第189話 【断章】黄金の魔族

「そういえば、アリアネル嬢は何歳になったのでしょうか」

「え?……十四歳、だよ」


 湿った重い空気が漂う馬車の中、ミュルソスは全く関係のない質問をした。

 きょとんと眼を瞬いて答えると、ふむふむ、と興味深そうに何度も頷く。


「そうでしたか。人間の寿命は、せいぜい百年程度だったと記憶していますが、もう七分の一近くが終わろうとしているのですね。早いものです」

「う、うぅん……私からしたら、まだまだ沢山あるなぁって思うけど……」


 こればかりは、寿命と言う概念のない存在たちと決して分かり合えない価値観だ。

 アリアネルは、自分はまだまだ子供で、これから死ぬまでたくさんの時間があると感じているが、どうやら少女の幼少期から成長を見ているミュルソスは、あっという間だと感じているらしい。


「そういえば、ミュルソスは何歳なの?」


 以前、マナリーアがこの紳士然とした魔族の年齢を気にかけていたことを思い出して尋ねると、いつものように垂れ眼をふわりと緩めて、穏やかに微笑む。


「さぁ……魔王様に初めて命を頂いてから、もう、一万年近くなりますか」

「えぇっ!?」


 思わず驚いて、口から裏返った声が出る。

 オゥゾやルミィも古参の魔族だと聞いていたが、彼らは数千年を生きていると言うばかりで、万という単位を聞いたことはない。

 その年月を数えているのは、魔王とゼルカヴィアしかいないと思っていた。


「そんなに驚くことでしょうか。……まぁ、現存する魔族で、当時から生き残っているのは、私のほかにはもはやゼルカヴィア殿しかいらっしゃいませんからね」


 朗らかに笑って言われて、唖然とする。どうやら、予想以上に長寿の魔族だったらしい。


「ゼルとどっちが年上なの?」

「この世に生まれ出でたタイミングはどちらが早かったのか、ということでしょうか?それならば、ゼルカヴィア殿ですね。まぁ、せいぜい数年程度の違いですが」

「えぇっ!?それだけしか違わないの!?」

「おや、話したことはありませんでしたか?もともと魔王様は、ゼルカヴィア殿補佐をするように、と私をお造りになられたのです。今でこそ、誰にも負けない有能な魔王様の右腕としてご活躍されていらっしゃいますが、当時の初々しいゼルカヴィア殿を知っているのは、もう私だけかもしれませんねぇ」


 懐かしそうに目を細めて遠くを見やる長寿の魔族に、アリアネルの眼がキラリと輝く。

 

「ゼルの初々しい時代……!どんな風だったの!?」

「おやおや。随分と興味がおありのようですね?」

「ぅっ……ゼルには内緒にしてね?」


 弱みを握ろうとしているのか、などと謂れのない皮肉を食らう未来が見えて、アリアネルは上目遣いで懇願する。

 わかっている、と言わんばかりに一つ朗らかに笑ってから、ミュルソスはもう一度遠くを見つめた。


「そうですね。……一言で言えば、可愛らしい、とでも言いましょうか」

「かっ、可愛い!?」


 ゼルカヴィアとは対極にあると思っていた修飾語が飛び出て、アリアネルは目を皿のように丸くする。


「今のゼルカヴィア殿は、皆の上に立つ存在ですから、アリアネル嬢には想像がつかないかもしれませんが……生まれたばかりの時は、当然一番若い存在です。先に造られていた魔族らには、存分に可愛がられていましたよ」

「か、可愛がられて……」


 あの宵闇色の髪をした皮肉屋の青年が、年長の魔族たちにぐりぐりと頭を撫でられながら可愛がられている場面を想像してしまって、アリアネルは何とも言い難い表情をする。

 今そんなことをされれば、鬱陶しそうに手を跳ね除けて、絶好調な嫌味を飛ばし反撃するに違いない。


「想像できないなぁ」

「それはそうでしょう。もう、一万年近く昔の話です。私も、歳のせいか、当時の記憶はかなり朧気ですから、今のゼルカヴィア殿からは想像できないと言われるのも納得ですよ」


 育ての親の新たな一面を知って唸るアリアネルに、ミュルソスは穏やかな笑みを浮かべる。


「それでも、私はずっとゼルカヴィア殿を見てきました。彼が誕生したばかりのころからずっと、彼を補佐し、一人前にするよう仰せつかってこの世に生み出されたのです。……そう考えると、彼が一人前になってしまった今、私は与えられた『役割』を終えて、惰性で生きながらえているようなものですね」

「そ、そんなことは……」


 ミュルソスは昔から魔界の財政を一手に担っていたが、”娯楽”という概念の誕生とともに地上での活動に駆り出されてからは、それまでより仕事が制限された。その間、誰がミュルソスの魔界での仕事を肩代わりしたのかと言えば、恐らくゼルカヴィアだったはずだ。

