第224話 封天使③

 ボッと炎が爆ぜる音がした瞬間、周囲の瘴気を糧に、蒼い炎が延焼するようにして一直線に対象へと向かう。

 アリアネルの炎は、固い封印が施された扉に向かって。

 ”影”の炎は水晶の中から、封印を司る天使に向かって――


魔力障壁マジックシールド!」


 封天使は両手をかざし、目の前に魔力による干渉を防ぐ盾を展開する。

 魔力障壁と魔法のぶつかり合いは、純粋な魔法の力の押し合いになり、蒼い炎と障壁が衝突することで、束の間、力の均衡が訪れた。


 その隙に、”影”はもう一つ魔水晶を取り出し、早口で呪文を唱える。


転移門ゲート!」


 それは、ゼルカヴィアが事前に込めておいた魔法だった。

 飛び切り純度の高い一つの水晶に、一度だけ展開できるように込められた高位魔法は、封天使による魔法で退路を断たれてしまった今、最後の砦でもあった。


(これは賭けだ。いくらゼルカヴィアの知識でルシーニの名前を知っているとは言え、今の私に、この高位魔法が扱えるのか――!)


 魔法行使の能力だけで言えば、”影”はアリアネルと大差がない。先ほど展開した蒼炎も、ゼルカヴィアが水晶に込めたものを解放して放ったと言うのに、ゼルカヴィアが使えば小さな村一つくらい焼き尽くせるほどのそれと比べれば、威力が段違いだった。

 魔法の力を貸す側は、魔法を行使しようとしている者がどんな存在で、どこにいるのかを悟る。

 仮に今、水晶を介さず”影”がオゥゾの名を口にして命じても、見知らぬ脆弱な存在をオゥゾが格上とみなすことはなく、先ほどアリアネルが解呪に失敗したように、魔法が発現することはないだろう。

 しかし、水晶を通じた魔法行使は、魔法を最初に込めた時点での相手の命令が生きるらしい。威力が少ないながらも命令が有効となり蒼炎が発動したのは、ゼルカヴィアが事前に水晶に込めた時点での条件が優先されるということだ。

 ただ影”が仲介役となり、ゼルカヴィアが込めた魔法を世の中に放っただけ、という解釈なのだろう。

 だから、本来”影”には使えない蒼炎も、ゼルカヴィアの権限で発現させられたのだ。


 しかし、いざ発現した魔法が、ゼルカヴィアの魔法よりも威力が低いのは、開放時には仲介役の実力以上の魔法は使えないという証明でもあった。

 魔族でも上級魔族以外は使えない、格段に取り扱いが難しい転移門ゲートを、今の”影”に扱えるかどうかは、まさに賭けでしかなかったが――


「っ、くそっ……!」


 ふぉんっ……と虚しい音と共に、構築した魔力とイメージが虚空に霧散し、”影”は悪態をつく。

 賭けには負けてしまったようだ。

 見れば、やはり"影"の蒼炎では封天使の障壁を破るには至らなかったのだろう。少し距離を取った先で、放った炎が障壁を打ち破れずに、火の粉となって宙に散り行くのが見えた。


「アリィ、そっちはどうですか!」

「っ、だめ!びくともしない……!」


 背後に鋭く尋ねれば、泣きごとのような返答が返ってきた。

 扉の目の前で蒼炎を放てば、魔法を放ったアリアネル自身が巻き込まれることは避けられないが、彼女には第一位階の”加護”がついている。外敵からの攻撃を全自動フルオートで防ぐ障壁は、上級魔族の炎もあっさりと防いだだろう。

