魔法といった知識が付いた今なら、ゼルカヴィアの説明に疑問が生じる。
「命を生み出すのは、パパだけに許された固有魔法なんだよね?でも、ゼルはいつも独りで
人間にしては聡明な少女は、不可解な現象にうんうんと唸っている。魔王は口を挟まず冷ややかな目でゼルカヴィアを見るだけだ。
静かに苦笑して、ゼルカヴィアは俯いて真剣に頭を悩ませているアリアネルの顔を覗き込んだ。
「気になりますか?」
「うん、すっごく」
「何故?」
「え?だって――お兄ちゃんは、大事な家族だもん」
キラキラと、邪念のない瞳でまっすぐにゼルカヴィアを見返し、言い切る。
あまりにはっきりと告げられ、ゼルカヴィアは一瞬虚を突かれたような顔をした。
「パパと、ゼルと、お兄ちゃん。昔から、世界で一番大好きで、一番大切な、私の家族だよ。どういう魔法なのかわからないけど、もし本当に新月の日しか逢えないなら、出来れば毎月逢いたいし……でも、どう考えても特殊な魔法だよね。もしそれがゼルにもリスクがあるような難しい魔法なら、頻繁にお願いするのは駄目かなぁって思う……けど、やっぱり逢いたい気持ちはあるから、一番いい形はどうしたらいいかなって思って――」
無垢という言葉の塊のような大きな竜胆の瞳は、純粋な願望を告げているだけのようだった。
想像していた回答と違ったのだろう。一瞬返答に詰まった後、ゼルカヴィアは静かに苦笑を深めた。
「そうですか。……貴女はどう思いますか?」
「えぇっっ!?まさかの質問返し!?」
「何でも答えを教えてしまうのはつまらないでしょう。たまには難問に頭を悩ませなさい。ただでさえ、人間の頭脳は我らより劣っているのですから」
「ぅぅっ……意地悪……」
へにょ、と眉を下げて情けない顔になるものの、育ての親のスパルタには慣れているのか、アリアネルはそれ以上追及せず再び頭を悩ませることにしたようだ。
クス、と吐息だけで笑ってから、ゼルカヴィアはそっと少女の背中を押す。
「さぁ、考え事はその辺にして、部屋に戻りなさい。私が見ていなくても、鍛錬と勉強はいつも通り欠かさずするのですよ。良いですね?」
「はぁい」
ぶぅ、と小さくむくれて、アリアネルは大人しく執務室から出ていく。
いつの間にか大きくなった少女の背中を見送り、扉が閉まるのを見届けると、それまで口を閉ざしていた魔王が静かに口を開いた。
「……真実を教えるつもりはないのか」
「おや。これは異なことをおっしゃる。”影”の存在は魔界におけるトップシークレット――魔王様も、そうおっしゃっていたではありませんか」
「それは――そう、だが」
ギッ……と魔王の椅子が身じろぎに合わせて音を立てる。
「あの子供は他の魔族とは違うだろう。種明かしをしたところで、あの様子では、魔界の秩序に影響を及ぼすようなことをしでかすとは思わん」
「あぁ――家族、と言っていたあれですか。本当に、愉快な子供ですねぇ。昔から、よくそんな突拍子もない考えを思いつくものだと感心します」
ゼルカヴィアはいつも通りの張り付いたような笑みを変えずに、言葉を重ねた。
「良いのですよ。アリアネルは、私にも魔王様にも打ち明けられない悩みをぶつける相手として、”お兄ちゃん”を必要としているだけですから。彼女がもう少し精神的に成熟し、”お兄ちゃん”を必要としなくなれば――そんな存在がいたという記憶ごと、消去してしまった方が良いとまで思っています」
「それは……」
「あの”影”は、本来、魔界にあってはならない存在です。魔王様もよくご存じでしょう?……真実どころか、存在を知る者自体、私と、魔王様だけで良い」
きっぱりと告げる横顔は、形だけの笑みを纏っていたが、他者を寄せ付けぬ拒絶の意思を湛えていた。
「……お前がそう望むなら、とやかく言うことはない。ただ、作戦遂行にはあの人間を伴え。それだけだ」
「かしこまりましたよ、魔王様」
面白くなさそうに鼻を鳴らした魔王に、苦笑しながら仰々しく礼をして、ゼルカヴィアも静かに執務室を後にしたのだった。
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