第190話 特例措置①

 城に着くなり、ミュルソスは言葉通り、すぐに自分用の転移門ゲートを開いてどこかへ旅立っていった。きっと、魔石の混入ルートを探りに行くのだろう。

 アリアネルは部屋へと戻る道すがら、すれ違う魔族らに魔王とゼルカヴィアの居場所を尋ねる。

 そして、返ってきた答えに、思わずきょとんと眼を瞬いた。


「え……地下?ゼルも?」


 魔王が地下に籠っているのは想定通りだった。天界勢力に火の属性を奪われないよう、早急に新しい火の魔族を造らなければいけないのだろう。

 だが、地下は魔王の神聖な仕事場だ。

 命を創造するのは、大変な集中を要する。寿命が存在しない彼らは、イレギュラーな事態が起きない限り、生み出されれば永遠を生きる前提だ。その長い時間、決して間違いが起きないよう、緻密な構築が必要となるため、命の生成においてはどんなミスも許されない。 

 上級魔族の生成ともなればなおのことだ。

 故に魔王は、新たな魔族を生み出すときは、全ての仕事を配下の者たちに任せて地下に潜り、他者との接触を徹底的に避け、命を生み出すことだけに集中するようにしていた。日々の中で生じた緊急の伝達事項は伝言メッセージでやり取りをすることで賄う。

 

 誰も、魔王が命を生み出している地下の作業場がどこにあるのかすら知らされていない。魔族が容易に干渉できないよう、封天使の魔法で厳重な結界が張られていて、転移門ゲートで転移することも許されないと聞く。

 命を生み出すのは、造物主に与えられた魔王の『役割』の一つだ。

 その大事な役割を前に、例え付き合いの長いゼルカヴィアやミュルソスであったとしても、特例は許されていなかった。


 それなのに、今、ゼルカヴィアは魔王がいる地下の作業場に迎え入れられているという。


(オゥゾの次の魔族を造ってるのは変わらないはず……なのに、なんで、ゼルが……?)


 少し考えてみてもよくわからない。城の魔族たちも、誰一人その理由を聞かされてはいないようだった。

 誰に対しても公平で平等な魔王が、ゼルカヴィアだけを特別な場所に立ち入らせる許可を与えたということは、恐らく、彼にしか出来ない重要な任務があるからだろう。

 アリアネルは、考えてみても仕方がないと結論付けて自室へ戻った。

 

「お風呂……入らなきゃ」


 荷物を置いて着替えようとして、手を止める。

 今、風呂場へ行ったら――ルミィだけがいるのだろうか。

 幼いころから、オゥゾと二人でアリアネルを歓迎してくれた光景を思い出し、少し胸が痛んだが、意を決して風呂場へと向かう。

 きっと、ルミィの方がアリアネル以上に哀しみに暮れているはずだ。

 『魔界の太陽』と父やオゥゾに評された自分は、彼女を温かく包み込むような存在でありたい。


 ズンズンと大股で足を進めると、予想通り、脱衣所には見事なプロポーションを誇る美女が、いつものようにそこにいた。


「ルミィ」

「あら、アリィ。お風呂ですか?」

「うん」


 にこ、と笑みを湛える美女の顔は、いつもより少しやつれているような気がする。

 地上での激しい戦闘で瘴気を多く使用したことは勿論、やはり、精神的なものが大きいのだろう。


「ルミィ!……た、ただいまの、ハグがしたいな」


 アリアネルは両手を大きく広げて、不器用なお願いをする。

 一瞬、虚を突かれたように水色の瞳を瞬いたルミィは、すぐにふっと頬を緩ませた。


「えぇ。勿論です。……私の可愛いアリィ」


 まるで宝物を包み込むように優しく、アリアネルの身体を両手で包み込む。豊満な胸に顔を埋めて、アリアネルもしっかりとルミィを抱き返した。


「ルミィ……私に出来ることがあったら、何でも言ってね」

「え?」

「しばらく学園はお休みなの。だから、えっと……ルミィが育ててるお花、また見せてほしいな。もし枯れちゃったのなら、ルミィが好きなお花を人間界に買いに行こう?あ、でも、今の季節は売ってるお花が限られてるかも……じゃ、じゃあ、私が花天使の魔法で苗を出してあげる。一緒にお水をあげて、大切に育てよう?」


 たどたどしくも必死に訴えかける少女に、ルミィは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに少女なりにルミィを気遣っているのだと察した。

