第191話 特例措置②
翌日、鍛錬も勉学も終えてしまい暇を持て余したアリアネルは、中庭へと足を向けた。哀しい気持ちを紛らわせるために、と集中しすぎてしまったらしい。
我知らず、青々と葉を繁らせる太陽の樹の方へ足を向けるも、大好きな父の姿はない。
(当たり前、か。上級魔族を造るのは特に大変、って言ってたもんね)
火を司る魔族は、魔界側にとって強力な戦力となりうる存在だ。かつてのオゥゾがそうだったように、優秀な魔法戦士としての能力を付与したいのだろう。
強大な力を操るものは、その力の使い道を誤らぬよう、理性的な側面が必要不可欠だ。
オゥゾは好戦的ではない性格として作られていたし、ヴァイゼルは誰よりも厳格な性格をしていた。どんな人格にするかという観点も非常に大切なことは自明の理であり、繊細な作業が必要なのだろうと推察する。
「最後にパパとちゃんと話したのって、いつだっけ……」
太陽の樹の根元に立ち、父がいつもそうするように、大樹をぼんやりと振り仰ぐ。人間界であれば、降り注ぐ木漏れ日に網膜を焼かれぬように目を眇めなければならないだろうが、太陽が存在しない薄暗い魔界では、そんな心配は無用だ。
首が痛くなるまで空を見上げていたアリアネルは、ふるっと首を振って地面に座り込む。
そこには、いつの日か父が気まぐれに与えてくれた“太陽の花”が風に揺れていた。
「元気?……私はちょっと、元気じゃないかも」
つやつやとした黄色い花びらをちょんちょん、と突きながら、アリアネルは独り言を漏らす。
「ちょっとだけ、パパのこと、冷たいって思っちゃった。でも、パパは昔から何も変わってないんだよね。私が勝手に、パパのことを優しいと思ってただけ。……私は、どんなパパも大好きなはずなのに」
オゥゾをあっさりと切り捨てる場面を目の当たりにした素直な感想を、そっと太陽の花にぶつける。
きっと、魔王を至上の存在と戴く者ばかりの魔界で、こんな愚痴を聞いてくれる存在はいない。
かといって、かつて“太陽の花“を贈ってくれた勇者の卵にこぼすわけにもいかない。
「私ね。何も役に立ててないの。人間界でどんな風に事実が捻じ曲がって伝わってるかは、パパたちに教えられたけど、別に、それがわかったって、勇者たちが攻めてくるのを止められるわけじゃない。世界のバランスを大事にするパパは、自分から人間界や天界に攻め入るなんてしないだろうし……そう考えると、私が役に立つには、私が魔界代表として人間界側に真実を伝えることなんだろうけど、正天使が崇められてる人間界では、私一人が訴えたって何も変わらないし、時間も足りない……」
しょんぼりと俯くと、声も一緒に沈んでいく。
人間の寿命は、短い。影響力のないアリアネルが必死に声を上げたとしても、世界の認識を変えるには、時間が圧倒的に足らない。
「じゃあ、正天使をやっつければいいんだろうけど……人間の私が太刀打ちできるような存在じゃないし、そもそも、造物主が味方についてる正天使と敵対するのは、やっぱり簡単じゃないよね。パパも、思うところはありそうだけど、世界のバランスのためにって色々飲み込んでるっぽいし。やっぱり、今はもう天使は造れないのかな。だから、いたずらに天使の数を減らしたくないって思ってるのかも」
ツンツン、と弄ぶようにして可憐な花弁を突くと、ゆらゆらと背の高い花がゆらめく。
大好きな父がこのプレゼントをくれた日は、確かに彼を“優しい“と思っていたはずなのに、今は、自信が持てなくなってきた気がする。
「学園に通えるのも、あと一年だけ。それが終わったら、本当に私は役立たずだもん。パパは、役に立たない存在をお城に置いておいてくれるとも思えないし……そしたら、どうやって生きていこう?神殿に勤める、のかな?うぅん……神殿の中はともかく、王都は息苦しいから、嫌だなぁ。人間界は眩しいし」
口を尖らせてぼやく。
やはり、誰に何を言われようとも、自分が幸せに暮らせる居場所はこの魔界以外にない、と断言できる。
しかし、厳しさの塊である魔界の王がそれを許してくれるかどうかは別問題だ。
