第143話 【断章】お買い物

「すごい、すごいです……!私、塩が岩から取れること、初めて知りました!」


 興奮を隠しきれない様子でアリアネルに感想を伝えるミヴァは、どうやら初めての市場を十二分に楽しんでいるらしい。


「あれはね、岩塩って言うんだって。私も初めて見た時は驚いて同じこと聞いたんだけど……全部が岩から取れるわけじゃないみたいよ」

「どう言うことですか?」

「うぅん……私もすごく詳しいわけじゃないんだけど……基本的には、塩は海から取れるもので、いつも私たちが見慣れた白い粉状で売られるのがほとんどなんだけど、大昔に海だったところが陸になることがあるらしくて、そうすると塩が鉱石になって採取されるんだって」

「海が陸に……?」

「そう。天変地異とか、色々の理由で。……で、鉱石として取れる塩は、海から取れるものとは違った要素が入っていることもあるらしくて、栄養とか、味とか、ほんの少し変わるんだってさ。舌触りも違うから、食感にも気を使う、ってロォヌが昔言ってた」

「そうなんですね……!さすがアリアネル様。博識でいらっしゃいます」

「全部ロォヌの受け売りなんだけどね」


 照れながら謙遜して、ずんずんと前をいくロォヌの後をはぐれないように追いかける。

 買い物モードに入ってしまうと、ロォヌはまるで他のことなど抜け落ちてしまったのでは、というくらいに脇目もふらず購入に没頭する。こちらが話しかけても気づかぬくらいに、まるで現実とは異なるどこかへいってしまっているのでは、と思うほどだ。

 重たい荷物は後方に控えるミュルソスに預けて、今日もロォヌは迷うことなく市場の人ごみを縫って店へと入っていく。


「私、お砂糖にもたくさんの種類があること、初めて知りました」

「ね。なんだか茶色っぽいのとか、手触りも、ぼてぼてした感じのやつとサラサラしてるやつとか、色々あったね。私も初めて知ったから、帰りにあれはどういう違いがあったのか聞いてみよう?」

「はい!」


 まだ生まれて三年と少ししか経っていない魔族は、大好きな甘味の素となる砂糖の種類にも興味を示しているらしい。見るもの聞くもの全てが珍しくてたまらないようだ。

 後方では、慣れたものなのだろう。温和な笑みを浮かべたミュルソスが、時折人の目を盗みながら、周囲に気づかれぬよう小さな転移門を開いて、少しずつ預けられた荷物を魔界へと送っているらしい。どれだけたくさんの買い物を続けようと、両手で抱えられる以上の荷物にならない不思議は、彼が上位魔族であるが故だろう。


 ワクワクしながら、ロォヌの後をついて市場の店を回っていると、彼女は最後に、人気の少ない路地裏の方へと足を向けた。


「あれ……どこに行くのかな」

「裏路地にも、お店があるのでしょうか」


 ここは、人と金が集まる街だ。一本路地を裏に入れば、急に薄暗くなり、治安はグッと悪くなる。

 もちろん、いくらロォヌやミヴァがアリアネルのためだけに生み出された特殊な魔族とはいえ、多少腕に覚えがある程度の人間如きに遅れをとるようなものではない。

 後ろには、上級魔族のミュルソスもいるのだ。荒事に巻き込まれる被害を心配するようなことはないが、下手に騒ぎを起こして、街の役人に目をつけられでもしたら面倒だろう。

 ここに、都合よく記憶を書き換えてくれるゼルカヴィアはいないのだから。


「この先にあるのは、ロォヌのお気に入りの店ですよ」


 訝しむ二人に、後ろから控えめに紳士が声をかける。


「どこからどう見ても、怪しい店構えの露天に座る老婆から、調味料を購入するのです」

「調味料?」

「ロォヌ曰く、“旨味”を足す調味料なのだとか。……固形物を愉しむ習慣を持たない私には理解が及びませんが、それを足すだけで、食事が美味に感じられるらしいですよ。肉や魚といったメイン料理に使われるらしいです」