 少女自身の負傷を心配する必要がないことだけは、いくらかありがたかった。


「瘴気を意図的に発生させる魔法、だと……?それに、人間には扱えぬとされている蒼炎――貴様ら、何者だ」


 蒼炎を凌ぎ切ったエメラルドの瞳が一段と鋭く光り、ドスの利いた重低音が問い詰める。

 天界勢力は、ミヴァの存在を知らなかったようだ。警戒心をあらわに、値踏みするように”影”とアリアネルを見据える。


(困りましたね。現状、私とアリィが使える最強の攻撃呪文は蒼炎です。それをあっさりと防がれては、打つ手なし……最悪の展開を想定すべきですか)


 ぐっと唾を飲み込み、顎を伝う冷たい汗をそっと手の甲で拭いながら、冷静に考える。


「我、雷を司る天使に乞う!聖なる雷で悪しきを穿て!」


 アリアネルは往生際悪く、自分が知る天使の魔法の中で最も攻撃力が高いとされる呪文を放ったようだが、結果は見るまでもないだろう。

 確かに雷天使はオゥゾよりも格上の天使だ。その魔法をもってすれば、蒼炎で駄目でも――と思ったのだろうが、オゥゾと違い、アリアネルは雷天使の名前を知らない。

 やや格下ではあるものの名で命じる形で高威力を放てるオゥゾの魔法と、格上であっても助力を乞う形でしか行使できない雷天使の魔法――どちらが威力があるかと問われれば、前者であることは明白だ。


「っ、どうしてっ……!」


 アリアネルの泣き言が背後から聞こえるのが答えだ。

 ”影”は静かに頭を巡らせる。戦闘能力はゼルカヴィアに遥か劣っていても、頭脳の回転に関してはゼルカヴィアと同等の能力を誇っているはずだ。


(封天使は、封印に特化した第三位階の天使――他の天使と慣れ合うことを良しとしない、という魔王様の言を信じれば、天使の名前をどれくらい知っているかは怪しいですね。少なくとも、自分より格上の天使の魔法を意のままに操ることはない――と想定しましょうか)


 やや楽観的な予想かもしれないが、今はこの状況を切り抜けるための可能性を探ることを優先したい。”影”は静かに計算する。


(天使側最強の攻撃魔法を持つ雷天使や、身体能力向上などの戦闘に役立つ正天使の魔法を本来の威力で使うことは出来ないとするなら、アリィと条件は同じ。封天使が使えるのは、己の封印魔法と、本来戦闘用ではない格下天使の魔法を応用することだけだと想定すれば、こちらは名前を把握している上級魔族が多いのですから、能力封印にさえ気を付ければ、対応策はあります)


 ここに来る前、封天使は最悪の相手だ、と魔王が忠告したのは、二人が即座に殺されることを危惧してのことではなかったことを思い出す。

 

(封天使を相手にすれば――『逃げられない』、『勝てない』、ということでしょうね。相手の一撃でこちらが倒れることはないでしょうが、逃げ道を防がれることで逃亡が出来ず、絶対の防御を持つせいでこちらの攻撃を通すことが出来ない、ということでしょう。脆弱な人間の体力しかない我々は、持久戦には向きませんし)


 次の手を考えながら、そっと手の中にミヴァの魔法を込めた水晶を握り込む。


(つまり、この封天使が次に取る手は、我々を拘束して能力を奪ってから命を――いえ、無理ですね。天使は人間を。アリィは勿論、現時点では私のことも人間とみなしているようです。ということは、ここで殺されることはなく、捕らえられて天界に連行され、尋問されるのでしょうか。コソ泥と思ってくれているなら、このまま神官に引き渡すか、王都の外に放置でもしてくれればと思いますが、ここまでこちらの素性に疑念を持たれている以上、無理でしょうね)


 封天使は、こちらを隙なく見据えて一挙一動を見逃さぬよう眼光を鋭くしている。

 すぐに攻撃に特化した魔法を使わないことからも、魔王が言う通り慎重な性格らしい。念のため、という理由で人間界に様子を見に降りて来たり、扉に封印を施したりという行動からも明らかだ。


