第197話 デート①
学園再開を間近に控えた日のこと――
神殿への潜入捜査に向けて、いくつかの魔水晶に魔法を込める準備にも疲れたアリアネルは、長く城を不在にしていた魔王との交流の時間を補うように、かつてのように執務室で”お茶会”を開いていた。
「それでね、あのね、昨日オゥゾがね――」
くるくると表情を眩く変えながら、キラキラした竜胆の瞳で他愛もない話題を矢継ぎ早に投げてくる少女を、魔王は眩しいものを見るように微かに目を眇めるだけで、好きにさせている。
思い出したように時折相槌を打ちながら花茶を嗜む姿は、いつも通り絵画の中から抜け出てきたのかと思うほど完璧だ。
「それで、ルミィが怒って氷矢を打ち込んだから、お風呂場が水蒸気でいっぱいになって、もわもわ~って――ぅん?」
両手を広げて、昨夜の仲良し魔族二人による下らない口喧嘩の臨場感を伝えようとしていたアリアネルは、ふいに目を瞬いて動きを止めた。
「どうしましたか、アリアネル」
「うん。
ぴくり、とゼルカヴィアと魔王の眉が小さく跳ねた。
戸惑うようにしてアリアネルは魔王とゼルカヴィアへと視線を投げる。愉しく和やかなお茶会の途中で、天敵である勇者からの通信に出るなど、魔王への不敬だとゼルカヴィアあたりは怒るかもしれないと思ったのだ。
ゼルカヴィアと魔王は一瞬だけ視線を合わせる。それだけで二人の意思疎通は十分なのだろう。
「良いですよ。出なさい、アリアネル」
「え……い、いいの?」
「えぇ。学園が休みにもかかわらず、コンタクトを取りに来るなど、何か緊急の用事かもしれません。神殿への潜入捜査前ですし、人間界の最新の動向を探っておくに越したことはないでしょう」
冷静沈着ないつも通りのゼルカヴィアの意見に納得し、アリアネルはそっとこめかみに細い指をあてて応答する。
「はい。……シグルト?」
『あ、アリィ。ごめんな、休みなのに。今、大丈夫か?』
「うん、大丈夫だよ。どうしたの?」
通信の声がいつも通りのシグルトの声で、少しホッとしながら問いかける。
サバヒラ地方の最前線で勇者らしく必死に周囲を鼓舞していた厳しい顔と、学園で別れたときの周囲を気丈に励ます顔が印象的だったせいで、彼自身の心のケアは大丈夫なのかと心配していたのだ。
『その……えっと……体調は、大丈夫か?戦場で、倒れたって聞いてたから――』
「あ、う、うん。もう、元気になったよ。ありがとう」
『そっか。じゃ、じゃあ、あの――』
何やら言い淀んだ後、意を決したように、シグルトは思いの丈をぶつける。
『あ、明日――ま、街へ、一緒に、出かけないか?』
「へ?……街?」
ぱちぱち、と眼を瞬いて、思わずゼルカヴィアと魔王を見てしまう。
当然、勇者候補であるシグルトからの通信に、魔王もゼルカヴィアも耳を傍立てないはずがないだろう。通信内容は筒抜けだという前提で、アリアネルは指示を仰ぐように二人を見る。
アリアネルが普段いるのは魔界だ。仮に街へ行くにしても、魔界を出るには上級魔族の誰かに
自分の一存で決めることは出来ないのだ。
『だ、駄目か?』
「えっと……う、うぅん、ゼルに聞いてみないと――」
チラチラと助けを求めるように育ての親へと視線を送ると、ゼルカヴィアは再び魔王と何か目くばせをしている。
アリアネルを送り出してよいかどうかの判断をするのだろう。
『ちょ……いや、お前は黙って――わ、わかったって、言う、言うから――』
「?……シグルト?」
目くばせをする二人の間で結論が出るまで待つ間、何やら通信先の様子がおかしいことに気付き、怪訝な声をかける。どうやら、シグルトの他にも誰かがいるようだ。
何やら通信先で揉めるような気配が繰り広げられる間に、どうやら魔界側では結論が出たらしい。ゼルカヴィアはアリアネルに”了承”のサインを送る。どうやら、街へ繰り出す許可が出たようだ。
