第72話 世界の創造④

 紡がれた魔王の言葉に絶句するアリアネルの唇は、何も音を紡ぐことが出来ない。

 彼女が知る”愛”と、この世界を造ったという主の語る”愛”の概念は、それほどまでにかけ離れていた。


「愛にも種類がある。人間から聖気を得るために存在している天使は、人間に慈愛を注ぐことがあるだろう。あるいは、友愛もある。人間のような生殖をしないから、性愛は存在しないが、能力上相性の良い天使はいるからな。俺が世界を正常に戻す役割を担う過程で必要なのであれば、天使たちの間で慈愛や友愛を交わすことまで制限はしない、と造物主は言った」


 事実、魔族の中のオゥゾとルミィのように、戦友のような互いにかけがえのない存在となる天使は古今東西たくさんいた。

 

「だが、天使たちが誰とどんな愛を育んでもいいが、必ず『特別』に愛すのは造物主だけであること――それが、天使を造りたいと言い出した俺に造物主が提示した条件だった」

「な……なんで、そんなこと――」

「耐えられなかったんだろう。……天使は、俺の力を分け与えて作る。造物主が愛した俺の欠片を持っているそれらが、自分以外の何かを自分以上に愛すなど、決して許さない――そういうことだろう」


 目眩に似た感覚を覚え、再びアリアネルは絶句する。いつの間にか、喉の奥がカラカラに乾いていくような錯覚を覚えていた。

 全く以て理解が及ばない理論だ。――聡明で、全能であるという触れ込みは嘘なのではないかとすら思えてくる。


「造物主は、決してそこを譲らなかった。俺は、細心の注意を払って造物主の機嫌を損ねない存在を造っていったつもりだったが――時折、上手くいかない個体がある」

「そ、そりゃそうだよ……!」


 魔族を見ているだけでわかる。魔王が造り出す個体は、それぞれに意思があり、感情があるのだ。

 寿命の存在せぬ彼らが、造られた当初のまま不変であり続けることは難しい。

 環境の変化や交流をもつ者の変化は必ずある。それらに影響を受け、性質を変化させることは十分にあるだろう。

 永遠に似た長い時を生きる中で、交流した者と心を通わせ、愛し、愛されることがあっても何ら不思議ではない。

 特に第二位階以下の天使たちは、直接造物主と会話を交わすことを許されなかったという。

 声を聞いたこともない雲の上の存在と、日々を共に過ごす同胞と――どちらを『特別』に想うようになるかなど、火を見るよりも明らかだ。


「俺とて、鬼ではない。隠れてやっている分には目を瞑ってやった。そもそも作成者の俺自身が、造物主が提示した条件を心の底では下らないと思っていたからこそ起きたイレギュラーだろうからな。だが――造物主の眼に触れたが最後、造物主はその個体を抹消しろと、気が触れたように厳命した」

「え――!?」

「もともと、俺が処刑人としての役割を担い始めたのはそれからだ。……天使はそもそも、魔族と違って、聖気を食いすぎて暴走することはない。人間が愚かすぎて、天使が暴走するほどの聖気を出すことなど、あり得んからな」

「な、なるほど……?」

「だから、今、俺が魔族を処分しているのとは訳が違う。当時、俺が天使を処分するのは、全て造物主の命令だった。……造物主が決めた、造物主のためのルールを守れない天使を、その命を生み出した俺が責任を取る形で己の手で殺す。――あれは、世界を正しく回すための役割などではない。そもそもは、造物主が考えた、俺への『罰』の仕組みだった」

「そう……だった、んだ……」


 ずっと不思議だった。

 魔王は、その顔に似ず、存外に優しいところがある。

 命を与えた存在に、一つ一つ丁寧に名前を考えて贈るところなどは最たるものだろう。

 そんな風に、彼なりの不器用な愛情を与えたはずの同胞を殺すことに、優しい魔王がどうして平気でいられるのか――そう疑問に思っていたのだが、やはりその想像は正しかったようだ。


(私には想像するしかできないけれど――パパは、一体、何を想っていたんだろう……)


 狂った様に、呪いのような身勝手な”愛”をぶつけられ続けた、当時の魔王。

 彼が未だに滅多に心を揺らさないのは、造物主に『完璧』であれと造られたからではなく――生まれてからの数千年、狂気にも似た愛を際限なく注がれながら、己も気が狂わないようにするための防衛本能だったのではないかとすら思えてくる。