「へぇ……!知らなかった……!」


 ずんずん進んでいくロォヌを眺めて、感心する。路地裏は狭い。それも、店が露店だと言うならば、集団で押し寄せることもないだろう。

 見ていると、ミュルソスの言葉通り、路地裏で無造作に店を広げている露店に、ロォヌは迷うことなく向かっていき、店員らしい老婆の前に座り込む。

 そのまま、勝手知ったる様子で代金を払い、大きな瓶詰めの調味料を購入すると、もう用はない、と言わんばかりに、振り返ることもなくアリアネルたちのもとへと帰ってきた。


「もう、お買い物はいいの?ロォヌ」


 向かってくる馴染みの魔族に声をかけるが、返事がない。

 少し虚ろな瞳で、心ここに在らずな様子だ。


「……ロォヌ?」

「はっ……!?あ、アリアネル……」


 目の前で手を振って語りかけると、やっと我を取り戻したらしい。ロォヌはパチパチと何度も瞬きをして少女を見た。


「お買い物。……もういいの?って聞いたんだけど」

「あ……はい。もう大丈夫です。目当てのものも、無事に買えましたし」


 言いながら、大事そうに抱え込んだ瓶を撫でる。

 

「それが“目当てのもの”?」

「はい。これがあるのとないのとでは、全く仕上がりの味が違うんですよ?」

「へぇ……“旨味”を足す、って聞いたけど、どうやって使うの?」

「私がよく使うのは、肉や魚を使ったメイン料理です。スープなどに入れてもいい、と聞いたので、昔一度だけ試してみたんですが、どうやらこの調味料は水溶性ではないようで、ざらざらとした食感が残ってしまうのです。液体との相性は悪いので、岩塩や粗挽きのスパイスなどと一緒に振りかけたり、食材の中に練り込んだりして使うようにしているのですよ」


 言いながら、瓶を包んでいた布をそっと外して、瓶の中身を見せる。


「わ……!すごい、なにこれ……!」

「虹色……ですか?光に反射しています……!」


 アリアネルとミヴァが吸い込まれるように瓶の中身を覗き込むのを、ロォヌは笑って見ている。

 瓶の中には、最初の店でロォヌが買っていた岩塩を思わせる、ゴツゴツとした七色に光を反射する不思議な物体が数個入っていた。


「不思議な色でしょう?これを、岩塩にするようにして、ガリガリと削って粉末状にするのです。柔らかい素材なのか、塩よりも細かい粒になるので、味付けの濃いメインディッシュで使う分には、あまり存在感を出すことなく、本当に隠し味程度に控えめに、しかししっかりと味を整えてくれるので、大変重宝しているのですよ」

「へぇ〜……私、ずっとロォヌの作ってくれたご飯を食べてるけど、こんな調味料が使われてるなんて知らなかった」


 しげしげと眺めながら、感心したようにアリアネルは呟く。

 

「これで私の買い物は最後です。お待たせしてしまいましたね。帰りましょうか」


 魔界では爬虫類を思わせる瞬きをするロォヌは、人間界では人に擬態した状態で、違和感なく瞳を緩めて告げる。


「アリアネル嬢。せっかく市場まで来たのです。貴女は何か買い物はありませんか?少しくらい寄り道しても、怒られはしないでしょう」

「えっ……い、いいのかな……?」


 ミュルソスの申し出に、うずうずしながら答えると、紳士はいつも以上に目を垂れさせて、そっとアリアネルの手を取る。


「大丈夫でしょう。あなたのお父上は、最近はしばらくご不在と聞いていますし、ゼルカヴィア殿も今日は忙しいと聞いています。少しくらい羽目をはずしても大丈夫ですよ。何かあったら、私も一緒に怒られて差し上げますから」


 言いながら、少女の手のひらを上に向けさせると、一、二度、人差し指を軽く振る。

 その途端、コロコロっとアリアネルの掌に眩い金貨が転がり出た。


「あっ!ミュルソス、また――!パパに怒られちゃうよ!?」

「大丈夫ですよ。貴女のお父上は、貴女への小遣いだといえば、特に咎めることはありませんから」


 ニコニコとした笑顔は、もはや姪っ子に小遣いを与える財布の紐が甘い親戚のようだ。


「もう……買い物が終わったら、ちゃんとお釣りは返すからね!……ミヴァ、一緒に行こう!」

「はい、アリアネル様!」


 期待に満ちた瞳でアリアネルを見ていたミヴァは、元気よく返事をする。

 仲良し二人組のショッピングは、和気藹々と和やかな空気を終始纏っていた。

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