第133話 再会③

「お兄ちゃんっ!――っ、お兄ちゃん!!!」


 叫びながら、青年の胸に全力で飛び込むと、不意を突かれたのか、青年はアリアネルを支えきれずに尻餅をついた。


「アリアネル!まったく……私はゼルカヴィアと違って、普通の人間程度の力しかないと告げたでしょう」

「おにっ……おにいちゃ――ぅえぇええええんっ」

「貴女の馬鹿力の突進を支えることは出来ないのですから、少しは手加減をしてほしい所ですね」

「ぅっ、ぅえ、ふ、ふぇええええんっ!」


 話を聞いているとは思えぬくらいの大声で、青年の胸に涙でぐしゃぐしゃの顔を押し付ける少女に、はぁ、と疲れたため息が落ちる。


「やれやれ……最後にこの姿で会ってから、もう十年近くたつと言うのに、泣き方が当時と変わらないのは呆れますね。どの口が、『もう子供じゃない』などと言っていたのでしょうか」

「お兄ちゃんっ……お兄ちゃん、逢いたかった!逢いたかった!!!」

「はいはい。……ほら、アリアネル。顔を上げなさい。貴女は昔から、私の衣服で涙と鼻水を拭きすぎです」


 尻餅をついた状態のまま、優しく顔を上げさせられ、アリアネルはボロボロと大粒の涙を流しながら顔を上げる。

 

「お兄ちゃん……どうして――」

「今日は新月ですから」

「でも、もう、私は大きくなったから、お兄ちゃんを魔界に残しておく必要は無くなったって、ゼルが――」

「あぁ……まぁ、”影”の私に出来るのは、育児だけではありませんから。ゼルカヴィアと記憶を共有しているのですから、書類仕事などはこなすことが出来ます。頭脳面の能力値は、彼とほぼ変わりませんしね。……最近は、特に魔界が騒がしく、忙しいですから。ヴァイゼルの件もありましたし、魔界でやるべき仕事も山積みの今、密命をこなす時間すら惜しいと、私を置いて行ったのでしょう」

 

 すらすらと事情を話してくれる青年に、アリアネルはぎゅっともう一度力いっぱい抱き付く。

 偶然が重なっただけでもいい。奇跡のような再会が嬉しくて、二度と離れたくないと告げるように一層腕に力を込めた。

 

「ゼルカヴィアとして過ごす日常では、そんなことを考えたこともなかったのですが――この身体で今の貴女と対峙すると、貴女も日々成長しているのだと実感しますね。昔と比べると、力が段違いです。もう、剣や槍だけではなく、巨大な斧を振るうことすら余裕なのでは?」

「うん。……うん。あまり、好きじゃない武器だけど、使えるようになったよ。――ヴァイゼルが、私の身体に合わせた大きさで、造ってくれたの。私が好きだからって、お花を模した模様を刻んでくれたんだよ」


 ぐすっ……と鼻を啜りながら、今は亡き魔族の顔を思い出して告げる。

 寡黙で、厳しくて、不器用な優しさを持った男だった。


「好きじゃない武器、とは……もしや、まだ、十年前に一度見たきりの”夢”を恐れているのですか?」

「だって……だって――!」

「大丈夫ですよ。……大丈夫。貴女がどんな存在になったとしても、私だけはずっと、貴女の傍にいてあげると約束してあげたでしょう?」

「っ、うんっ……!」


 慈しむように優しく頭を撫でてくれる大きな手に瞳を閉じれば、胸の中に安心と言う名の温もりが広がっていく。


「それで?……珍しく聞き分けのなかった理由は何ですか?ヴァイゼルが離反し処罰されたことに、心を痛めたのでしょうか?」


 零れ落ちる透明な雫を指で掬いながら、青年は優しく問いかける。


「っ……あのね、あのね、お兄ちゃん」

「はい。何でしょう」

「聞いてくれる?ゼルには言えないことだから――」


 アリアネルは、そう言って切り出し、何度も言葉に詰まりながら心の内を素直に吐露した。

 ヴァイゼルの死に心が痛んでいるのは確かなのに、人間として過ごした自分の心は、魔族と全く同じになることは難しいこと。

 中途半端な気持ちでいてはいけないと思っているのに、心は思い通りになってくれないこと。


「ゼルカヴィアには言えない――なるほど。確かにゼルカヴィアに今の心の内を言えば、淡々と諭されて終わりでしょうね」

「ぅ……」

「まぁ、良いでしょう。……今の私は、魔族ではありません。殆ど人間に近い存在ですから、大した力もない代わりに、魔王様への度を越した忠義も、魔界の常識も、持ちえません。安心なさい。貴女の気持ちを頭ごなしに否定することはありませんよ」

「お兄ちゃん……!」

「ですが、困りましたね。……今の私は、本当に何の力も持たないのです。私に、ゼルカヴィアの魔法が使えるのなら、貴女の記憶を消すことも、差し替えることも出来るでしょう。そうすれば、その小さな胸がこれ以上痛むことはないのでしょうが――」

「そっ――そんなことをしてほしいわけじゃないよ!」


 困った顔で言う青年に、慌てて反論する。

 確かに、例えばヴァイゼルという魔族がいたという記憶そのものを消し去ってしまえば、死別の苦しみは無くなるだろう。あるいは、ヴァイゼルとは大して交流がなかっただの、大変意地が悪くアリアネルに辛く当たる魔族だっただの、何かしらアリアネルが彼に親しみを持ち得なかったという偽りの記憶を差し込んでしまえば、同様に胸を痛めることはないかもしれない。

 だが、そんなことをしてほしいわけではないのだ。


「どんなに辛くても、ヴァイゼルっていう魔族がいたってことを忘れたくはないの。武器だってそう。ちゃんと、お花の模様を見るたびに、ヴァイゼルとの優しい記憶を思い出したい。どうしてあのヴァイゼルが――って思う気持ちは、きっと一生拭えないけれど、それでも、ずっと、思い出は胸に残しておきたい」

「……そうですか。貴女がそう心に決めているなら、よいのです」


 少女にとっては、生まれて初めての、親しく過ごした存在との死別だったことだろう。その苦しみから目をそらさないと言ってのける健気な強さに、青年はそっとアイボリーの小さな頭を撫でてやる。


「でも……やっぱり、私は、人間なんだね」

「アリアネル……?」

「いつか――シグルトやマナリーアと戦わなきゃいけないんだ、って思ったら……その時、私は、ちゃんと戦えるのかな……」

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