第192話 特例措置③

「あっはははは!面白れぇ顔!アリィもわかんねぇのか!」

「えっ?――えぇ?」


 先ほどまでの不機嫌な表情など嘘のように、身体を折って思い切り笑い声を上げる少年に、アリアネルはさらに混乱する。

 まだ自己紹介もしていないのに、愛称で呼びかけられる違和感。

 それでも――オゥゾと酷似した声に呼ばれるには、あまりにしっくりくる切なさ。


「あー、もう。ゼルカヴィアさん。種明かしして良いか?」

「どうぞ、お好きなように」


 やれやれ、と肩を竦めて笑っているゼルカヴィアに再び助けを求めるように視線を投げると同時に、目の前の少年は、慣れた手つきでアリアネルの両脇に手を差し込んだ。


「ひゃぁっ!?何なになになに!!?」

「ほら、アリィ!”高い高い”だ!」

「えっ???えっっ!!??」


 年の頃なら自分とたいして変わらないような、少年と青年の狭間の外見をした魔族は、ひょいっと軽々とアリアネルを持ち上げ、頭上に掲げてくるくるとその場で回転する。


「まっ……待って待って待って!止まって!」

「ぉ?なんだ、もういいのか?久しぶりだし、もっとやってやるぞ?」


 両脇に差し込まれて身体を支えている手をべしべしと叩いて訴えると、きょとんとした顔をしてから、少年は言われた通りに動きを止めて、アリアネルを地上へと降ろした。


「こんなチビだと、アリィも楽しくないか?困ったな。別の遊び考えねぇと」

「ちょ――」

「ま、それはおいおいってことで」


 少女を降ろすとすぐに、じゃれつくようにぎゅっと身体を抱きしめながらそんなことを言う。

 アリアネルより拳ひとつ分程しか高くない身長差は、少年が抱きしめるだけで自然に鼻先を耳の裏へと押し当てる形になる。

 そのまま、スン、と小さく鼻を鳴らす音が、鼓膜を揺らした。


「……ぇ……」


 アリアネルは大きく目を見開き、驚きのあまり身体を硬直させる。

 少年の流れるように自然な動作も、肩口に鼻を埋めるようにしたその体勢も、耳元でフンフンと鼻を鳴らされる感覚も、何もかも――酷く覚えがあった。

 

「ま、待って、待って、もしかして――オゥゾ!!?」

「あはは!やっと気づいたのか。……ん~、久しぶりに嗅いでも、アリィはやっぱいい匂いだな」


 くんくん、と幸せそうに鼻を鳴らしながら言われて、目玉が飛び出しそうになる。


「ちょ――待って!!?なんで!?」


 いつまでも匂いを堪能しているらしいマイペースな魔族を無理やり引き剥がし、大声で問い詰める。

 少しだけ不服そうな顔をしてから、オゥゾと名乗った少年は、片耳を指で穿りながら説明した。


「魔王様が、”特例措置”ってのを取ってくださったんだ」

「と、特例……!?」

「おぅ。ゼルカヴィアさんの力で、俺の記憶を躯から抜き出して、新しい身体に定着させたんだと。身体が縮んだのは、元々鋼の魔族を造ろうとしてたのを土壇場で火の魔族に変えて、その上更に俺の元の外見と性格に急遽寄せたせいで、急いで仕上げたい今、成人型で造り直すのが難しかったらしい」

「な――」


 ふっと耳を穿った小指に息を吹きかける仕草すら、懐かしい青年と全く同じだ。

 思わずアリアネルがゼルカヴィアを振り返ると、疲れたため息をつく青緑の瞳と目が合った。


「魔王様も、無茶をおっしゃいます。躯から生前の記憶だけを取り出すなど、まさに前代未聞です。成功する補償など全くないのに、「それでもいい」などとおっしゃるのですから――」


 アリアネルは、オゥゾが死亡した直後、魔王とゼルカヴィアが何やら話をしていたことを思い出す。

 あれは、このことを言っていたのだろう。


「じゃあ――じゃあ、本当に、オゥゾ、なの……?」

「おぅ。……ま、勿論、前に生きてた数千年分の記憶が全部あるわけじゃねぇけど、印象的だったことはだいたい覚えてる、って感じだな。名前も、そのまま、”オゥゾ”でいいってよ」


