第四章

第73話 ミヴァ①

 コンコンッと魔王の執務室に軽くリズミカルな音でノックが響いたと思うと、ガチャリとすぐに扉が開かれた。


「パパ!ただいま!お土産持ってきたよ!」

「アリアネル!はしたないですよ!」


 ゼルカヴィアの母親じみた説教などどこ吹く風で、アリアネルは上機嫌に両手いっぱいに花束を抱えたまま部屋の中へと入ってくる。


「はいっ!……いつもみたいに飾っておけばいい?」

「好きにしろ」

「はぁい」


 キラキラと太陽のように眩しい笑顔を振りまくアリアネルに、鼻を鳴らしながらいつものようにぶっきらぼうに告げるが、慣れたものなのだろう。アリアネルは鼻歌を歌いながら魔王の執務机に据えられた花瓶に花を移していく。


「後で、ルミィに言ってお水換えてもらうね!」

「そんな些細なことで上級魔族を顎で使うのは魔界広しと言えど、お前くらいなものだろうな」

「そう?ルミィはいつも優しいから、快く引き受けてくれるよ?」


 アリアネルが、フンフンと鼻歌に適当な節をつけながら全体の彩を見ていると、チラリと魔王の蒼い瞳が少女の方を向いた。


「今日は、人間界に行っていたのだろう。少しは聖気に慣れて来たのか」

「うん。ミュルソスとロォヌと一緒に、私と皆のための食材調達に行ってたの。街の中なら、人ごみの中でも気持ち悪くなるようなことはほとんどないよ。今日の市場でも全然平気だった!」


 花瓶の中身が満足の行く仕上がりになったのを確認してから、笑顔で魔王を振り返る。


「ロォヌって、凄いんだよ!てきぱきと食材を買い付けちゃうの。ミュルソスももう慣れてて、ロォヌにお金だけ渡して、好きにしておいで、って任せてるの」

「ロォヌはそのためだけに生み出されたような存在ですからね。もう十年近くずっと、専任でその業務をこなしているわけですし、市場も勝手知ったる物でしょう。ロォヌとしては貴重な直接人間から瘴気を得られる機会ですし、活き活きするのは仕方ありません」


 ロォヌは、アリアネルの食事を用意するためだけに作られた魔族だ。他の魔族のように、何かの事象を司っているわけではない。

 一般的に、中級以下の魔族は皆、上級魔族が開いた転移門ゲートを使って瘴気が発生しやすい人間界の地域に赴き、各々の能力を使って人間を脅かしては瘴気を発生させて、一定期間食事を楽しむ。各自自由行動で十二分に楽しんだのち、再び上級魔族が開いた転移門ゲートを使って魔界へと帰ってくるのが常だ。

 生まれたばかりの未熟な魔族や、下級過ぎて思うように狩りが出来ない魔族は、同行した上級魔族が人間を彼らの分まで脅かし、瘴気を大量に発生させて腹を満たしてやることもあるが、中級魔族であり既に十年も生きているロォヌは、能力の特殊さから己の力で瘴気を発生させられないため、未熟な下級魔族らと同じく上級魔族の助けを借りねばならない。

 それが心苦しいのか、どこかで誰かに何かを言われたのかはわからないが、ロォヌはいつも恐縮し切りで、本当の飢餓状態に陥るまで自分から狩りに同行を申し出ることはなかった。

 だが、少し治安が悪い地域の市場は、魔族が介入などせずとも瘴気が発生しやすい空間だ。食材の買い付けという口実はあれど、ロォヌにとっては貴重な食事タイムであることは事実なのだろう。


