第69話 世界の創造①

「ねぇパパ。――何か、お話ししてほしいな」


 唐突に、再び脈絡のないことを言い始めた少女に、魔王は怪訝な顔を返した。


「……お話……?」

「そう。変な時間に眠っちゃったから、まだ眠くないの。だから、私が眠るまで――パパにお話ししてほしい」


 にこりと笑う少女は、相変わらず眩しい太陽のようだった。

 

「俺に、ゼルカヴィアにさせたように人間界の創作物でも読ませようと言うのか」

「えっ、してくれるならそれはぜひお願いしたいけど」


 魔王がこの仏頂面で絵本の読み聞かせをしてくれるところを想像して、思わずワクワクと瞳を輝かすと、これ以上なく嫌そうな顰め面が返ってきた。


「しない」

「ぶー……パパのケチ」


 口をとがらせて抗議するが、腰掛けたベッドから立ち上がらないということは、今夜はアリアネルにとことん付き合ってくれるということらしい。

 不器用な父の優しさに、膨らせた頬をすぐに緩めて、アリアネルは再び笑顔を作った。


「なんでもいいよ。パパって、何万年も生きてるんでしょう?パパが今まで聞いたお話で、一番印象深かった昔話を聞かせてほしいな」

「……フン。物好きな奴だ」


 ごろり、と寝がえりを打って魔王の方へと向き直るアリアネルの瞳は期待に満ちている。

 魔王はしばらく何事かを考えた後、そっと口を開いた。


「その昔、あるところに――」

「ふっ……ふふふっ……」

「……何を嗤っている」


 普段の魔王を思うと、昔話のありきたりな導入をあの仏頂面で始めるアンバランスさに思わず笑いがこみ上げて来る。

 口元を抑えて可愛らしい笑い声を漏らす娘に魔王の不機嫌な声が飛んだ。


「人間界の昔話とは、こういう始まりのものが多かったのではないのか」

「ふふっ……ううん。合ってるよ。それで?」


 笑みの形に柔らかく瞳を緩ませながら、アリアネルは続きを促す。

 小さく嘆息した後、魔王はゆっくりと続ける。


「その昔、あるところに……何もない、真っ暗な――漆黒の闇が広がっていた」

「えぇぇ?」


 急に、おとぎ話らしからぬ始まり方をした物語に、クスクス笑いながら耳を傾ける。


「そこに、一粒の雫のようなものが落とされた」

「雫――水のこと?」

「いや……雫というのは、比喩だ。それは、実体を持たずに存在する、思念体のような存在だった」

「……?なんだか不思議な始まり方だね」


 ふむふむ、とアリアネルはベッドの中から父の横顔を眺めて頷く。


「その思念体は、何もない真っ暗闇の中――耐えがたい”孤独”を感じた。それが、全ての、始まりだった」


 魔王の静かな低い声に誘われるように、部屋の闇が濃くなる。

 長い”お話”が、始まろうとしていた――


 ◆◆◆


 は、”孤独”を感じた。

 真っ暗な虚無の空間に漂う思念は、ただ、思う。

 ――寂しい、と。


 彼は、望んだ。

 この”寂しい”を癒してくれる存在が欲しい。


 そうして最初に、漆黒の世界に光を灯そうとした。

 星を造った。月を造った。


 ――それでもまだ、”寂しい”は、なくならない。


 太陽を造り、朝と昼を造った。

 世界は光に満ち溢れ、孤独から逃れられるかと期待したが――全くの心は慰められなかった。


 は少しでもむなしい空間を埋めようと、植物を生んだ。心を飽きさせないように季節を生んで、豊かな自然を造り出した。


 満天の星空。見渡す限りの花畑。息を呑むほどの雪原――

 目の前で繰り広げられていく、自然の営みは――少しも彼の心を満たすことはなかった。


 美しい景色では、心が慰められることはない。

 そう悟ったは、新しい試みに手を出す。


 それが、『生命の創造』――


 ただ、時間とともに移ろう自然ではなく、と同じように、思考し、行動する生命体を造り出す――


 それこそが、この世界に、『生命』が生まれたきっかけだった――

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