 ニカッと白い歯を見せて笑う顔は、少しあどけなさが残るものの、幼いころから見慣れた青年と同じだった。


「ぁ……ぁ……」


 急に実感がこみ上げて来て、竜胆の瞳にうるうると涙が溜まる。


「おいおい、泣くなよ、アリィ。魔王様のご慈悲で、せっかくまた逢えたんだ。いつもみたいに笑ってくれ」


 苦笑しながら、オゥゾは指の腹でアリアネルの涙を拭う。

 絡む視線はいつもより低いが、涙を拭ってくれる優しい手つきは、幼少期から何度もアリアネルを甘やかしてくれた、大好きな青年そのものだった。


「っ――ゼル、パパは!?」


 アリアネルは涙を浮かべたままゼルカヴィアを振り返る。

 その問いを想定していたのだろう。軽く肩を竦めて、城の中を指さす。


「きっと、執務室でしょう。私もここ数日、城を空けていましたから、溜まった内務の処理をされていらっしゃるのでは」

「ありがとう!」


 皆まで聞かず、アリアネルは全力で駆けだす。

 すれ違う魔族たちが驚くくらいに、屋外も屋内もなく、少女が出せる最速で目的地を目指した。


 ほどなく見覚えのある扉が見えてくると、逸る気持ちでもどかしさを感じながら、飛びつくようにしてドアノブを掴む。


「パパっ!」

「……なんだ。騒がしい」


 バァン!と音を立てて開かれた扉に、不機嫌そうな眉間の皺を刻んで、魔王は手元の書類から顔を上げた。

 そんな様子には一切構わず、転がるようにしてアリアネルは父の元へと駆け寄った。


「パパ!」


 そのまま、勢いを殺すことなく、幼いころからいつもそうしているように、迷うことなく父の首へと飛びつく。


「……だから、何だ」


 呆れたような声も、当たり前のように身体を支えてくれる逞しい腕も――何もかも、幼いころから変わらない。

 そう。――魔王は、昔から、何一つ変わらない。

 変わるのは、アリアネルの捉え方だけなのだ。


「パパ!パパ、あの、あのね!」


 感情が高ぶって、ぽろぽろと涙がこぼれる。

 それでも、アリアネルの顔は、嬉しそうに輝いていた。


「大好き!」

「フン……またそれか。お前のそれは、聞き飽きたと言った」

「何度でも伝えるよ!っ……私、優しいパパが、大好き!世界で一番、大好きだよ!」

「……フン」


 頬に唇を落としてくる少女を好きにさせてやりながら、魔王はいつものように小さく鼻を鳴らす。

 

 おそらく、数万年を生きる魔王が、失ったはずの命を蘇らせるような形で新しい命を生成したのは、初めての試みだったはずだ。

 それは、『役割』に忠実で、厳格な魔王にとって、まさに”特例措置”以外の何物でもない。


 オゥゾは確かに魔王の命令に背いたが、それは敵の陰謀だったことが明らかになった。その陰謀でさえ、魔王の厳格に命令されたことを忠実にこなしたということは、本質的にオゥゾから魔王への忠誠心が無くなったとは言えない。

 魔石を取り込んだ身体のまま魔界へと戻すことは、リスクを考えれば出来なかったが、オゥゾの人格や能力に問題があったわけではない、と判断され、今回の特例措置となったのだろう。


「泣きながら笑うなど、お前は随分と器用な奴だ」

「えへへ……すっごく、嬉しかったの。パパが、やっぱり誰より優しいってわかって、すごく、すごく、嬉しかったの。大好きだよ」


 涙を拭って、もう一度唇を頬に触れさせる。

 今は何度だって、気持ちが叫ぶままに、心からの『大好き』を伝えたかった。


「私、頑張るね!ちゃんと、パパの娘として、役に立てるよう頑張る!」

「フン……期待はしていない」

「頑張るもん!」


 拳を握って宣言するアリアネルの顔は、憂いの影など差し込む隙が無いほどに晴れやかだ。

 目の前で眩しい太陽が弾けるような錯覚に、魔王は軽く眼を眇めてその顔を眺め、小さく鼻を鳴らすのだった。

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