第71話 世界の創造③
彼は、初めて生み出した”天使”を大層気に入った。
”天使”を生むまでの幾星霜――気の遠くなるような月日の『孤独』が、嘘のように霧散したからだ。
喜んだ彼は、その”天使”が幸せに生きられるように世界を整えていく。
まず最初に、選ばれし者に相応しい楽園を授けた。
愚かな人間たちは決して踏み込むことのできない、『天界』と名付けられたその聖域は、かつて、彼が永遠の孤独を感じた漆黒の闇とは無縁の、太陽の光が燦々と降り注ぐとこしえの世界。
天使が喜んでくれるように、かつて彼の心を和ませた美しい花々を敷き詰め、温かく穏やかな日常を過ごせる世界を作り上げた。
天使を造る時に考えていたのは、虚無の世界で切望した温かな光。"太陽"の祝福を一身に受けたような外見は、孤独の闇から彼を救い出してくれるに相応しいと思えた。
そんな、光の権化のような”天使”には、翳りなど一つも似合わない。愚かな人間とは一線を画す、自分と同じ、完璧な存在なのだから――
そう考えれば、"天使"は全て細胞の一つ一つに至るまで、キラキラと輝く善なるモノだけで構成したかった。
だから、人間の”聖気”を糧に生きるように造った。
最後は、能力。
この世の神にも等しい造物主と対等に言葉を交わせる存在が、他者に脅かされるようではいけない。
”聖気”を糧に、不可思議な力である魔法を使える力を授けた。
それは、愚かで脆弱な人間には使役できぬ力であり、当時地上における最強種族だった『竜』すらはるかに凌駕する力だった。
そうして全てを整え終えて、彼はうっとりと囁く。
「愛しているよ、*****。私には、世界で唯一人――お前さえいてくれれば、それでいいんだ」
毎日、毎日、飽きるほどに繰り返される言葉。
かつて、虚無の海に生まれ落ちてから初めて、真の意味で『孤独』から解放された彼は、たった一人の己の理解者に傾倒していく。
「私の愛しい*****。裏切ることは許さないよ」
名前を囁き、”愛”で雁字搦めに自由を縛り、天使の全て奪った。
呪いにも似た”愛”の言葉は、やがて世界に歪みを生じさせていく。
神にも似た存在だったはずの彼は、地上への――天使以外の全てへの興味を失っていった。
放置された地上の自然は荒れ果て、賢い『竜』も数を減らし、愚かな人間は醜い争いを繰り返すようになった。
”箱庭”の中身に興味を無くした彼が見ているのは、ただ一人――己を理解し、『孤独』を癒してくれる、”
「私の"愛"を全てやるから――お前も私を一番に愛してくれるね?」
『完璧』だったはずの彼は、世界の歪みに比例するように、やがて緩やかに壊れていく。
彼にとっての全てが、たった一人の天使だった。
依存し、執着し、世界の頂点にいるはずの彼は、いつしか天使に縋るようになっていった。
それは酷く身勝手な”愛”。
人間が減り、糧となる聖気を十分に得られず衰弱していく天使を見ても、彼は決して行動を改めることはなかった。
ただひたすらに、毎日、己の望む”愛”を得るために、歪な世界で笑いながら呪いの言葉を吐く。
「愛しているんだ、*****。どうしたらお前は、私を愛してくれる?」
ぐったりと動けなくなっていく
だが、そんな彼の不幸はただ一つ――
天使には、彼の言う”愛”が理解できなかった。
生み出した命にも、世界にも、全ての責任を放棄してのめり込むその”愛”を――同じ温度で返すことは、どうしても出来なかった。
だから、全能たる造物主と同等に聡明であれと造られた天使は、考える。
――己がこの呪縛から逃れる方法を。
「……俺は、俺を生んだ頃のお前が最も好ましいと考える」
「何――?」
「お前が秩序を持って”箱庭”を支配していた、あの頃――天界に聖気が満ちて、人間たちの営みを二人で見守り、語らったあの頃のお前が」
「――――……」
「あの頃が戻ってくるならば――俺は、お前を愛すことが、出来るかもしれない」
彼はしばらく考えた後、そっと天使の自由を奪うようにしがみ付いていた手を離した。
――自由を得たのは、何千年ぶりだったことだろう。
「だが、私が何千年も放置した地上はもう、ぐちゃぐちゃだ。今から手を加えても、あの頃に戻るかどうか、わからない。どうせなら、新しく創り直して――」
「いや。あの頃に戻そう。俺は、あの頃のお前が一番好きだった」
まだ、彼がおかしくなる前の、あの時代。
対等な――友人のような関係で、言葉を交わせていた、あの頃。
「この数千年、ずっと共にいた。お前の永年の孤独を、俺も、俺なりに理解をした」
だが、天使は、彼の孤独を理解は出来ても、共感は出来ない。
何故なら、彼は――天使を、『完璧』な存在であれ、と造ったから。
孤独に捕らわれ、心を弱らせるような弱点を持たない、彼の理想の存在として、造ってしまったから。
「だから、世界をあの頃に戻して――次は、もっと、お前の孤独を救えるようになりたい」
「*****……?」
「お前が愛したという俺の分身を造ろう」
「!?」
それは、天使の生存本能が導き出した代替案だったのかもしれない。
世界を創造した主の、呪いのような重たい”愛”を受け止めるには、独りでは限界があると感じていた。
