第193話 潜入捜査①

 それは、オゥゾとの再会に喜んだ翌日の昼間だった。


「え?パパが、呼んでる?」


 ミヴァと一緒にロォヌが作ってくれたおやつを自室で楽しんでいたアリアネルは、ゼルカヴィアからの伝言メッセージを受け取り、驚きに目を瞬く。

 

「うん。……うん、わかった。執務室だね」


 執務中の魔王から呼び出されることなど、未だかつてなかったことだ。

 一体何の用事かと訝しみながらも、アリアネルはすぐに立ち上がって軽く身支度を整える。幾つになっても、大好きな憧れの"パパ"に会うときは、少しでも可愛い自分を見せたい。


「ごめん、ちょっと行ってくるね。おやつ、全部食べちゃって大丈夫だからね。あ、片付けはお願い」

「かしこまりました。いってらっしゃいませ、アリアネル様」


 送り出してくれるミヴァとロォヌに軽く手を振ってから、アリアネルは歩き慣れた魔王城の廊下を行く。


(一体、何の用事だろう。学園が始まってから、何かしろって言われるのかな。天使の陰謀がわかったからか、最近はパパもゼルも仕事中はピリピリしてることが多い気がする。私で役に立てることがあるなら、何でもやりたいけど……)


 考えているうちに、目的地へと到着してしまう。

 軽くノックをすると、「入れ」と低い声が短く許可を出した。

 そっと扉を開けて中へ入ると、中にいるのは魔王とゼルカヴィアだけだ。


「えっと……」


 思わずたじろいでしまうのは、部屋の中に漂う空気が、これ以上ないくらい張りつめていたからだ。

 魔王は眉間に彫り込まれたような深い溝を刻んでおり、不機嫌であることを隠しもしない。いつもならそれをうまくなだめるはずのゼルカヴィアは、どうやら今日はその役割を放棄したのか、冷ややかな表情で押し黙っているだけだ。


「な、何か……用、かな……?」


 あまり見ない二人の様子にビクつきながら、扉を閉めて魔王の執務机へと近づく。

 魔王は、口の中で小さく舌打ちすると、ギッ……と身体を背もたれに預けて椅子を回転させ、身体ごとそっぽを向いてしまう。


「ぜ、ゼル……?」

「気にしなくてよいのですよ、アリアネル。魔王様は少し、ご機嫌斜めなだけです」

「ご、ご機嫌……って」


 そんな可愛らしい様子ではないように思えるのだが、眼鏡の奥の形だけの笑みは、それ以上の追及を許さない。

 まるで室温が、周囲より数度下がっているかのような錯覚に、ぞくりと背筋を震わせながら、アリアネルはそっとゼルカヴィアを見上げる。


「アリアネル。……五日後の夜は、暇ですか?」

「へっ?う、うん……別に、いつも通りだよ」


 つい十年ほど前まで、『娯楽』という概念が存在しなかった魔界に、人間のアリアネルが夜に出かけるような場所があるはずもない。まして、魔界の夜には月も星もない。アリアネルは幼いころから、同世代の子供よりもだいぶ早寝の習慣が身についていた。

 

「体調は?」

「ぅん?普通に、元気だよ」

「そうですか。……では、魔王様。作戦決行は予定通り五日後、ということでよろしいでしょうか」


 ゼルカヴィアが水を向けると、背中を向けた魔王からは、返事の代わりにチッという二度目の舌打ちだけが返ってきた。

 びくり、と肩を震わせてから、説明を求めるようにアリアネルはゼルカヴィアを仰ぐ。

 やれやれ、と呆れたような溜め息をついた後、眼鏡を押し上げながらゼルカヴィアは少女に説明をした。


「昨今の魔界の窮状は、天使の陰謀に踊らされたせいだったことは、知っていますね?」

「う、うん。正天使の眷属になった五百年前の勇者が、夢天使として、固有魔法を使って魔族の皆を操ってたんでしょ?」

「そうです。体内に魔石を埋め込み、魔法行使には必ずその魔石を使うように命じることで、耐えがたい飢餓感に駆られ、『瘴気酔い』に近しい症状を出す魔族が続出しました。ちょっとやそっとでは『瘴気酔い』に陥らぬ理性のある上級魔族たちは、魔王様からの命令を受けていると言う幻覚を見せられ、忠実に任務をこなそうと、人間たちを脅かしたことで、そうとは知らない我らに処罰されていたわけです」