(そんな中で、最初はその”愛”から逃れるために天使を造って――でも、一人一人に名前を付けて、造形を変えて、相性と性格を考えて――)


 造物主に放置され、一度はめちゃくちゃになった世界を再びに回っていくようにと――かつての『完璧』さは見る影もなくなった造物主の代わりに、己がその役割を務めるのだと心に決めて務めたのだろうか。

 魔王のことだ。――きっと、殊更に己を律したことだろう。

 ”愛”を理解できないと言って造物主の呪縛を退けた彼が、他の誰かを少しでも好ましく思えば、それは造物主以上の『特別』を作ることと同義になってしまう。

 そうすれば、誰が代わりに、この世界を正常に戻せると言うのか。


 故に彼は、誰かに心を寄せることを己に禁じたのだろう。

 "愛"を理解など出来ぬと遠ざけ、不意に心を揺らす存在が出来たとしても、あり得ぬことだと己の感情を押し殺して生きながら――時折現れる、自分にはわからぬ”愛”を互いに育み合う、己の一部を分け与えた個体を見て。


 羨望の気持ちを抱いたのか。寂寥の気持ちを抱いたのか。

 その感情すらすべて押し殺して、ただ、造物主に気付かれなければよいと祈りながらそっと彼らの愛を見守り――叶わなければ、それを自身の手で始末する『罰』を背負って――


「じゃあ、パパはずっと――辛かったんだね」

「――辛い――……?」


 気付けば、アリアネルはぐすっ……と鼻を鳴らしていた。

 魔王は、怪訝な顔で、潤んだ瞳をこする少女を見つめる。


「パパは、本当は優しいのに――きっと、天使のことだって、魔族の皆にするみたいに、一人一人自分の子供みたいに大事に思ってたはずなのに――」


(パパは、造物主に同じ愛を返せなかったのは、造物主がそうあれと造ったからって言ってたけど……きっと、違う。本当は、愛情深くて優しい天使だったのに、造物主の狂気が、過剰に心を閉ざさせるようになっちゃったんだ――!)


 心優しいかつての命天使が、己の分身として造った天使を殺せと命じられた最初のときの絶望を思うだけで、胸が刺しぬかれたように痛い。

 魔王は心がないわけではない。

 これ以上心が傷付かぬよう、防衛反応の一つとして、誰にも心を寄せないことを己に強く課したのだ。


「そんな感覚を持ったことはない。せいぜいが、仕事上の部下程度の認識だ」


 はらはらと花弁のような涙を流す少女に、呆れたように嘆息しながら魔王は手を伸ばすと、少しぎこち無い手付きで少女の頬に触れる。

 後から後から溢れてくる雫を、そっと無骨な白い指が拭い去った。


「この俺を『優しい』などと表現する奇特な存在は、お前くらいなものだな」

「ううんっ……ゼルも、同じこと言ってたよ……!私だけじゃないよ……!」


 魔王を愛している存在は、見渡せばたくさんいるのだと伝えたくて、ふるふると首を振って訴えると、ふっと魔王は吐息だけで静かに笑った。


「ならば、お前とゼルカヴィアだけだ。……どちらも、俺の能力の外にある存在だからか、相も変わらず無礼な連中だ」

「ぇ――?」


 アリアネルは、ぱちり、と竜胆の瞳を瞬く。睫毛に残っていた水滴が弾けて、視界がクリアになった。


(パパの能力――って……命を生み出す、力のこと……?)


「どういうこと……?私はともかく、ゼルは――」

「さぁ、くだらん昔話は終わりだ。約束は果たした。さっさと眠れ」

「えっ、ちょっと待っ――」


 アリアネルの抗議を遮るように、トンッ……と魔王の指が少女の額を軽くつついた――と思ったとたん、急に視界がぼやけて意識が暗転していく。


(ぁ――もしかして、魔法……?眠りの――無詠唱、で……)


 意味のあることを考える前に、強制的に眠りの世界へと引きずり込まれていく。


「……お前は、涙と蒼ざめた顔が致命的に似合わん。早く回復して、いつものように能天気に笑えるようになれ」


 鼓膜が拾った低い響きは、夢か現か――

 それすらもわからぬまま、アリアネルは夢の中へと旅立っていくのだった。

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