第57話 【断章】魔族ゼルカヴィア
焦った様子で、しかし浮かんでくる笑みを堪え切れないような奇妙な顔をしながら、「こ、構内の見学の前に、準備をしてきます」と言って教師が退室したのを見送ってから、アリアネルははぁ、とため息を吐く。
「おや。どうしましたか、アリアネル」
「どうもこうも……初めて、ゼルってやっぱり魔族なんだなぁって思ったよ」
呆れたような嘆息に、くくっとゼルカヴィアは喉の奥を鳴らして可笑しそうに嗤う。
「今更、何を。……いや、なかなかに美味な瘴気を振り撒いてくれる人間でした。途中、愉悦の笑みを堪えるのが大変でしたよ」
「あのね……たまたま、欲に塗れた人だったから良かったものの……もし、賄賂とか効かない人だったらどうしてたの」
ふるふる、と頭を振って苦言を呈す。
今頃、初老の男は掌に握り込まされた数枚の金貨を数えて財布に入れながら、瘴気を振り撒いていることだろう。
「まさか、魔王様の右腕たる私が、そんな杜撰な計画を立てるとでも?」
「え?」
「生徒たちの授業構成は事前に把握しています。今日は、特待クラスで大規模な魔法試験があるようです。魔法が使える教師――すなわち、幼い頃、天使に加護を付けられたことのある教師は、皆それに出払っている。その時点で、見学に対応出来る者として残っているのは、天使の加護がない――つまり、魂の善性は保証されていない人間です」
「な……」
「そして、事前に学園に通達した内容には、アリアネルについている加護が正天使のものであるとは告げていません。何かの加護がついているが、天使が誰かまではわからない、というテイですね」
「なんで……?」
「正天使は、人間界で最も威厳があり、尊敬されている天使ですよ?その加護がついている――それも、シグルト・ルーゲルがいるというのに、ともなれば、審議を見極めるためと言って、聖騎士を育成するに相応しい人格者が応対してくる可能性が高まるでしょう」
肩を竦めてあっさり言い放つゼルカヴィアに、言葉を失う。
「今回の肝は、聖騎士を養成するにはふさわしくないと、あまり授業を担当させてもらえないような『余りもの』の教師を引っ張り出すことでした。教師のリストを見て、そうした教師が最も空いている時間を狙い、見学を申し出た――ということですよ」
「は、はぁ……」
「まぁ、いざとなれば、私の魔法でどうとでも記憶を弄れるのですが、一つ弄ると、それ以外の箇所で、どこでどんな綻びが出るかわかりませんから。なるべく、使わないに越したことはありませんね」
「それは、そうだろうけど……」
困った顔で、アリアネルは言葉を続ける。
「でも、いいの?……噂、とか言ってたけど……結界のこととか、出自のこととか――だ、大丈夫なの?」
「あぁ……問題ありませんよ。全部、私が流した噂ですし」
「えっっ!!!?」
さらりと暴露された内容に、思わず素っ頓狂な声を上げて振り向く。
にこり、と魔王の右腕たる上級魔族はいつもの笑顔を向けた。
「何のために下準備に四年も掛けたと思っているのですか。街の人間と、出入りする人間たちに、それぞれ違和感がない様に、少しずつ記憶を操作しながら、もっともらしい噂話や与太話を流布して、真実を煙に巻くために決まっているでしょう」
「な――」
「架空の『旦那様』については――王都の有力貴族だとか、王家の血を引く者だとか、はたまたどこかの地方都市の成金商人だとか……色々流しましたね」
「お、王家って……!」
「いいのですよ。その中でも有力な噂は、そういう手の届かないくらいの富豪が『訳アリ』の子供を匿うために作った屋敷――というものでしょうか」
「わ……訳アリ……?」
「王家や貴族といった話であれば、使用人や地方貴族に手を出したとか……成金商人であれば、恋をしてはならぬほどの高貴な女性に手を出したとか……まぁ、どちらにせよ、身分違いの『過ち』によって生み出された高貴な血筋を引く御落胤が住んでいる、というのが通説ですね」
もはや、呆れかえって言葉が出ない。
あんぐりと口を開けてゼルカヴィアの涼しい顔を見つめるが、どうやら生粋の魔族たる彼には、少女の非難めいた視線など全く気にならないらしい。
「そ、そっか……それで、さっき、あっさり納得してくれたんだね……」
「私は、何も明言していませんよ?ただ――まぁ、本当に貴女が、王族が庶民に手を出して生まれた子供だとしたら、素性を絶対に明かせないと突っぱねるこちらの事情も納得できるでしょうし、この世界では非常に高価な金貨を数枚握らせて『それ以上追及するな』と凄まれることも納得でしょう。ただ、噂の信憑性が高まっただけです。――まぁ、面白おかしく、彼がいたるところで吹聴してくれれば、なおのこと助かりますね」
「う、うぅん……」
魔族の魔族たる所以ともいえるほど、人を欺くことを全く気にしていない様子に、アリアネルは賛同しかねて口を噤む。
おそらく、あの教員も、正天使の加護付きであることが明らかなアリアネルの入学を本気で拒否するつもりなどなかっただろう。
だが、気になる噂が流れていて、それを明らかに出来る絶好の機会が現れたので、立場を振りかざして追求してみただけだ。
その辺りから、人間の醜い欲に塗れた瘴気が漂い始め――きっと、金貨を握らせたあたりからは最高潮にゼルカヴィアを喜ばせる瘴気を振り撒いていたことだろう。
「貴女も、学園に入ったら今の話に合わせるのですよ」
「えぇ!!?」
「当然でしょう。……まぁ、積極的に嘘を吐けとは言いません。貴女は嘘が下手ですし、すぐに顔に出ますからね」
「ぅっ……」
「興味本位で聞かれたら、困ったように儚げに微笑んで『お父様は殆ど家に帰ってこないから、何をしていらっしゃるかわからないの』とでも言っておきなさい。聞いても教えてくれない、という一言も添えて」
「そ、それでいいの……?」
「知らない、と言っているものをそれ以上聞けないでしょう。どれほど重ねて聞かれても、知らないのは事実でしょう」
「そりゃ……そんな人、いないもんね……」
「そうです。後は勝手に聞いた人間が妄想して噂を広めてくれます」
「うぅ……あんまり気は進まないけど、わかった……」
呻くようにアリアネルが答えると、しばらくして扉がノックされた。どうやら、教員が帰って来たらしい。
「では、行きましょうか。お嬢様」
息をするように執事の仮面を被ったゼルカヴィアに苦笑して、白い手袋に包まれた手を取ってソファから立ち上がるのだった。
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