 ルミィの趣味が花を育てることだと思い出し、少しでも心を和ませようとしていくれているらしい。


「ありがとうございます、アリィ。とても嬉しいです」

「う、うん。あとね、えっとね……寂しくなったら、いつでも私のお部屋に来てね。ルミィは花茶を飲んだことある?パパとゼルも大好きなお茶なの。お花の匂いがするお茶なんだよ」

「まぁ。それは初耳です」

「ロォヌに聞いて、私もお茶を淹れられるようになったの。お部屋に来てくれたら、御馳走するね。約束だよ」

「ふふ……優しいアリィ。嬉しいです。でも、気を遣わなくても大丈夫ですよ」


 豊満な胸に顔を埋めさせながら、そっと優しくアリアネルの頭を撫でる。

 そして、恐らく本当に少女が聞きたいだろう話題に、自ら勇気を出して触れた。


「アリィは、私がオゥゾを手に掛けたことが気になっているのでしょう?」

「えっ」


 ドキリ、と心中を言い当てられ、パッと顔を上げる。

 嘘を吐けない少女は、わかりやすく「しまった」という顔をした。


「安心してください。後悔などしていませんから」

「で、でも――」

「言ったでしょう?私たちの間には、言葉なんていらないのです。……オゥゾがアリィを攻撃しようとしたあの時、私はすぐに、オゥゾの気持ちを察しました」


 ゆっくりとアリアネルの身体を離して、その時のことを思い出すように瞳を閉じると、そっと白い手を胸に当てる。


「アリィを攻撃しようとするなんて、どう考えても正気じゃない。これから先、奇跡が起きて、オゥゾが正気に戻ったとしても――アリィをその手に掛けたと知ったら、オゥゾはきっと私を強く責めたことでしょう」

「え――」

「どうして命を奪ってでも止めてくれなかったんだ、と」


 アリアネルは息を飲んで美女の顔を見つめる。

 ルミィはゆっくりと瞳を開くと、すらりとしたその長身を軽く屈めて、アリアネルと視線を合わせた。


「魔王様の言いつけを破り、私やゼルカヴィア様の言葉も通じず、情けなくも敵の手に落ちたオゥゾが、反逆の意志ありとして魔王様に処罰されることは、あの時点でほぼ確定していました。まして、魔王様の”お気に入り”たるアリィに黒炎を仕掛けるなど――天地がひっくり返っても、お目こぼしはありません」

「ルミィ……」

「夢天使が殺害されたことに気付かれれば、正天使があの場に介入してくることすら考えられました。きっとオゥゾは、すぐに魔王様の手で処罰されたでしょう。だから、魔王様が黒炎を拒否している最中――魔王様自身が固有魔法を使うことが出来ないその瞬間だけが、最後のチャンスでした」


 アリアネルの喉がヒュっと小さな音を立てた。

 ルミィは幼子に言い聞かせるように優しく言葉を重ねる。


「どうせもう助からないなら、せめて最期は相棒の手で――オゥゾなら、そう言うと、思ったんです。……私が同じ立場でも、きっと、同じことを思います」

「そんな……」

「理解してほしい、とは言いません。私たちの関係はとても複雑で、他の魔族でも類を見ない特殊な関係でした。長い年月を経て、魔王様が命を創造したときに想定されていたよりも、私たちの絆はより強固になり――私たちが納得する形で、その関係が終わった。それだけですよ」


 そうしてもう一度、少女の身体をゆっくりと抱き寄せた。

 相棒と二人で愛した、大好きな愛し子。


「魔王様に命を奪われるときは、一瞬です。最期の言葉を遺すことすら出来ない。……でも、何の奇跡かはわかりませんが、最期の最期、オゥゾは己の意志で言葉を遺せた。大好きなアリィにも。……私は、あの行いを後悔などしていませんから、アリィが気に病む必要なんてないんですよ」

「ルミィ……」

「さぁ、お風呂に入りましょう。火の魔法が魔王様預かりになってしまったので、熱伝導の効率が悪いのか、いつもより少しぬるいかもしれませんが……一緒に入ってくれるでしょう?アリィ」


 ふわり、と蕩ける笑みを浮かべる美女は、無理をしているようには見えない。

 きっと、彼女の中では、オゥゾとの別れを彼女なりに納得出来ているのだろう。


「うん。一緒に入ろう、ルミィ」


 それならば、これ以上そのことに踏み込む意味はない。

 アリアネルは頑張って微笑みを造って、美女の手を取るのだった。

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