第70話 世界の創造②
最初に造ったのは、『竜』と呼ばれる存在だった。
自然の厳しさにも負けぬ強靭な身体を持ち、聡明な頭脳を持つ、優秀な生命体。
群れて、互いに協力し合って、生命活動を営む彼らは、孤独に生きる彼とは明確に異なる存在。
その存在は、束の間彼の心を喜ばせた。
そのまま、数百年が過ぎた頃だろうか。
彼は再び、”孤独”に苛まれる。
『竜』が暮らすこの世界は、全てが予定調和で、”完璧”だった。
彼の存在など必要としないくらいに――完璧だった。
自分がいなくても、争いも、不和も起きることなく続いて行く世界。
『竜』の存在は、かつて生命体が存在しなかった時代には感じたことのなかった”疎外感”を彼に植え付けた。
寂しい。
寂しい。
堪え切れなくなった彼は決意する。
――そうだ。”不完全”な世界を、造ろう。
そうして『人間』が生まれた。
彼が生んだ箱庭の中――愚かで、脆弱で、時に賢しく、理解の出来ぬ行動をとる、不完全な生き物。
彼が時折手を加えてやらねば、あっという間に滅んでしまいそうなほど、危うい種族――
それは、彼の心を大いに楽しませ、すぐに箱庭を覗き込むことが多くなった。
人々は、醜く争い、互いに数を減らし、時には手を取り合って、少しずつ文明を発展させていく。
その生命体を生み出した彼にも予想がつかない毎日。
もしかしたら、明日には大戦争を引き起こし、滅んでいるかもしれない。敵うはずもない『竜』に挑んで数を減らすかもしれない。自然の脅威に立ち向かうだけの知恵がつく前に、大災害で壊滅するかもしれない。
それでもいい。
時折ほんの少しだけ、気まぐれに箱庭に手を加えて、束の間の『奇跡』に脆弱な存在が歓喜する様を嗤えばいい。もしもうまくいかずに滅んでも、また、新しく造り直せばいいだけだ。
とにかく毎日、予期せぬ営みを続ける人間の行く末が、楽しくて、可笑しくて、永遠に見ていたくて――
――そして、気が付く。
――――”寂しい”。
人間を生んで、”楽しい”を覚えた。
だが――その”楽しい”を分かち合う存在が、彼にはいなかった。
――寂しかった。
誰かと、会話をしたかった。
自分が造り出したあの生命体のように、誰かと、言葉を交わしたい。
今日あったことを話したい。
楽しかった、嬉しかった、可笑しかった――寂しかった。
そんなことを語り合う存在が、欲しい。
愚かな人間ではだめだ。知能に雲泥の差があって会話にすらならないだろう。
自分と同じくらい賢くて、同じくらい強くて、同じくらい万能で――
――この、永遠の孤独を埋めてくれる、唯一無二の、誰か。
そんな存在が傍にいてくれたら、どれほど嬉しいことだろう――
◆◆◆
「……そうして、彼――造物主は、”天使”を生み出した」
「――――……」
ごくり、とアリアネルは唾を飲み込む。
それはきっと、この世のどんな文献を探しても見つからない、世界の真実。
造物主と対等に言葉を交わすことを許された者だけが語ることが出来る、この世の真理――
「ご所望の、おとぎ話だ。眠る気になったか?」
「うぅん。続きが気になる」
もぞ、と身じろぎをして、アリアネルは魔王の顔を見つめる。
闇夜に浮かぶ白皙の美貌は、いつも通りの無表情で、何を考えているのか、いまいち読み取れない。
「造物主が手ずから造ったのは、パパだけだってゼルに聞いたよ」
「そうだな」
「てっきり、世界を円滑に回すためにパパが生み出されたんだと思ってたんだけど――そうじゃなかった、ってこと?」
そっと声を潜めて尋ねる。何故か、他の誰にも聞かれてはいけない話を聞いているような、妙な気持ちだった。
「あぁ。……造物主が俺を最初に造ったときは、そんな大層なことは考えていなかっただろう。ただ、永遠の孤独を埋めてくれる存在を欲しただけだ。自分と同等に賢く、強く――同じ時を生きる、存在だ」
「そっか……だから、天使は寿命がないんだね」
ぽそり、と納得したようにアリアネルが呟く。
魔王は微かに瞼を伏せて何かを考えた後、ゆっくりと続きを口にした。
「世界を円滑に回すことなど、当時の造物主は一切考えていなかった。人間は興味深い存在だったことは事実だが、滅ぶならそれでもいいと考えていた。……もう、『退屈しのぎ』のコツは掴んでいる。滅んだとしても、次は、また別の”不完全”で愚かな存在を生み出せばいい。ただ――その様を見て、一緒に楽しみ、孤独を分かち合ってくれる存在さえいるならば、それ以外は、どうでも」
「…………」
その言葉に、ほんの少しの苦味に似た何かを感じて、アリアネルは父を見上げる。
「パパ……パパは、愛されて生まれてきたんじゃ、ないの?」
「愛――愛、か。笑える概念だ。……造物主は、確かに何度も俺に”愛”を囁いた。俺にはそれが――”呪い”にしか、感じられなかったが」
「――……」
少女の喉が、ひゅ――と小さく息を飲み込む音がした。
「続きが知りたい、と言ったな。……話してやろう」
暗がりに浮かぶ青空のような瞳が、遠い過去を辿るようにゆっくりと細められた。
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