 今やゼルカヴィアは、魔王が不在の間の城を取り仕切ることが出来るほどの優秀さだ。

 ゼルカヴィアが今のように仕事をこなせるようにすることが、ミュルソスに与えられた『役割』だったのだとしたら、確かに今は、既に役目を終えていると言えるだろう。


「で、でも、今みたいな非常事態の時は、やっぱり皆、ミュルソスを頼ってるよ!ゼルもパパも、皆――」

「あぁ、すみません。気を遣わせてしまいましたか。別に、役割を終えたこと自体は、なんとも思っていませんよ。おかげで、今のような魔界の窮地にも、柔軟に魔王様やゼルカヴィア殿のお役に立てますし、何よりゼルカヴィア殿の頼もしい成長を想えば、喜ばしくさえ思います」


 アリアネルが拙い言葉でミュルソスを励ますと、けろりと執事の装いをした青年は笑ってのける。どうやら、その言葉に偽りはないようだ。

 

(確か、今回の件で人間界の混乱を治める後始末の間、オゥゾの身体を預けるのもミュルソスって、パパが言ってた。やっぱり、すごく信頼されてるんだろうな……)


 人間の金に対する欲は計り知れない。金をめぐって戦争が起き、互いに数を減らし合う愚かさを、魔族がよく鼻で嗤っているのを、アリアネルは何度も聞いていた。

 それを、魔力が尽きるまで際限なく生み出すことが出来るのが、ミュルソスだ。いたずらに能力を使うような愚かな振る舞いをせぬよう、賢く造られていることは勿論、瘴気に酔って理性を失ったりしないよう、殊更理性的に造られているはずだ。

 

 そもそも、前代未聞の人間界に活動拠点を作るという活動の責任者に抜擢されるなど、相応の信頼が無ければあり得ないだろう。

 

「……ねぇ、ミュルソス」

「はい。なんでしょうか」


 柔和な笑みを浮かべる紳士に、アリアネルは一つ呼吸を置いてから問いかける。


「オゥゾは――どうなったの?」


 しん……と、馬車の中に束の間の沈黙が訪れた。 

 ガタゴトと振動を伝える車輪の音だけが静かに響く。


「ごめんね。ありがとう。私の気を紛らわそうとしてくれたんだよね。……でも、大丈夫」


 ミュルソスが急に、今まで一度も話してくれたことのなかった昔話をし始めたのは、落ち込むアリアネルの気を紛らわそうとしたからだというのは、気づいていた。

 優しい気遣いに感謝しながらも、向き合うべき事象に、少女は果敢に目を向ける。


「確かに、とっても辛いけど……でもね。オゥゾは、私に、笑っててほしいって言ったから。泣かないで、って言ったから。だから――ちゃんと、前を向いて、顔を上げて、生きていくよ」

「そうですか」

「うん。でも、やっぱり、寂しいのは本当だから……人間界だと、お墓を造ったりするんだけど、魔界にはそういうのはあるの?」


 寿命が存在しない魔族は、基本的に人間に討伐されるか、暴走の果てに魔王によって命を奪われるかのどちらかだ。

 人間界で死ねば、当然その躯は討ち捨てられるか研究のために王都に送られるかだが、魔王に命を奪われた場合は、身体だけ魔界へと送り返される。

 魔界のどこかに棲むという腐敗の魔族の元へと送られ、始末されるのが常だと聞いた。


「いいえ。オゥゾの躯は、束の間私が預かっていましたが、全てを終えて魔王城に戻られたゼルカヴィア殿が、魔王様のご命令で引き取られました」

「えっ」

「その辺りのことは、ぜひ帰ってからゼルカヴィア殿ご本人にお聞きください。……そろそろ結界の中に入りますね」


 窓の外の景色が緑色に染まり始める頃、ミュルソスは身じろぎをしてから呪文を唱え始める。


転移門ゲート

「わっ」


 ガタン、と一つ大きく車体が揺れて、アリアネルは思わずよろけてミュルソスにしがみつく。

 危なげなく支えてくれた紳士の身体は、線が出にくいフロックコート姿からは予想がつかないほどしっかりとしていて、長年内務にばかり従事してきた男とは思えない。

 現存する魔族の中では二番目に長寿という彼は、普段の温和な様子からは伺い知れないが、仮に戦闘になっても十二分に戦えるのだろう。


「大丈夫ですか?」

「う、うん。ありがと、ミュルソス」


 逞しい胸板に支えられるようにしながら抱き留められ、先ほど感じた紳士さとはことなる男らしさを感じ、居心地の悪さを感じながら離れる。

 窓の外を見れば、ごつごつとした不毛の岩肌が広がっていて、いつもの魔界へ帰ってきたことがわかった。


「しかし、いけませんね。ゼルカヴィア殿が頼もしく成長されたと安心しきって、昨今の魔界の異変については、今までは報告を聞くばかりで全てを任せきっていましたが――今回、オゥゾの身体を預かって調べたことで、己の行いを深く反省いたしました」

