第225話 封天使④
「脆弱な人の身で、天使に肉弾戦を挑むか!」
「変態天使相手に、魔法戦では決定打に掛けるようなので、ね――!」
魔族のゼルカヴィアと異なり、"影"には体の丈夫さはない。あくまで人間の枠組みを超えない程度の力しかないだろう。体力も、魔族に比べればほとんどないと言っていい。
だが、技の冴えはゼルカヴィアと変わらない。剣技で束の間、時間を稼ぐことは出来るだろうと考えた。
「魔法が使える、ということは貴様、加護付きか――?」
「さぁて、どうでしょう?おしゃべりな男は嫌われますよ」
軽口を叩きながら、慎重に相手を推しはかろうと距離を取る天使に、しつこく追い縋っていく。
アリアネルは兄の奮闘に一瞬泣きそうに顔を歪めた後、即座にこめかみに手を当てた。
「
『どうした!』
魔力を練った瞬間、間髪入れずに魔王の声が脳裏に響く。
いつも余裕を崩さない男にしては珍しく、焦った声音。
何かあった時のためにと、コンタクトがあればすぐに応答できるようにずっと気にかけていてくれたのだろうと思うと、大好きな父の声に涙があふれた。
「パパっ……パパ、魔界に、帰れないのっ!封天使が来て、魔界に通じる”門”がある部屋を封じちゃって――どんな攻撃魔法でも封印は解けなくて、お兄ちゃんが、封天使と戦ってて!」
『何――!?』
「お兄ちゃんは、私だけでも王都から脱出しろって――嫌だよパパ!お兄ちゃんと一緒に、魔界に帰りたい!!!」
ポロポロと涙をあふれさせて、想いを吐露する。
ガキンッと金属がぶつかる音が背後で響く。――”影”の魔剣から逃げきれず、封天使が切り結んだ音だろう。
『っ――封印は、何色だ!』
アリアネルの感情的な報告から魔王は状況を推察し、焦燥を募らせながら問いかける。
「青!青色だよ!光る見たことない文字みたいな紋様がうねうね動きながら、扉がある壁一面に施されてる!」
『手で触れるか!?』
「お兄ちゃんが触ろうとしたら、弾かれて大火傷しちゃった!」
少女は泣きながら叫ぶようにして魔王に情報を余すことなく伝える。この状況を打破してくれるなら、外聞を取り繕っている場合ではない。
”影”の戦闘能力は、アリアネルと変わらないと言っていた。つまり――正攻法では第三位階の封天使に勝てるわけがない、ということだ。
少しでも早くしなければ、大好きな家族が無事ではいられない。
その状況は、魔王にもよく理解できているのだろう。一瞬息を詰めた後、通信先から声を荒げるように指示を飛ばす。
『その封印は、お前や”影”の魔法では打ち破れん!』
「そんな――じゃあ、どうしたら――!」
魔王の言葉に絶望のあまり扉の前に膝をつく。両手で顔を覆えば、滂沱と涙があふれだした。
しかし、続く言葉は、アリアネルを励ますような力強い響きを伴った。
『お前が、手で、こじ開けろ!!!』
「え――?」
呆然とした声を漏らし、顔を上げる。
青々と光を放つそれを見つめていると、魔王は舌打ちをした後続けた。
『その封印は、封天使よりも格上の力でしか打ち破れん!解呪の魔法が使えんなら、圧倒する力でごり押すしかない!だが、お前の正天使の加護は、正天使より格下の外敵からの攻撃を全て弾く!』
「――!」
ハッと息を飲んで魔王が意図する内容を理解する。
焦るあまり足をもつれさせながら、アリアネルは必死に扉に縋りついた。
バチバチッと蒼い閃光が奔り、”影”にしたように少女の華奢な手を焼こうとするが、外敵による攻撃と判断したのか、加護が発動して閃光をあっさりと弾く。
(そっか――正天使の方が、封天使よりも、格上だから……!)
シグルトとマナリーアが、かつてヴァイゼルと交戦した時、封天使の加護が付けられていた学友の防御壁はすぐに破られてしまったが、二人だけはヴァイゼルの猛攻も凌いだことを思い出す。
たとえ、天界随一の攻撃魔法を持つ第二位階の雷天使でさえ、傷ひとつつけることができない、絶対の防御――それが、第一位階の天使が施す加護の力だ。
アリアネル本人が封天使より格下であっても関係ない。
少女の加護と封天使の封印が正面からぶつかり合えば、第一位階の加護が競り勝つということだろう。
『封印に触れれば、後は力押ししかない!持てる力全てを腕力に注いで扉を押し開けろ!』
「っ――ぁあああああああっっ!!!」
父の言葉に従い、全体重を乗せるようにして巨大な扉に手をつく。
押しつけた途端に両手からバチバチと青い閃光が迸り、身体を押し返すように反発してくる力に、アリアネルは全力で抵抗した。
「な――どう言うことだ!?なぜ、弾き返せない!?」
視界の端で、己の封印に抵抗する少女を見て、封天使は驚きの声をあげる。
目の前の敵から意識を逸らし、切れ長の瞳が大きく見開かれたその隙を逃さず、“影”は早口で呪文を唱えた。
「
「っ!?」
ヴァッ――
羽虫の群れが突っ込んでくるような音と共に、黒い霧が魔剣から吹き出し、切り結んでいた天使に襲いかかる。
咄嗟に身を引くが、間に合わず切り結んでいた天使の剣の
「ちっ――!」
霧が触れた先からグズグズと腐敗し崩れ落ちて行く剣に見切りをつけ、すぐさま手にしていた武器を放り出す。
その隙を逃さすまいと魔剣ごと突っ込んで来る”影”に向かって、封天使は舌打ちをしながら手をかざした。
「
放った第四位階の風天使の魔法は、屋内で封天使が使える数少ない攻撃魔法だ。
風の力を圧縮し、物体を切り裂く不可視の刃として複数を打ち出す魔法。
「
石造りの地下廊下を舐めるように不可視の刃が迫るが、”影”は咄嗟に水の盾を展開して攻撃を防ぐ。
魔族の中で最も防御に特化した魔族、ルミィの防御魔法の一つだ。
(盾がイメージよりもだいぶ小さい……!ゼルカヴィアの要領で戦うと、痛い目を見るのは確実ですね……!)
