第218話 敵地潜入⑥

「じゃあ、行ってきます!」


 元気よく片手を挙げて、緊張感とは無縁の輝くばかりの笑顔で宣言をしてから、アリアネルは大好きな父に背を見送られ、光の門の中へと足を踏み入れる。

 スゥっと光の中に呑み込まれていく身体は、転移門ゲートをくぐった時のような耳に響く耳障りな重低音や独特の重圧などは一切感じない。転移門ゲートは劣化版だという魔王の言は本当なのだろう。

 光の門は、何の抵抗も示すことなく、瞬き一つの後に純白の神殿へ少女を誘った。


「わ……本当に、地下だ……」


 門を抜け出た先は、窓一つない小さな密室。目の前に、固く閉ざされた大袈裟な装飾の巨大な扉が設置されているだけだ。

 つまりこの部屋は、魔界へ通じる"門"を通る者にしか踏み入れることを許されていない場所なのだろう。


「警備も管理者もいない……貴女の持ってきた事前情報は正しかったようですね」

「あっ、お兄ちゃん」


 後ろで親しんだ声が響いて、振り返ると、青年もまた光の門を通って出てきたところだった。


「よかった。ちょっとだけ、心配してたの。お兄ちゃんも本当にこの門、通れるのかなって……」

「私も半信半疑でしたが、賭けには勝ったようです。この身体はどうやら本当に、魔族とは認識されないらしい」


 何かを確かめるように掌を開いたり握ったりしながら、昏い声で自嘲する。

 どうやら、青年にとって、魔族よりも人間に近い組成であると断定されることは、あまり喜ばしいことではないらしい。


「だっ、大丈夫だよ!お兄ちゃんは、私が絶対に守るからね!ずっと、ずっと、傍にいてくれるって約束したでしょ?」


 アリアネルにとって、青年は魔王とゼルカヴィアと同じく、誰よりも大切な『家族』の一人だ。

 その横顔に憂いの影が差すのを見ていられなくて、安心させるように力強く言い切ると、ふっと青年は呆れたように笑った。


「そうでしたね。例え貴女が将来、天使の眷属となり、魔王様やゼルカヴィアが貴女の敵に回ったとしても、私だけは貴女の傍を離れない『家族』であり続けると――その見返りに、貴女は脆弱な私を守ってくれると、約束しました」

「ぅ……見返りとか、そんな他人行儀な感じじゃないけど……でも、嘘じゃないよ。パパとも約束したもん。絶対、お兄ちゃんを無事に魔界に連れて帰ってくるって」


 強く息巻いてから、にこりと太陽の笑みを浮かべる少女は、清々しいまでにいつも通りだ。

 そんな少女の様子に、我知らず敵地への潜入に緊張していたことを自覚し、”影”は苦笑する。


「では、参りましょうか。案内は任せても?」

「うんっ!……あ、待って。先に私たちに消音の魔法をかけるから」


 言いながら、音を司る歌天使の力を借りる呪文を諳んじる。魔界と違って聖気が豊富なこの場所では、たやすく発動出来た。

 そのまま、まっすぐに扉に近づき解錠の魔法を施すと、何の抵抗もなく鍵が開く。


『行こう、お兄ちゃん』


 消音の魔法のせいで音が出ない分、大きく口を開いてジェスチャーで青年にわかるように伝えながら、アリアネルは大きな扉を一息に開いた。


 ◆◆◆


 深夜と言えど、所用で神殿内を歩く者は存在するのか、途中何度か神官と遭遇しそうになるタイミングはあったが、消音の魔法に加えて気配を殺す術に長けた二人は、危なげなく危機を回避し、目的地へとたどり着く。

 アリアネルは口をパクパクとさせながらジェスチャーで”影”に目的地に着いたことを伝えると、扉に向き直って手をかざし、口の中でぶつぶつと何かを唱え始めた。

 消音の魔法のおかげで、呪文の声もかき消されている。魔法行使に使用される呪文は、あくまで魔力を練り上げる間のイメージを強固にするための働きでしかない。音声が伴うかどうかは魔法発動に関係ないのだろう。


(私の役目は、アリアネルが解錠するまでの間、周囲を警戒することですかね。まぁ、恐らく戦闘訓練を積んだ警備兵の類は、外敵の侵入を警戒して門や塀といったところに配置されているでしょうから、見つかるとしても寝ぼけまなこの神官くらい――私やアリアネルの敵ではないですね)


 神官たちは、基本的に戦闘能力に長けていない。戦闘能力が高い者は、殆どが聖騎士団への入団を希望するためだ。

 神官は、いうなれば宗教者と研究者の顔を持つ者たちだ。天使を崇め、国から資金と一定の権力を与えられて、天使についての研究を進めている。

 魔法学や歴史学といったものは、神殿の天使研究における副産物と言っても良い。

 故に神官を志す者たちは、座学の成績はとびぬけていることが多いが、戦闘における実力は求められないため、不得手な者も多い。特待クラスにおいても、下位天使の加護を持ちながらも戦闘に不向きな生徒や、一般クラスで座学の圧倒的な成績を収めている者が、毎年神殿の門を叩く。

 故に、歴代最強クラスの勇者シグルトよりも、戦闘訓練において好成績を叩きだしているアリアネルに敵うことはないだろう。


(唯一、濃密な聖気にてられて、アリアネルや私が体調を崩してまともに活動できないことを恐れていましたが――確かに、時折多少の息苦しさは感じるものの、活動に支障が出るほどではありません。どうやら魔王様がおっしゃる通り、神殿には一定量の瘴気が溜まっているようですね)


 ここは、魔族の侵入を阻む結界の中だ。どれほど瘴気が発生しようと、それを糧として消費してくれる魔族がやってくるわけではない。

 吹き溜まりのようにして、施設内に瘴気が集っている気配を感じながら、”影”は周囲に目を光らせる。


 警戒すべきは、神官ではない。

 最大の脅威は――天使。

 純白の翼を持つ強敵が気まぐれにでもこの神殿内に顕現すれば、全ての作戦は瓦解する。


 カチンッ……と静寂に支配されていた廊下に小さな音が響く。背後のアリアネルが無事に解錠を施したようだ。

 横顔だけで振り返ると、少女はふぅ、と安堵した様子で額の汗を拭う。普段、高位天使の魔法の使用を控えるように言いつけられているためか、地下に引き続き連続しての慣れない第三位階の魔法行使に神経を使ったのだろう。

 ざっと周囲を警戒して、何の気配も感じられないことを確認してから、”影”は少女の肩に手をかける。


『!?』

『大丈夫ですか』


 無音で急に手を掛けられて驚いたのだろう。肩を飛び上がらせた少女は、パクパクと口を動かし体調を気遣う”お兄ちゃん”の存在を視界に認め、ほっと胸をなでおろす。


『大丈夫!消音の魔法は、部屋の中で解くね』


 安心させるようにいつもの弾ける笑顔で告げて、少女は厳かな装飾が施された巨大な扉をそっと押し開ける。

 ついに、作戦の重要局面に差し掛かろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る