 改めて聞くと、酷い仕打ちだ。ごくり、と唾を飲み込んで、しっかりと頷く。


「でも、夢天使は死んじゃったんでしょ?じゃあ、もう魔族の暴走は心配ないんじゃ……?」

「いいえ。もしも今、眷属になりえる魂の輝きを持った人間が死ねば、再び天界に新しい夢天使が現れます。そうすれば、すぐに作戦は再開されるでしょう」

「!」

「だから、今、我々が早急に明らかにせねばならないのは、魔族の体内にいつの間にか埋め込まれていた魔石についてです」


 眼鏡の奥の深緑の瞳は、冷静沈着に状況を伝える。魔王は、口を挟むことなく不機嫌な様子で背を向けたままだ。


「私が相対した夢天使は、第二位階の位をもらっていたようでしたが、高度な魔法を使役するときは必ずその手に魔石を握っていました。やはり、純正の天使とは勝手が違うのでしょう。体内に魔石がある魔族ばかりが狙われたのは、もしかしたら、夢天使が魔法をかけるのに必要だったからかもしれません」

「ぁ……もしかして、魔石は暴走の前から魔族に埋め込まれていて――その石には、元々夢天使の固有魔法が封じられてた、とか――!?」

「はい。我々も、それを疑いました」


 夢天使は、元人間だった。石に魔法を込める使い方に慣れ親しんだ彼女が、己の力不足を補うためにそれを使用した可能性は高い。

 ヴァイゼルもオゥゾも、優秀な戦士だった。いくら第二位階相当の天使が相手でも、真正面から相対して、魔石を埋め込まれて魔法をかけられるのをぼんやりと待つほどの間抜けではない。

 そうなれば、魔石を体内に入れられたタイミングと魔法で幻覚を見せられたタイミングは異なると考える方が自然だ。

 例え高度な魔法だったとしても、一度石に魔法を閉じ込めてさえしまえば、長ったらしい呪文を唱えることなく最低限の呪文を唱えるだけで魔法は発現する。

 上級魔族すら惑わせる高度な固有魔法を、不完全な天使である眷属が真正面から短い呪文で打てるとは思えない。おそらく、周到に準備された状態だからこそ、効果を発揮したのだと、ゼルカヴィアも魔王も結論付けた。


「つまり、新しい夢天使が生まれるより前に、魔族の体内から魔石を取り除けば、同じ被害は起きません。ですがまさか、魔界にいる魔族の腹を全員掻っ捌いて中を検めるわけにもいきません」

「う、うん……」

「我々が魔石についてわからないのは二つ。それがどのように造られたか、という製造方法と、どうやって魔界に持ち込まれて魔族の体内に埋められたのか、という混入ルートです。魔界で造られる物は全て、魔王様の掌の上です。魔界で、魔王様の管轄の外で魔石が造られるとは考えられない。となれば、人間界で造られ、持ち込まれたと考えるのが自然でしょう」

「えっ……わ、私、そんなの知らないよ!?」


 人間界、と聞いて、真っ先に自分が疑われているのではと思い、ぶんぶん、と強く首を横に振る。


「当たり前でしょう。小さな嘘の一つも吐けない貴女に、そんな大それたことが出来るなどとは、誰も思っていません」

「ぅ……そ、それなら、いいけど」


 呆れたように言われて、唇を尖らせて呟く。


「混入ルートの方は今、ミュルソスが別行動で調べてくれています。ミュルソスは信頼できる古参魔族ですし、夢天使の力は今、魔王様の元にある。まだ、新しい夢天使が造られていない証拠です。ミュルソスが操られる可能性はないでしょう。もう少しで証拠を掴めそうだという報告を受け取っていますから、そちらは任せましょう。……我らが着手すべきは、製造方法の特定です」

「なんで?混入ルートさえわかれば、それを潰しちゃえばいいんじゃないの?」


 アリアネルの素朴な疑問に、ゼルカヴィアは嘆かわしい、と言いながら大仰なため息をついた。


「全く、これだから人間は……いいですか。製造事態を止める手立てがない限り、根本的な解決にはなりません」

「ぅ゛っ……」

「混入ルートなど、一度潰したところで、別の方法を考えられてしまえば終わりです。どのように製造されているのかすらわからないそれの混入ルートを、事前に察知して可能性を潰すなど、現実的ではないでしょう」

「ぅぅぅ……」

「ミュルソスが明らかにしたとて、それは一時しのぎにしかなりません。どこで、誰が、どのように造っているのか。それがわからない限り、根本解決にはならないでしょう」

「は、はぁい……」


 トゲトゲした言葉で言われて、肩を竦めて頷く。

 そして、疑問に思ったことを口にした。


「もしかして、その製造方法を探ることについて、パパと意見が対立しちゃったの……?」


 アリアネルとゼルカヴィアのやり取りに口を出して来ない魔王は、未だにこちらを向くことなく背中を向けたままだ。

 恐る恐る問いかけたアリアネルに、ゼルカヴィアは嘆息して首を振った。

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