(慎重な性格ならば、次は上司の指示を仰ぐでしょうね。直接正天使と通信されては厄介ですが、天使は魔族の魔法である伝言メッセージを使えないはず。となれば、やはりこちらを拘束して直接天界へ連行するのでしょう。私は、ミヴァの水晶を隠し持った状態でゼルカヴィアと融合すれば、天界に連れていかれたとしても一矢報いられる可能性がありますが、アリィは――)


 チラリ、と視線だけで少女を振り返る。

 素直に、「諦めるな」という”影”の言葉を信じて、今は光天使の魔法を試みようとしているらしい。

 徒労に終わるだろうと予想がつくが、どんな時も希望を捨てないその姿勢は、本来『勇者』として人間を率いるに相応しい心根と言えるだろう。


(元はと言えば、最初にアリアネルに目をつけたのは正天使……陽の下が似合うこの子が天界の手に落ちたとしても、最悪の事態には――)


 絶望的な状況を前に、都合よく楽観的な考えが過りかけたその瞬間、ふと、”影”の脳裏に、ゼルカヴィアとして過ごした分も合わせた、今日までの十四年の記憶が甦る。


 ワトレク村でただ一人生き残り、魔王の気まぐれで託された、無力な赤子。

 目を離せばすぐに死んでしまう脆弱な生き物は、食事をするにも排泄するにも、生きるための行為の全てをゼルカヴィアに全力で頼った。

 生まれて初めて寝返りを打った日。生まれて初めて意味のある単語を発した日。生まれて初めて立ち上がった日。

 顔の半分くらいあるのではと思うくらい大きな竜胆の瞳をぱっちりと見開いて、長身のゼルカヴィアを見上げては、全幅の信頼を寄せて纏わりついてくる姿。

 自我が芽生え、知識を吸収していくうち、家族の愛情に飢えて寂しさを胸に抱えて時に物憂げな表情をしていた少女は、偶然「パパ」と出逢ったことで毎日活き活きと過ごすようになった。

 月に一度しか逢えない謎の存在を”お兄ちゃん”と呼んで慕って、ゼルカヴィアと魔王と合わせて、全員を己の『家族』だと笑った。


『お兄ちゃんは、私が絶対に守るからね!』


 太陽が存在しない寒々しく薄暗い魔界には似合わない眩しい少女は、いつのまにか随分と頼もしく、大きく成長していた。

 いつか魔界から解放し、全ての記憶を消して、少女に相応しい場所へ送り出してやることも、親代わりの役目ではないかと覚悟した日もあった。

 

「だんまりか。……では、拘束して無理矢理吐かせるだけだ」


 ぐっと足を大きく開いて、翼を微かに折りたたみ、狭い廊下で動きやすい構えを取る封天使に、フッと口の端に笑みを刻む。

 少女を想って覚悟したのは、彼女を自分以上に愛し、慈しみ、幸せにしてくれる存在の元へ預ける、ということだ。

 決して、少女を愚かで脆弱な存在と侮り――あまつさえ、魔王を害すための使い捨ての駒として非道な行いをするであろう、憎々しい正天使の元へやるということではない。


「手塩にかけた大事な娘を、変態天使に渡すなど、ゾッとしますね。これが世の男親の気持ちでしょうか」


 言いながら、視線を逸らすことなく握り込んでいた水晶をアリアネルに押し付けるようにして渡す。


「お兄ちゃん……!?」

「魔王様に、報告を。夜明けになればゼルカヴィアと融合する私は、王都に留まることは出来ませんが、貴女に時間制限はありません。"門"からの脱出が無理でも、神殿を正面から抜け出し、王都さえ脱出出来れば、上級魔族がいくらでも助けてくれます。魔王様に知恵を拝借して、貴女だけでも、何とかこの場を切り抜けなさい。――封天使は、私が引き受けます」

「待って!それじゃお兄ちゃんは――!」


 少女の制止を振り切り、”影”は魔剣を構えて封天使へと肉薄した。

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