第188話 夢の終わり⑦

 帰路の途中で司令官から通達された予定通り、アリアネルらは翌日の昼過ぎに学園へ到着すると、一週間程度の休暇が与えられる旨が教師から伝達された。

 オゥゾの暴走に巻き込まれたことで、聖騎士だけではなく学園側にも死傷者は多く出た。十五歳を迎えていない生徒には、外敵からの攻撃を全自動で防いでくれる防御機能が備わっているとはいえ、それは加護を与えてくれた天使の位と同等程度までの攻撃しか防いでくれない。オゥゾ相手では第三位階未満では意味を成さなかっただろう。結果的には、無傷の人間の方が少ないくらいだった。 

 季節外れの臨時休暇はおそらく、期間内に負傷者は傷を癒し、心を強く持ち直せというメッセージだ。学園の教師たちも、一部の死亡した生徒の家族へのフォローに追われることだろう。


「アリィ、大丈夫……?」

「!……うん。ありがとう、マナ」


 気遣わし気な表情で隣から顔を下から覗き込まれて、ハッと慌てて表情を取り繕う。

 しかし、形だけの笑みであることに気づいたのか、マナリーアは心配の色を消さずに物言いたげな表情をしていた。


「仲の良い学友を亡くした子もいるから、今もきっと周りは瘴気だらけだし、元気になって、とは言いにくいけれど……せめて、休暇の間はゆっくりお家で休んでね」

「うん。……マナはどうするの?」

「あたし?あたしは、寮で負傷者の治療を手伝うわ。教師だけじゃ足りないでしょうし。シグルトも同じだと思うけど」

「そっか。……力になれなくて、ごめん」

「いいのよ。むしろ、アリィの体質で実践投入なんて、そもそも無理だったんだから。それなのに、最後まで必死に力を貸してくれてありがとう。アリィ、魔族の魔法もすごく上手だから、陣営で大量の水が必要だった時もすごく助かったって、聖騎士の人も褒めてたよ」

「うん……ありがとう」


 必死に励ましてくれる親友を前に、何と答えるべきかわからなくて、曖昧な表情で礼を言う。

 どうやら、彼女の中には、アリアネルがゼルカヴィアへの通信のためにそっと持ち場を離れたところまでの記憶しかないらしい。


「マナは……大丈夫?」

「ぅん?何が?」

「その……マナは治癒に当たることも多かったし、辛い場面も沢山見たんじゃないかな、って……」


 治天使の加護を持つマナリーアは、治癒の魔法にひと際秀でている。聖騎士たちに混じって、学生ながら治癒魔法をかける重役を担っていた。

 だが、今回の死傷者の数を考えれば、年端もいかぬ彼女が一生懸命治療をしている最中、力及ばず命の灯がかき消える場面に直面することもあったはずだ。

 アリアネルの沈痛な面持ちに、マナリーアは苦笑して返す。


「大丈夫よ。これでも、去年から何度も聖騎士の作戦に同行してるもの。慣れ――ちゃいけないんだと思うけど、最初の頃に比べれば、だいぶ割り切れるようになってきたわ」

「そっか……」


 マナリーアの初陣は、シグルトとマナリーア以外全滅しての帰還、という凄惨なものだったことを思い出す。

 思わずチラリ、とシグルトの方を見ると、勇者の卵は気丈な様子で、意気消沈した学生に声をかけて回っているところだった。おそらく、彼もマナリーアと同じく、背を預けた仲間との別れには、同世代よりも心の整理の経験値が豊富なのだろう。


(私はダメだな……ヴァイゼルの時も、オゥゾの時も、いつも泣いて俯いてばっかり。シグルトとマナの方が、ずっとずっと大人で、強い)


