第162話 魔族討伐作戦②
慌ただしくなる教室の中で、マナリーアは隣に座る友人を気遣う。
「なんか、大変なことになっちゃったわね。アリィ、大丈夫?お屋敷に戻る?」
「ぁ、えっと……ぜ、ゼルにどうしたらいいか、聞いてくるね!」
全くの想定外の事態の勃発に、アリアネルは上ずった声で答えて席を立つ。人気のない場所で、ゼルカヴィアに
いってらっしゃい、と見送ってくれる学友に別れを告げて、少女はきょろきょろと周囲を見渡してから、特待クラス棟の裏庭へと足を向ける。
いつかの日に、シグルトから初めて太陽祭に花を贈ってもらったあの場所だ。
ひっそりとした裏庭に降り立ち、周囲に人影がないことを確認してから、緑に隠れるようにしてそっと頭部に指先で触れる。
「
恐る恐る、声を潜めながら問いかけると、少し時間が空いてから応答があった。
周囲を警戒しながら、アリアネルが小声で必死に状況を説明すると、ゼルカヴィアはやや沈んだ声で応えた。
『そうですか……イアスが……』
「あのっ……これって、パパは知ってるのかな……?」
『いいえ。私も初耳の情報です。人間界ではルイス――イアスの属する領地を束ねる上級魔族です――の目撃情報や被害報告はない、とのことでしたが、油断は出来ませんね。至急、こちらでも確認を取ります。少し待っていてください』
「あっ、ま、待って、私、どうしたらいい?一度、魔界に帰ったほうが――?」
『いえ。こちらに戻っても、どうせ日暮れ前にはそちらに送り届けねばならないのでしょう?馬車の速度は、決して速くないですから、いつものように街中を悠長に走って人間たちの眼が無くなったところを見計い転移して――などとしている時間が惜しいです。指示はこちらから出しますから、そちらにいてください』
「わ、わかった!連絡、待ってる!」
真剣な顔で、こくりと力強く頷くと、ふっと通信の向こうでゼルカヴィアが笑ったような気がした。
『こんな事態でも、貴女はいつも変わりませんね。裏表がなく、心配になるくらいに素直で、何事にも真剣で』
「へっ!?」
『褒めているのですよ。……貴女はそのままでいてください。魔王様にも指示を仰ぎます」
「う、うん。わかったよ」
なんだか褒められたような気がしないが、思い詰めたような声を出していたゼルカヴィアを和ませることが出来たならよかった。
「よしっ!私も、出来る準備をしよう!」
拳を握って決意すると、アリアネルは裏庭から足を踏み出す。
世界で一番頼りになる男が、最善を尽くして動いてくれると約束してくれた。あとは、任せておけば大丈夫だろう。
あとは自分に出来ることを精一杯、やり切るだけだ。
◆◆◆
アリアネルとの通信を終えると、ゼルカヴィアはすぐに動き出した。
(よりによって、魔王様の不在時に……いえ、最近は魔王様が城内にいらっしゃることの方が珍しい。仕方ないことかもしれません)
心の中でぼやきながら、ゼルカヴィアは魔王へと
報告を受けた魔王は、動揺した素振りも見せず、冷静に事態を受け止めた。
『……状況は理解した。ただし、俺は今すぐに戻ることは出来ない。ヴァイゼル並みの能力を誇る上級魔族の完成まであと少しという所まで来た。お前たちで解決が可能ならば、お前たちだけで始末を付けろ』
「上級魔族……それは、確かに可及的速やかに造り上げていただきたいところですが……」
ゼルカヴィアも苦悶の声を漏らす。
直近で魔王が地下に籠ってから、随分と長い期間が経っている。
おそらく丁寧に、上級魔族の命を造っているところだったのだろう。それも、古参魔族だったヴァイゼルと同等の能力を持つ魔族と言う。
しょっちゅう同胞の暴走事件が起きている今、戦闘力の面でも忠誠心の面でも、かつてのヴァイゼルのような魔族を味方に加えてもらえるというのは心強いことだが、事態は深刻だ。