昔は、それでも優しい父は自分を置いてくれるのではと考えたこともあるが、忠臣だったオゥゾを眉一つ動かさず処罰することを決定した様子を思い出せば、そんな甘い考えは通じないような気もする。
「なんとかしてあと一年で、パパの役に立てる存在だって認めてもらわなきゃいけないんだけど……何ができるかなぁ……」
愚かで脆弱な人間、と父の口から繰り返される言葉を思い出し、重いため息を吐く。
(最後はやっぱり、戦闘力として役に立つしかないのかな。魔族も減っちゃってるし、微力でもないよりはましだよね。勇者パーティーが攻めてきたときは、きっとシグルトやマナリーアを動揺させられるはずだし……)
友を裏切らねばならないことを思えば胸が痛むが、それ以外に方法がないのならば仕方がない。
やっと決意を固めて、鍛錬を再開しようと拳を握って立ち上がった時だった。
「おや。こんなところにいたのですか、アリアネル」
「ゼル!」
慣れ親しんだ青年の声は、顔を見なくてもすぐにわかる。
アリアネルは、象牙色の髪をぱっとはじけさせながら振り向いた。
「どうしたの?もう、パパのところはいいの?」
「えぇ。数百年ぶりに緊張する大仕事でした。命の生成の場面に立ち会うなど、前代未聞ですからね。全く……いつも、すぐに通常の仕事に戻れる魔王様の体力が信じられません」
中庭の方から歩み寄ってくる長身は、疲労を振り払うように肩を軽く回している。どうやら、魔王も仕事を終えて城内に戻っているらしいが、ゼルカヴィアと違ってすぐに執務室に戻っていったのだろう。
疲れているらしい青年にこちらまで来させるのは気が引けて、アリアネルの方から小走りで青年に駆け寄ると、その陰に別の人物がいることに気付いた。
「あれ……?」
「貴女に紹介しようと思って、探していたのですよ。既にルミィのところには行きましたから」
そう言って、ゼルカヴィアは後ろにいた人影を前に出す。
それは、燃えるような紅い髪と瞳を持った――少年、だった。
「ぇ……」
思わず驚いてじぃっとその外見に見入ってしまう。
(パパが城内に戻っていて、見たことがない魔族がいて、もうルミィのところに行った――ってことは、この子が、次の火の魔族?)
少女が竜胆の瞳を何度も瞬いて凝視するのも無理はない。
成人型の魔族しか造らないと言われていた魔王が、子供の外見で魔族を造ったのは、ミヴァが最初で最後だったはずだ。
それは、アリアネルと共に学園に潜入するという彼女の『役割』があったため仕方なくその外見が採用されただけだ。
だが、目の前にいる新たな火の魔族は、おそらくオゥゾの穴を埋めるための城勤めの上級魔族として造られたにもかかわらず、アリアネルと大して変わらない身長だ。
オゥゾの後継の戦士としての役割を考えれば、腕の長さも足の長さも、戦闘における重要な要素となりうる。あえて未成年の外見で造る理由など、アリアネルにはどれほど考えても思いつかない。
「……何か、言うことはないのかよ」
「えっ?あ、う、うん、えっと、あの……は、初めまして……?」
ぶすっとしながら告げられた言葉に困惑しながら、アリアネルは何とか挨拶を絞り出す。
礼を失した自覚はある。
だが、それでも――それでも、これは、あんまりではないだろうか。
髪の色も、瞳の色も。
いや――活発そうな目つきも、唇の端から覗く尖った犬歯も、少年のような喉から発せられる不機嫌そうな声も、口調も。
あまりにも――オゥゾと、酷似しすぎていて。
「ぜ、ゼル……?」
まるで、オゥゾを縦に縮めただけのような、瓜二つの少年を前に、アリアネルは思わずゼルカヴィアに助けを求める。
魔王は、新しく魔族を造る度に、一人一人名前を付けて、別の個体として完成させる。前の個体の足りなかった部分を補うように、必ず人格や外見を修正し、全くの別人として扱うようにしているのを知っていた。
だから、次の火の魔族がどんな魔族でも、オゥゾとは関係ないのだから、精一杯仲良くなれるように頑張ろうと思っていたのに――
「……ぷっ」
父の考えることが全くわからなくなって、目を白黒させるアリアネルを前に、堪え切れなくなったように、目の前の少年が噴き出した。
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