「え……?」


 再び紳士の振る舞いでそっとアリアネルをエスコートするように座席に座らせながら、ミュルソスは軽く嘆息する。

 アリアネルの問いかけるような視線に、ふ、と口元に笑みを浮かべる。

 ぞくり、と背筋が泡立つような、ミステリアスな笑みだった。


「アリアネル嬢を城へ送り届けたら、私はすぐにまた旅立ちます。……魔石が魔族に埋め込まれる経緯に、少しばかり、心当たりが生じましたので」

「えぇえっ!?」


 さらり、と言ってのける紳士に、アリアネルは驚愕して目を白黒させる。


「まだ、確信を得てはいないのですが……私は高確率で、当たっていると思っています。既に魔王様に報告はしておりますし、許可は頂きました。しばし城を不在にしますが、いい子で待っているのですよ」


 よしよし、と子どもにするように頭を数度撫でて、甘いマスクで目尻を下げられては、アリアネルはそれ以上何も聞けない。

 ミュルソスがこういう表情をするときは、それ以上を踏み込ませてくれない時だと、長い付き合いでよく知っているからだ。


 ぐっと眉根を寄せてから、アリアネルは紳士のフロックコートの裾を握る。


「アリアネル嬢?」

「気を付けて、ね……?ちゃんと、元気に、いつものミュルソスのまま、帰ってきて」


 核心に触れさせてもらえない不満を、膨らせた頬に目一杯詰め込んで、尖らせた口からぼそぼそと紡がれる言葉は、少女の心からの気持ちだった。

 ミュルソスは、さらに目尻を蕩けさせ、幼子にするように頭を撫で続ける。


「心配してくれるのですか。ありがとうございます」

「だって……天使が、関わってるんでしょ?ゼルには報告したけど……サバヒラ地方には、天使の躯なんて残ってなかったって――」

「あぁ。聞き及びました。ゼルカヴィア殿も顔を蒼くさせていましたよ」


 後方で倒れ、寝込んでいたということにされたアリアネルは、シグルトと司令官に、前線での状況を聞いた。ゼルカヴィアに首を落とされた夢天使がどうなるのか、聞いておきたかったからだ。

 しかし、返ってきたのは、そんな躯などどこにも存在しなかった――というもの。


 ゼルカヴィアもルミィも、現場から引き上げるときに、夢天使の躯には手を付けていない。

 二人が引き上げた後、前線の騎士団たちがゼルカヴィアの魔法の後遺症である意識障害から目覚め、現場を訪れるまでのわずかな間に、誰かが夢天使の躯をその場から持ち去ったことが示唆されたことになる。


「心配だよ。……ミュルソスも、戦ったらすごく強いって聞いてるけど、でも、無理はしないで。ちゃんと、帰ってきてね?」

「ふふ……大丈夫ですよ。これでも、無駄に長く生きていますから、危機管理能力だけはずば抜けているのです。そして昔から、悪運だけは強い。夢天使が倒れた今、固有魔法を使って操る術は天界側にもないでしょうし」


 生まれたばかりの子供だったアリアネルを知るミュルソスからすれば、随分と大きくなった少女だが、脆弱な人間であることに変わりはない。

 昔と変わらず無垢な瞳で、真摯に感情を訴えてくる少女を心配させぬよう、小さな子供にするようにもう一度頭を撫でた後、ちゅ、と軽く額に唇を落とす。


 親馬鹿なゼルカヴィアの前ですれば、小言が飛んで来そうな行いだったが、今この場に彼はいないのだから問題はないだろう。


「”大好き”ですよ、アリアネル嬢。我らの太陽。どうか、貴女こそ変わらず笑顔でいてください。私は、貴女が幸せそうに笑って待っていてくれる城に、ちゃんと帰ってきますから」

「うん。わかった。……待ってるね、ミュルソス」

「えぇ。約束、です」


 軽く小指を差し出すと、アリアネルは目を一つ、二つ瞬いた。

 ゼルカヴィアに教えてもらった、人間同士でしか成されないという約束の時の儀式を、生粋の魔族であるミュルソスも知っていることに驚いたのだ。


「……うん。約束」


 ふわり、と微笑んでそっと細い指を絡める。

 寒々しい魔界の中、陽だまりのような温かな空気が、その場に流れたのだった。

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