「集中してバーッて買い物して、帰ってきてからも、嬉しそうにすぐに厨房に行っちゃった」

「今や『娯楽』を楽しむ魔族のほとんどが、ロォヌの料理を楽しんでいますからね。本人も、やりがいを感じて仕事に精を出しているようですし、好きにさせてあげなさい」

「うん!私、ロォヌの作るご飯、大好き!今日の夕飯は、最近寒くなってきたから、温かいスープを作ってくれるらしいよ!」

「良かったですね。好き嫌いせず、残さず食べるんですよ」

「もうっ……ゼル、私のこと何歳だと思ってるの?もうすぐ十歳になるんだよ?」


 ぷくっと頬を膨らませて抗議する少女は、来月に迫った誕生日を指折り数えているらしい。


「パパ、今年こそ、名前を呼んで、『おめでとう』って言ってくれる?」

「フン。……くだらん」

「もうっ!毎年、本当に楽しみに待ってるんだからね!」


 わざとらしく怒ったような顔を見せてから、ふわっとすぐに笑顔になる。

 どうにもこの少女は、十歳になっても負の感情とは無縁の魂をしているらしい。


「嘘だよ。……いつか、パパが、『おめでとう』って言ってあげてもいいなって思えるくらい、自慢の娘になるから。そうしたら、ちゃんと言ってね」

「くだらん……そんなことを考えている暇があったら、人間界に馴染むための準備でもしておくことだな」


 言いながら魔王は手元の書類を取って立ち上がった。


「しばらく、魔法の訓練はお預けだ。ゼルカヴィアか、オゥゾルミィあたりにでもやらせておけ」

「え……?パパ、どこかに行っちゃうの……?」


 一瞬で不安が押し寄せ、アリアネルは声を震わせる。

 たった今活けたばかりの花が、所在なさげに儚く揺れた。


 魔王は、蒼空色の瞳をチラリとアリアネルへ向ける。


「……地下に籠るだけだ。お前の誕生日とやらまでに戻って来られるかどうかは知らん」

「地下――?」


 そんなものがあったのか――と疑問符を上げると、ゼルカヴィアが言葉の少ない主の補足をした。


「新しい魔族をお造りになるのですよ」

「えっ!?」

「命を作り上げる魔王様の魔法は、特別な『固有魔法』です。この世で唯一――造物主への承認を必要とする魔法」

「ぁ――そ、そっか……」


 固有魔法は、その特殊性から第三者に使用することが出来ないことに加え、全てその命を造った魔王の承認を必須とすると教わったことを思い出す。

 その法則から考えれば、魔王――命天使――の固有魔法が命を造り出す魔法であることは容易に想像がつく上に、その承認者が彼を造った存在――造物主であることもまた、納得のいくものだった。


「その――ぱ、パパ……だ、大丈夫、なの……?」


 ”昔話”として父と造物主の間にあった確執を聞いてしまったアリアネルは、そっと声を潜めて恐る恐る尋ねる。

 なるべくなら、造物主と関わりたくない――そう思っているだろうと予想したためだが、魔王はそんな少女の優しさを鼻で笑った。


「お前ごときに心配されるいわれはない。昔とは状況が違う。今の造物主は、俺の代わりの”お気に入りの人形”を見つけてご執心だ。今更俺が、天界とは遠く離れたこの魔界で、どんな命を生み出そうが、それにどんな役割を付与しようが、興味はさほどないだろう」

「え――?そ、それってどういう……」


 少女の疑問に、魔王は不愉快なことを思い出すかのように頬を歪め、答える。


「今の――二代目の正天使だ」

「えっ――!?」

「初代の正天使は、その能力の特殊性も鑑み、俺と似た性格と考え方をした男として造ったが、長い月日の中で歪みが生じ、処分せざるを得なくなった」


(それってつまり――造物主以外の存在を、造物主よりも『特別』に愛してしまった……って、こと……?)


 命天使の役割として天使の命を屠る時、それは造物主から与えられる『罰』としての命令だったと聞いた話を思い出す。

 ごくり、と唾を飲み込んだアリアネルに、魔王は小さく嘆息して言葉を続ける。


「アレが死んだあと、同じ失敗を繰り返さぬようにと、性格も考え方も、全て大きく作り変えようと考え、どうすべきかと悩んだ結果――徹底的に、造物主を満足させる個体を生み出そうと考えた」

「えっ……!?」

「初代の正天使を処分したとき――色々あって、俺も参っていた。己の分身と言っても差し支えないほど志向が似ていたはずの――『完璧』であれと造られたはずの俺と同じ考えを持つはずの、『正義』を司る天使を屠るこの行為の何が正義なのか、わからなかった。……俺もいつか、こいつのように歪んでしまうのではないかと、恐れにも似た何かを覚えた」

「パパ……」


 思わず、痛ましげな声が漏れる。

 魔王は、ほんの少し自嘲に似た響きを纏わせて、言葉を紡ぐ。


「だから、造った。今度は、俺とは徹底的に真逆の存在を――造物主のことだけを考え、造物主を愛し、造物主に愛されることこそが生きがいとなる天使を」

「――!」

「性格のモチーフは、他でもない、造物主自身にした。――俺に執着し、壊れ、狂気を纏っていたころの、あのおぞましい性格を」

「な――」


 思わずアリアネルは絶句する。

 ゼルカヴィアも初耳だったのだろうか。同じく息を飲んで驚いているようだった。


「結果、二人はすぐに親密になっていった。長い年月をかけて少しずつまともになりかけていた造物主は、再び狂気を纏い始めたが――それを”愛”だと言って受け取る存在がいる。その上そいつは第一位階の天使で、造物主と対等に言葉を交わすことが出来る。……俺に矛先が向かないなら、俺はただ『役割』に徹すればいい。造物主の相手は全て二代目の正天使に任せて、俺は世界を正常に戻す役割に徹するようになった」

「も……もしかして、今の正天使が、パパのことを目の敵にしてる、っていうのは――」


 知識が繋がってある一つの仮説に辿り着き、ドクン、ドクン、と心臓が脈打つ。

 ふっ……と魔王は口の端に自嘲の笑みを刻む。


「そうだ。今の正天使が俺を憎み、策謀を以て魔界へ堕とし、その後もなおこの命を執拗に狙う理由はただ一つ――命天使としての力を意のままにしたいから、などという下らない理由ではない――もっと、単純だ」


 それは、歪んだ”愛”が生んだ、狂気の果ての、一つの解。


「心から愛する造物主の”愛”を本当の意味で独占するため――過去に造物主の『特別』な寵愛を得ていた俺が、とことん気に入らない。ただ、それだけだ」


 ぞっとするほど昏い声で、吐き捨てるように怨嗟の言葉が紡がれた。

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