第223話 封天使②

「「――!!?」」


 ――敵。

 声が響いた瞬間、二人の脳裏に同じ文字が浮かぶ。


(気配が、――!?あり得ない!)


 声が響くその瞬間まで、”影”は警戒を解いてはいなかった。当然、周囲に近寄る者がいないかも注意していた。

 しかし、その声は、何もなかったところから急に現れた。

 上手く気配を殺している、などというレベルではない。

 どう贔屓目に見ても、何もない虚空から現れたとしか思えない不自然さで、その敵は姿を現したのだ。


 ”影”はすぐに魔剣を抜き放ちながら背後を振り返る。


(振り返り、敵を視認し、剣を突き立て――駄目だ、遅いっ……!)


 コマ送りのように感じられる最中、頭の中で即座に行ったシミュレートに歯噛みする。

 声は、アリアネルの耳元――肩口に接するような至近距離で発せられたはずだ。

 それほどの距離まで接近を許していたとなれば、”影”が魔剣で対応するよりも早く、アリアネルを害すことなど簡単だ。


 焦燥に駆られながら振り向くその瞬間――


「っ、ぇいっ!」


 どこか気が抜けるような可愛らしい掛け声が響いたと思った途端、ドッ……と重たい衝撃音が響いた。


「っ、ぐ――」


 "影"が振り向いた視界の先に飛び込んできたのは、咄嗟に防御のために掲げた腕ごと、一人の男が吹き飛ばされていくところだった。

 少女が片足を振り抜いた反動で振り返っているところを見ると、アリアネルは声を認識した瞬間、振り返って敵影を確認するより先に、相手の頭があると思しき己の肩口に向けて、問答無用で上段回し蹴りを叩きこんだようだった。


 たっぷり数歩分引き離されて止まった男は、ゆっくりと腕を降ろす。よく見れば、腕の周辺に光の粒が四散していた。


「見た目によらず、速く重い一撃を放つらしい。障壁の種類を見誤ったようだ」

「ゼルに、痴漢男には絶対容赦するなって教わったからね!」


 ふんっと胸を逸らして言うアリアネルに、帰ったら「よく教えを守った」と褒めてやろう、と胸中で呟く。

 少女は、見かけからは想像できない怪力の持ち主だ。身の丈以上の巨大斧を軽々と振り回すほどである。

 その少女が、驚きながらとはいえ、敵を撃退しようと容赦なく振り抜いた蹴りだ。成人男性を吹き飛ばすくらい何ということはないだろう。


「ところで、痴漢男さんは――もしかして、天使?」

「無礼な言い草だ。聖なる翼を背負った"人間"など、存在すると思うか?」


 鍛え抜かれた逞しい長身を天使の白装束に包んだ青年は、フン、と鼻を鳴らして不機嫌そうに言いながら、その背にある純白の双翼を見せつけるように軽く動かして見せる。

 意志を持って自在に動かせるということは、飾りではないのだろう。日常で天使の仮装をする変態男という線は消えたわけだ。

 

 やや赤みを帯びた鮮やかな黄金の髪は短く刈られており、精悍な顔立ちが暗がりでもはっきりと見える。見た者を怯ませるような鋭い切れ長の瞳から覗くのは、透き通るようなエメラルド色。

 ここへ来る前に、魔王に念を押されたため、二人とも相手の正体には見当がついていた。


「封天使――!」

「ほう。俺のことを知っているのか。神殿に忍び込む罰当たりなコソ泥かと思ったが、それなりに知識はあるらしい」


 言いながら天使が軽く手を振ると、ふっと周囲の温度が数度下がり、重圧が増したような感覚に陥る。


「な……ぁ……?」

「アリィ、下がりなさい!」


 急に目の前の天使の存在感が増したのを察し、”影”がサッとアリアネルを庇うように前へ出る。


(魔王様曰く、”封じる”ということについては対象が何であれ完璧にこなす――でしたか。なるほど。己の『気配』も封じることが出来る、と言う訳ですね……!)