ゼルカヴィアであれば、廊下の空間を丸ごと遮断するほど大きな水の壁を造り出せただろうが、今の”影”が生み出せるのは、聖騎士が戦場に持ち出す小型~中型程度の鋼盾程度。
風の刃を全て防ぎ切ることは出来ず、動きに阻害が出るほどではないが、身体の至る所にわずかな裂傷を刻んだ。
顔の付近の薄皮一枚を切り裂いた刃が、ツゥ――と頬に一筋の血を描く。
それを見て、封天使は不可解なものを見るように眉をひそめた。
(第四位階の、低位魔法で傷がついた……?この男、加護はないのか――?)
風天使は第四位階だが、
屋外であれば大嵐を呼んで敵を飲み込むことも出来ただろうが、今そんなものを使用すれば、神殿ごと吹き飛んで無関係の神官たちが犠牲になってしまう。
あくまで、”影”の追撃を逃れるための攻撃でしかなかったが、その攻撃が青年の皮膚を傷つけたことに封天使は眉をひそめた。
(人間の年齢には詳しくない。若く見えるが、既に十五を過ぎて加護が消えたと言うことか?ありうるが――違和感は拭えない。なぜこうも、魔族の魔法ばかり連発する?)
水障壁は確かに防御力に優れているが、魔法を習った人間が咄嗟に使用する魔法とは言い難い。
聖騎士養成学園で魔法の基礎を習ったような人間であれば、まず間違いなく咄嗟に展開する魔法は、封天使の魔力障壁だ。魔法の実力が足りないならば、次に思いつくのは地天使の土壁あたりだろう。
(他にも違和感はある。魔法の威力と練度は、人間にしては優れた部類だが、戦闘センスは並みの人間を遥かに超越するレベルだ。使用する魔法のバリエーションと応用、剣と魔法の使い分け、駆け引き――幼少期から魔族と戦う責を負って長年経験を積んだ魔界侵攻に赴く歴代勇者らですら、この男の足下に遠く及ばんだろう。このセンスは、人間の短い寿命のたかが数十年で身に着くようなものではない――)
「戦いの最中に考え事ですか?随分と余裕ですね!」
ドッと石床を力強く蹴って距離を詰めてくる敵に、封天使は息を飲んで物理攻撃を防ぐ障壁を造り出す。
(なんだ――なんだ、この纏わりつくような違和感は――!後ろの加護付きも、得体がしれない――!)
本来、封天使は後方支援に優れる天使だ。人間ごときに後れを取ることはないが、慎重な性格も相まって、ゆっくりと状況を分析しながら手を打つことを得意とする。
封天使の性格と戦闘傾向をそのように分析した”影”は、だからこそ息を吐く間も与えずに多彩な技を繰り出し、考える時間を与えない。
考えがまとまらないうちは、極端な攻撃はしてこないと見込んでいた。
「アリィ!」
展開される天使の障壁を、ヴァイゼルが鍛え上げた魔剣で押し返しながら、”影”は名前を鋭く呼ぶ声で背後に説明を求める。
バチバチと蒼い火花が散っていることから、少女が何かしらの抵抗を試みていることはわかったが、視線をやる余裕はなかった。
「お兄ちゃん!っ――魔界に、一緒に、帰るよ!」
全身全霊を込めて扉をこじ開けようと試みながら、アリアネルは必死に声を張り上げる。
「絶対、絶対――パパの元に、帰るん、だからっ!!!」
バチバチバチッ
閃光が激しくなり、薄暗い地下廊下が眩しく明滅する。
「全力でこの扉開けるから――絶対、絶対、一緒に、帰ろうね!!!」
絞り出すような声で叫ぶ言葉に、こくりと小さく頷く。
(扉を開けて、一緒に帰る――魔王様から、扉をこじ開ける何らかの術を託されたということでしょうね。全力で、ということは、魔力なり体力なりを使いつくす危惧があると言うことでしょう。それなら、私が採るべき手は一つです!)
アリアネルが扉をこじ開けるまで、封天使を近づかせず、扉が開いた瞬間、魔力か体力が尽きた少女を抱えて部屋に飛び込み、門へと一目散に走ること。
「さぁ、封天使殿――平和ボケした天使の実力拝見と行きましょうか!」
ギラリ、と青年の瞳が鋭さを増し、第三位階の天使を睨み据えたのだった。
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