「いくつか、考えるべきことがございます。イアス自身は中級魔族なので、上級魔族であれば誰でも、戦闘で劣ることはないでしょう。ただ、彼女の暴走は、予期せぬ出来事でした。アリアネルから連絡を受けてすぐにルイスに確認を取りましたが、ルイス自身は今回の件に全く関与しておらず、寝耳に水、という様子です。イアスに帰還するよう命令を下しても、無視されてしまい、支配を拒否している状態のようでした。……勿論、ルイスは己の配下の暴走を失態と捉え、今すぐにでも自分に討伐に行かせてくれと申し出てきましたが――いつぞやの、ヴァイゼルの事件を彷彿とさせます。そのまま魔王様の沙汰を待て、と留めました」
『……フン。お前の言わんとしていることは理解できる。ルイスを討伐に向かわせるリスクについては、俺も同意見だ。とはいえ、直属の配下が命令を無視するとあれば、それは完全なる異常事態だ。人間界の騒ぎが本当ならば、処罰は避けられない。討伐は決定事項だ。ただし、ルイス以外を向かわせろ』
かつて、同じように配下の魔族が暴走した落とし前を付けるという名目で、討伐に向かわせたヴァイゼルは、己もまた上官たるゼルカヴィアや魔王の呼びかけを無視する形となり、暴走してしまった。
あの時、何が起きていたのか、詳細はわかっていない。元々、ヴァイゼルが配下の者たちと示し合わせて計画していた事件だった、という可能性もゼロではない。
だが、ゼルカヴィアも魔王も、その可能性は薄いと考えている。
何者かの陰謀により、魔石を体内に植え付けられ、強制的な飢餓状態に陥らされたせいで、前後不覚になり生存本能をむき出しにして暴走行為を行ってしまった――という仮説が、今のところ最も有力だ。
この仮説が、仮説の域を出ない理由はただ一つ。――魔石を体内に植え付けられた経路と時期が不明である、と言うことに尽きる。
(ヴァイゼルは、魔族の暴走が本格化するよりもずいぶん前から、魔王城に勤めていて、ここ数十年は殆ど城から出ていません。少なくとも、アリアネルの武技の師を引き受けてからは、稽古をつける名目もあり、己の領地の様子を見に行くことすらなかったはず……部下の討伐を拝命し、城を出る瞬間まで、ヴァイゼルはいつも通りだった。そう考えれば、城を出てから部下の元へと赴くまでの間で、誰かから何かをされたと考える方が自然ですが……)
生真面目で、己にも他人にも厳しい鋼の魔族の顔を思い浮かべて、ぎゅっと拳を握る。
古参魔族の中でも、魔王への忠誠心がひと際強い男だった。
城を発つ前――あるいは発った後でも、怪しい何者かの接触があったとすれば、全力で抵抗し、魔界の危機を感じ取ってすぐに魔王へと報告をしたことだろう。
仮にも、第三位階の天使と同等の魔法能力を持った男だった。さらに言えば、魔法を使わず武器のみを用いた戦闘であれば、第二位階の天使とでも矛を交えることが出来る強さだったはずだ。
その彼が、たった一言の報告を上げられないほどの事態に陥るなど、考えられない。
――味方だと思い込んでいる者からの接触でもなければ。
「己の部下とあれば、どんな者であれ多少は情があるでしょう。それなりに有能な魔族を失えば、魔界としても痛手を被る。そしてその穴を埋めるのは、至上の主である魔王様――となれば、頭ではわかっていても、きっと説得の一つ二つはしたくなるものです。ヴァイゼルも、そこを狙われた――と考えれば、あの厳格という言葉が服を着て歩いていそうな男があっさりと反乱分子となってしまった理由も頷けます。……ルイスが、同じ轍を踏まないとも限りません。なるべく、イアスとあまり接触したことがない者を向かわせるべきでしょう」
『あぁ。異論はない』
「はい。ただ――」
ゼルカヴィアは、きゅっと眉根を寄せて言い澱む。
『なんだ』
「…もしこれが、ヴァイゼルと似たケースだと言うのなら、万一に備え、相応の力を持つ信頼できる古参の上級魔族に向かわせるべきだと思っています。ミュルソスか、ルミィか、オゥゾが適任でしょう」
『異論はないと言っている』
魔王の返事は端的だ。きっと、今も命を造る真っ最中なのだろう。