 教師から解散の号令が放たれると共に、アリアネルは友人たちに別れを告げ、沈んだ気持ちで正門へ向かう。

 見れば、四年間の通学で見慣れた迎えの馬車が止まっているようだ。

 オゥゾのいない魔王城へ帰ると思えば足取りは重く、とぼとぼと俯きながら、何とか足を交互に出していると――


「お帰りなさいませ、アリアネル嬢」

「へっ?」


 うつむいた旋毛に上からかけられた声に、驚いて間抜けな返事をしながら顔を上げる。

 てっきり、いつものようにゼルカヴィアが迎えに来てくれると思い込んでいたが、彼はアリアネルを決してそんな呼称で呼びはしない。

 彼女をそんな風に呼ぶのは――


「ミュルソス!?」

「はい。多忙で手が離せないゼルカヴィア殿に代わり、僭越ながら私がお迎えに上がりました」


 柔和な笑みを浮かべたフロックコートの紳士は、そっと優しくエスコートするように少女に手を差し伸べる。

 黄金色の瞳が弧を描いて慈しむように緩むと、洗練された仕草が魔王に造られた美しい造形と相まって、絵本の中から出て来たような麗しさだ。


「どうぞ、お手を」

「へ、あ、う、うん……」


 まるで一国の姫をエスコートするような優雅な仕草に、思わず一瞬、ぽぅっと見惚れてしまってから、慌てて手を差し出す。

 真っ白な汚れのない手袋に包まれた紳士の手が、そっとアリアネルの小さな手を取り、馬車の中へと導いた。


 ゼルカヴィアに見られたら、「まさか、まだ”お姫様”に憧れるような心を持っているのですか?」などと絶好調の皮肉を飛ばされてしまうだろう。

 相手が見知ったミュルソスなのに、うっかりときめいてしまったことが気恥ずかしくて、馬車の中でコホン、と咳払いをしてごまかした。


 御者台には、ミヴァが座っていた。きっと、学園を休んだか早退して、アリアネルの帰宅に合わせようとしてくれたのだろう。

 バタン、と扉が閉まると、馬車の中にはミュルソスと二人きりだ。静かに馬車が動き始めるのを待って、ミュルソスはいつもの柔和な笑みで口を開く。


「一連の出来事は、お聞きしました。……大変でしたね、アリアネル嬢」

「ううん。私は、結局、何もできなかったから……」


 答えると、己の言葉に改めて傷つく。

 そう。――何も、出来なかった。

 オゥゾに限って、暴走などあるはずがないと、ギリギリになるまでゼルカヴィアに交信をしなかった。のっぴきならない状況なのだと知って初めて、人間たちに正体が露見する危険を冒してでも、事件の中枢へと乗り込んで行った。

 しかし、その場でアリアネルに出来たことは何もなかった。

 天使は既に捕縛され、ゼルカヴィアによってすぐに首を刎ねられた。魔王を説得することは出来なかった。オゥゾの凶行を止めたのは、最後、彼と一番仲が良かったはずのルミィだった。

 敵に操られたオゥゾは、アリアネルを害そうとしていた。それにすら、アリアネルが出来たことは何もない。

 咄嗟に黒炎を放つ判断をしたのは、意識の奥底にあったオゥゾの本来の意思だった。思惑通り、それを拒否して霧散させたのは、魔王だった。

 アリアネルは、ただ、泣いて、喚いて、嫌だ嫌だと訴えていただけ。

 事件が終わってからも、疲れているゼルカヴィアに広範囲に記憶の魔法をかけさせ、手を煩わせる始末だ。


「本当に、何も……出来なかったの……」

「そうですか」


 ぎゅっと膝の上で拳を握り、消え入りそうな声で言うアリアネルに、ミュルソスの温かな声が掛けられる。御者台にいるミヴァも、気遣わし気に、何度もチラチラとこちらを振り返っているようだった。

 皆に心配をかけ、優しくされることがまた情けなくて、アリアネルはぐっと唇をかみしめる。

 

 ただ、何も考えずに魔界で暮らしていたころの幸せな日々が、ひどく遠く感じる。

 ここ数年で、一体どれだけの魔族が天使の陰謀によって命を落としたことだろう。


 戻らない日々を想いながら、アリアネルは楽しかった夢が終わる気配に、そっと瞳を閉じたのだった。

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