 目の前にいると言うのに存在感を感じないというちぐはぐの状況から一転、天使の腕の一振りで高位天使が眼の前にいることをありありと実感させられる重圧プレッシャーがのしかかってきたことから、何らかの魔法を解いたのだと理解する。

 魔剣を構えて前に出た”影”を見て、ぴくり、と天使の眉が興味深そうに跳ね上げられた。


「貴女は、扉の解呪を!」

「っ、でも!」

「天使の魔法については私の管轄外です。貴女にしか出来ません」


 目の前の敵から目を逸らすことなく言い切られ、ぐっと一瞬言葉に詰まった後、アリアネルはバッと後ろを振り返って魔力を練り上る。


「貴様ら、何者だ?コソ泥かと思ったが、そちらの女は、とても悪事を働くなど考えられぬ魂の輝きをしている」


 少女の魂が眩しいのだろう。不可解な顔をしながら眼を眇めて天使が問いかけるが、問答に付きやってやる義理はない。

 ”影”は懐から魔水晶をいくつか取り出し、呪文を唱え始めた。

 

「その女の魂……何やら、妙な輝きだな。問答無用で網膜を突き刺してくるが、本来の輝きではないようにも思える。何か、まるで――そう。幾重にも障壁を通して放たれるような、鈍さがある。……なるほど。地天使が隠したのは、この女か」

「!」


 ”影”とアリアネルは一瞬息を飲む。


「馬鹿な男だ。第六位階の分際で、第三位階の目を隠し通せるとでも思っていたのか。こんなにも瘴気が吹き溜まっている場に、あれほど清廉な聖気が満ちていれば、神殿関係者以外の何者かが入り込んだことの証明に他ならぬと言うに……」

「っ……!」


 呆れた声で言う封天使の声に惑わされて集中を切らさぬよう、アリアネルは呪文を口に出す。


「我、封印を司る天使に乞う!固く閉ざされし青き扉、我が前に――」

「愚かな」


 パンッ

 封天使が面倒そうな声で一言呟きながら、虫を払うように手を振ると、アリアネルの目の前で破裂音が炸裂し、魔力が霧散する。


「わっ!?」


 アリアネルの小さな悲鳴に、思わず”影”も呪文を中断して気配だけで後ろを伺う。今、この状況で目の前の敵から視線を逸らすことは命とりだとわかっていた。


「俺が施した封印を解呪するのに、俺に助力を乞うなど、滑稽極まりない。これだから人間は、好かんのだ」


 サッとアリアネルの顔が青ざめる。

 幼い頃に教わった魔王の魔法談義が脳裏に蘇った。


(そうだ……魔法は、イメージと魔力操作だけでどうにかなるものじゃない。最後は、魔法の元を司る天使や魔族が、力を貸し与えるかどうか決めるもの。助力を乞うならばそこに強制力はなく――名前を知っていたとしても、相手が格上でなければ、強制することは出来ない。だから人間が魔法を使えるのはあくまで、天使の加護に付随するおまけみたいな能力だから、魔法に頼り切るような人間になるなって言われたのに――!)


 だから、魔王は二人がここへ旅立つときに、念を押したのだ。

 封天使と相対すれば、逃げることは叶わない――と。


(封天使が、私たち外部の人間が侵入したことを、知った――そりゃそうだよ……!来た時も、ここの扉、封天使の魔法で開けたんだから……!天使や魔族は、自分の魔法が行使されるとき、相手がどこにいるかまでわかるって、パパに教えてもらったじゃない……!)


 普段この地下に人が来ることがないという事前情報は、裏返せば、神官たちは日常的にこの扉を開けることなどない、ということだ。

 そのわずかな違和感を、忍び込んだコソ泥の仕業かもしれないと思いながらも、念のため見に来たのだろうと察する。


(なんて用心深い天使なの……!コソ泥の仕業と疑いながらも、万が一を考えて、ここを封じたってこと!?私が見たこともないような――学園で魔法の最高成績を収めるような人間でも解呪できないような、高度な魔法で!?)


 ギリッと奥歯を噛みしめる。今更、到着時の迂闊な行動を呪った。

 

(パパが言ってたのは、こういうことだったんだ……!封天使に見つかったら、逃げられない。こうして逃げ道を封印されてしまったら、封天使の”解呪”を強制力を持って発動できない私たちは、力推し以外の方法が無くなる――!)


 額に、氷のように冷たい汗が噴き出したその瞬間だった。


「我、瘴気を司る魔族ミヴァに命ず!濃霧のごとき瘴気でこの地を満たせ!」


 アリアネルの背中を押すように力強い声が呪文を締めくくる。


「何!?」


 封天使の焦った声を聴いて、ハッとアリアネルは我に返った。


「アリィ!諦めてはなりません!手を尽くしなさい!」

「っ、うん!!!」


 ぶぁっ――と目に見えない力の波動が青年を中心に広がる気配に、少女は頬を引き締めて頷く。

 天使は顔を顰めてタンッと床を蹴り青年から距離を開けた。濃密な瘴気の塊をぶつけられては、呼吸も魔法も上手く作用しないためだろう。

 十分に瘴気が廊下を満たしたことを察し、アリアネルと”影”は奇しくも同じ呪文を唱えた。


「「我、炎を司る魔族オゥゾに命ず。蒼き業火で対象を焼き尽くせ!」」

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