そんな中で、些事と捉えかねない悩みを持つ自分を不甲斐なく思いながら、それでも判断がつかぬため、致し方なく口を開く。
「本来であれば、イアスの男を誑かす能力を鑑みても、ルミィを向かわせるべきだと思うのですが――」
『……?なんだ。歯切れが悪い。端的に言え」
「は……申し訳ございません。――今回の件、オゥゾに任せてもよろしいでしょうか」
一瞬、魔王が沈黙する。
頭を巡らせて、ゼルカヴィアの進言の背景を探ろうとしているのだろう。
ゼルカヴィアは苦い顔で、恐る恐る口を開く。
「ルミィは――ミュルソスも、ですが――アリアネルが通う聖騎士養成学園に顔を出したことがあります」
『……』
「学園の生徒らは、アリアネルも含め、今日の夕方にも作戦行動のために現地へ向けて出立するとのことです。人間たちの進軍速度が如何程かわかりませんが、今晩か、遅くても明日の朝には、現地に到着していることでしょう」
『…………』
「大体の座標に当たりを付けて
下らない――と一蹴される可能性は大いにある。
だがそれでも、念のため、確認を入れておきたかった。
「顔が割れているミュルソスとルミィではなく、オゥゾに任せたいと思うのですが……よろしいでしょうか」
魔王は、再び沈黙する。
ゼルカヴィアの言葉の是非を考えているのだろう。
『オゥゾか……アレは、昔から人間に恐れられているだろう。姿を現すだけで、混乱と不必要な瘴気を生むことに繋がるとも限らない』
「はい。重々承知しております」
真っ赤に燃え盛るような特徴的な短髪と瞳を持つ、残虐非道な炎の魔族――というのが、人間界で数千年語り継がれているオゥゾの評判だ。
アリアネルは、学園でそのころの文献を読み、一体誰の話をしているのかと笑っていたが、あの情け容赦なく人間を火の海へと沈めていく男は、今も人間界で恐れられているはずだ。
「勿論、些事と言えばそれまでです。いざとなれば、私が関係者の記憶を捜査してしまえば事足ります。それならば、私自身が最初から赴いた方が早いですが、魔王様不在の城を任されている身として、ここを離れるわけにも行きません」
『お前の固有魔法は、万能ではない。一人でも記憶操作を漏らした人間がいれば、周囲の認識の齟齬が生まれ、露呈する。あまり多用するな』
「はい。……ですので、可能ならばオゥゾを――と思うのですが」
魔王は少し考えた後、ため息とともに答えを告げる。
『わかった。オゥゾを向かわせろ』
「!」
『イアスの固有魔法は、人間相手にしか効かない。そもそも性欲を持たない魔族には、男型であっても意味を成さん。オゥゾが行っても、イアスに手玉に取られることはないだろう。……それにそもそも、オゥゾの性格は、ルミィ以外の存在に対しては酷く排他的に造ったはずだ。他領の中級魔族で、不穏分子と判断されたイアスに情を沸かせるようなこともあるまい』
「はい……!」
『そうでなくても、イアスが暴走しているのは豪雪地帯だと言っていたな。イアスは蝙蝠と掛け合わせた中級魔族だ。夜目が利く上に、魔族でありながら空を飛べる。雪の影に隠れながら、夜の闇に乗じて空中から襲い掛かられれば、上級魔族とはいえ不覚を取る可能性もあるだろう。実際、人間どもが苦戦しているのもそうした戦法に手間取っている可能性は高い。その点、オゥゾの火は、降り積もった雪も夜の闇も払うことが出来る。……あいつ自身が人間界に降りて狩りをするなど、ここ数百年は無かったはずだから、大味な奴の火炎魔法でうっかり一帯の人間どもをゴミのように焼き払って恐怖のどん底に突き落としかねないことだけが懸念だが――イアスと地形との相性も考えた際、オゥゾに託す理由がないわけではない。お前の判断に任せる』
「はっ!かしこまりました……!」
己の判断の客観性を補強してくれたことに感謝しながら、ゼルカヴィアはその場で頭を下げる。
そのまま、オゥゾとアリアネルに今後の指示を出すために踵を返すのだった。
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