アリアネルが結果を伝えようとするより先――意を決したように息を吸い込んだシグルトが、半ばやけくそのように口を開いた。
『っ……い、いいだろ、”デート”しようぜ!』
「へっ――!?」
唐突に繰り出された予期せぬ単語に、アリアネルは驚いて固まる。
「「――――デート」」
今まで無言だった保護者二人は、地の底から響くような声で、ぼそりと声を重ねて唱和した。
『も、もし行けるなら、明日の正午、学生寮の前で待ち合わせで!』
「え、ちょ、し――シグルト!?」
言い切るだけ言い切って、羞恥に耐えきれなくなったのか、一方的に通信を切られてしまい、アリアネルは困惑する。
(え――ま、待って、デート?デートって――)
その言葉の意味を考えるより先に、再び
「は、はい、アリアネル――」
『あっ、アリィ!聞いたわよ~?明日、シグルトとデートなんだって?』
「マナ!?あっ――もしかして、さっきシグルトと一緒にいたの、マナ!?」
『えへへ、まぁいいじゃん』
あまりのタイミングの良さに、ツッコミを入れると、悪びれもせずマナリーアは嘯く。
『アリィ、デートだよ?わかってる?ちゃんとおめかししてくるのよ?』
「へっ!?ちょ――ま、マナ、その、で、デートって――」
『デートはデート!一番かわいいお洋服着て、可愛い髪形にして、お化粧して――ちゃんと出来る?』
「ぅぇえっ!?で、ででで出来ないよぅ……!ふ、普通の格好じゃダメなの?」
『だぁめ!う~ん、じゃあ明日は、シグルトと集合する前に、女子寮に来なよ。あたしが目一杯アリィを可愛くしてあげる』
「え、で、でも、その――」
『来るでしょ?シグルトも楽しみにしてたよ?ゼルカヴィアさん、駄目だって?』
「ぅ、えっと、行くこと自体は許可してもらったけど――」
予想外の事態に真っ赤な顔で動転しているアリアネルは、ゼルカヴィアに再度の確認を入れることもなく、先ほど”了承”のサインをもらったことを思い出し答える。
もしも最初から、その外出の目的が”デート”であったと知られていたら、”了承”をもらえたかどうかは定かではない――などとは、背後で冷ややかな目をしている育ての親二人の様子を気に掛けることも出来ないアリアネルには、気づくことも出来ないだろう。
『本当!?よかったわね、シグルト!アリィ、来てくれるって!……じゃあ、明日の朝、女子寮に来てね!バイバ〜イ』
「あ、ちょ、マナっ……!?」
慌てて問いかけるも、どうやら通信は切られてしまったようだ。
シン……となった通信先に頭を振って、こめかみから指を外す。
「ど……どうしよう、ゼル……」
「どうしてそこで私に助けを求めるのですか」
困り果てた顔で頼りになる青年をふり仰げば、呆れ返った半眼が返ってくる。
「だって、で、デートって……デート、って……!!?シグルトは大事なお友達で――な、なな何を着ていったらいいのかな!?」
赤く熟れた林檎のような両頬に手を当てながら、年相応の反応を示す少女に、大人二人は何やら不機嫌な空気だ。
「一丁前に、ハニートラップでも仕掛けるつもりですか?慣れない真似はおよしなさい。滑稽な末路が目に浮かびます」
「たかが日中出かけるだけで大袈裟なことだ。相手は、正天使の吹き込んだ偽りの歴史を信じ込んでいるのだろう。話が通じるはずがない。そんな相手と休日を過ごすことになんの意味があるのか、わからんな」
男たちの毒舌が耳に入っているのかいないのか――アリアネルは、急に降ってきたイベントを前にして、右往左往するばかりだった。
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