だから――きっと、お人形をたくさん造れば、せめてこの澱のように濁った呪いのような”愛”を分散させることが出来るはず。
彼と同じ温度の”愛”を返せなくても――たくさんの”お人形”に分散した何百分の一の”好意”なら、もしかしたら天使にも返せるかもしれないと考えたのだ。
「嫌だ!いらない!私には、お前一人がいればいいんだ!」
「そんなことはない。お前は退屈が嫌いだったろう。たくさんの分身を造ってやる。……皆、俺と同じく、聖気を糧に生きる存在にしよう。そうすれば、それらは死なないために、人間界を平和に戻すよう尽力するだろう。……大丈夫だ。作り上げる分身は、皆、生まれた瞬間からお前を愛すように造るから」
造物主と同等の力を得た天使にだけ許された、生命の創造――その力で、この狂った日常を変えることが出来るなら――
「……わかった。お前が言うなら、受け入れる。ただし、いくつか条件がある――」
しばらく考えた後、しぶしぶ彼は口を開いた――
◆◆◆
「そうして、俺は俺以外の天使を造った。一度歪んで、狂った気難しい造物主を相手にするのは骨が折れたな。最初の数千年は、どれほど天使を造ろうと、変わらず俺に執着していたせいで、最初は決して俺以外の天使とは口を利かないと頑なだったが――何とか宥めて正天使と治天使にも相手をさせることが出来るようになってから、だいぶ楽になった。初代の正天使は、一番俺に似せて性格を造ったからな。だいぶ気に入っていたようだったし、容量良く愛想を振りまく治天使ともうまくバランスを取れていた」
「ちょ――ま、ままま待って、なんか急に情報が増えた……!」
おそらく、数千年から数万年ほどかかったであろう天使の創造を一息で軽く語られて、アリアネルは父の話にストップをかける。
魔王は素直に言葉を切って、軽く首をかしげながらアリアネルを見た。
「ま、まず……えっと……つまり、パパは――造物主が、嫌い、ってこと……?」
「好きか嫌いかという観点で物事を判断したことはない。そもそも、何者にも心を寄せぬ『完璧』な存在としてあれ、と造ったのは造物主の方だ。他者の存在に俺の感情が左右されることなど――」
「いや、そういう綺麗事は良いから。……えっと、じゃあ聞き方を変えるね。パパは――もう一回天使に戻って、造物主とやり取りをする役目を背負わされそうになったら、どうする?」
「……全力で、何が何でも回避する方法を考えるだろうな」
「それは、もう、『嫌い』って言うんだと思うよ……」
ひくっと頬を引き攣らせて、正直な感想を述べる。
(造物主を愛していなかったのか、って聞いて否定されたことはあったけど――まさか、パパがここまで明確に造物主を嫌ってるとは思わなかった……)
魔王は時々、天界にいたころを懐かしんでいるような発言をすることがあった。
例えば、アリアネルが人間界の土産として花を持ってくるとき。例えば、自分は魔族ではなくあくまで羽を落とされただけの天使だ、と強調するとき。
例えば――自分が魔界に堕とされたときの話をするとき。
てっきり、造物主に裏切られ、魔界に堕とされたことを悔やみ、天界に未練があるのだと思っていたが――
「パパ……もしかして、魔界に堕とされて良かった……とか、思ってる?」
「そこまで明確には考えていない。羽を落とされたときはこの世のものとは思えぬ激痛だったし、その時の正天使――今の、二代目のアイツが、それはそれは嬉しそうに嘲笑っていたのは、屈辱でしかなかった。……だが、一度ここでの暮らしに慣れてしまえば、これはこれで快適だ。
「そ……そっか……」
とりあえず、今は魔王にとってそれなりに快適な日々らしい。
「でも、じゃあ――パパが、”愛”は最も理解から遠い感情だって言ってたのは……造物主の”愛”が理解できないからなの?」
「そうだ。……俺にとって、”愛”とは息苦しく、重苦しく、相手を縛る呪いのような感情だった。同じ温度でそれを返せねば、その呪いはどんどんと酷くなる。拒絶することも受け入れることも出来ず、期待に応えることも出来なかった。――造物主本人が、俺をそのように造っていなかったのだから当然だが」
フン、と鼻を鳴らして嘆息する様は、本当に造物主の注いだ”愛”を嫌悪しているようだった。
「そっか。……じゃあ、パパは、誰かを愛したことはないの?」
「ないな。……それが、造物主が示した”条件”でもあった」
瞼を伏せて、魔王は苦々しい声で告げる。
アリアネルが疑問符を上げると、静かに言葉を続けた。
「俺が天使を造ると進言したときに造物主が出した”条件”だ」
「あぁ……気になってたの。結局、何を言われたの?」
一つ呼吸を置いて、魔王は口を開く。
まるで、当時を思い起こすように――重苦しく口火を切った。
「俺と、俺が造り出す天使たちは皆――決して、造物主以外の『特別』を作らないこと。……それが、条件だった」
「――!?」
「とにかく、あのころの造物主は”愛”に飢えた不安定な存在だったんだ。……後から生み出された天使全員にも、等しく己への『特別』な”愛”を欲するほどに」
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