第77話 編入初日①

 その日は、朝から教室中がそわそわしていた。


「どいつもこいつも皆浮かれちゃって……ばっかみたい」


 半眼でため息を吐きながら、マナリーアは吐き捨てる。

 春を目前にした始業前――特に男子を中心に、ざわめく生徒たちの話題はたった一つ。


 ――かつて、一度だけ姿を現した、天使のような美少女がついに編入してくるらしい。


「……アンタもよ、シグルト」

「なっ!!?」

「興味ない振りしても意味ないわ。鼻の下、伸びてる」

「っっ!!??」


 隣の席でバッと慌てて腕で顔半分を覆って隠す幼馴染に、マナリーアは再び大きなため息を吐いた。


(何が天使よ。何が美少女よ。あの山の上のお屋敷の一人娘――それだけで、皆、勝手に期待してハードル上げてるだけでしょ、どうせ)


 王家の血を引く存在だとか、王都の上級貴族の出身だとか――それはそれは言いたい放題な噂は、この街で一年も暮らせば嫌でも耳に入ってくる。


(この前までは、皆私が一番かわいいって言ってたくせに――!)


 マナリーアは、腐っても第一位階の治天使の加護を賜る存在だ。

 天使は皆、美男美女が好きなのか、大抵加護を付ける子供らの外見が整っていることが多いのは周知の事実だが、位が高い天使の加護を付けられた子供は、下位の天使の加護を持つ子供よりもさらに美しいと言われることが多い。

 当然、天界の頂点ともいえる第一位階の天使の加護を賜るマナリーアも、幼いころから容姿に関してはうんざりするくらいに褒められ続けてきた。

 シグルトのように、高貴な血筋を思わせる金髪碧眼ではなく、平民の出身であることをこの上なく思い知らされる栗色の髪と、珍しくもない若草色の瞳だったが、流れるような長髪はいつも手入れを欠かさないおかげか艶々していたし、瞳だって大きく自然に潤んで愛らしいと評判だった。

 今までの人生で、マナリーアは、自分以上の美少女など見たことはない。

 

(シグルトまで、急に色気づいてデレデレしちゃって――!)


 クラスメイトらの掌返しにも辟易するが、幼少期からの馴染みであるシグルトが、「天使と出逢った」と血迷ったことを言ったあの日からずっと、次に天使に逢えるのはいつになるかと指折り数えているのも気にくわない。

 

(何よ何よ、女なんてよくわかんないって、いつもぼやいてたくせに……!)


 女の方が精神年齢が高い、と言ったのは誰だったろうか。思春期に足を踏み入れ始めるころには、学業も体術も魔法も、全てにおいて好成績を収める血統の良いシグルトは、同級生の少女らの関心を引くようになっていた。

 男児との精神年齢の発育スピードの差なのかはわからないが、シグルトは、今まではそんな素振りを見せなかった女生徒が急に色目を使って無意味に距離を詰めてくることに困惑し、次第に女生徒とは意識的に距離を取るようになっていった。


 ただ一人――「お前だけは変わらねぇから、安心だわ」と言って、マナリーアとは変わらない関係を築いていたのに。


(急に、何!?なんなのよ!恋愛の”れ”の字も知らなかった朴念仁が、毎日意味もなくそわそわそわそわ――!)


 例の美少女が編入する日程が決まった、という噂が駆け巡った日は、本当に滑稽としか言いようがなかった。

 今までは顔を洗うときくらいしか覗き込まなかっただろう鏡を何度もチェックするようになり、「お……女って、今、どんな話題が好きなんだよ」などと頬を染めながら下手くそすぎる探りを入れて来たり。


(絶対、絶対私の方が可愛いし、私の方が優秀だし、私の方が強いはずよ――!)


 学年一の美少女、という己の立ち位置を脅かすまだ見ぬ存在へメラメラと闘争心を燃やし、ぐっと拳を握り込む。

 朝礼の時間に、編入生が紹介されるという話は聞いていた。

 全力で品定めをして、鼻で笑ってやる――


 ――そう息巻いていたマナリーアが、圧倒的格差を見せつけられ、膝から崩れ落ちて敗北を認めるのは、朝礼が始まる鐘が鳴るまでのわずかな期間だけだった。


 ◆◆◆


 その少女が教室に一歩足を踏み入れた瞬間――おそらく全員が、同じ感想を頂いたことだろう。


(うっ……ま、眩しい――!)


 室内だというのに、まるで屋外で太陽を直視したような錯覚に陥り、打ちのめされる。

 

「あ~……自己紹介を」

「はい。……初めまして。アリアネルと言います。よろしくお願いいたします」


 教師に促されて控えめな自己紹介をした少女は、ふわりと微笑を湛えて優雅にお辞儀をした。

 ”美”という概念が拳を振り被って暴力的に襲い掛かってくるかのような衝撃に、教室内の男女問わず一瞬で心を奪われてしまったことを悟る。


(なによ――何よ何よ何よ!!!?聞いてないわよ!!?こんな――こんなっ……!)


 マナリーアはわなわなと手を震わせ、声にならない声を胸中で上げた。

 上流階級の出身という噂を彷彿とさせるような上品な仕草も、魅了の魔法を使っているのではないかと疑いたくなるほど強制的に聴衆の心臓をときめかせる笑顔も、どう見ても聖気の塊としか思えぬほど神々しい透明感のある善良なオーラも――高すぎた前評判を軽々と超越した美少女は、ゆっくりと視線を巡らせ、教室内を一望する。

 可憐な花弁を思い起こさせる印象的な竜胆の瞳は、初めての『学園』の授業風景に、興味深そうな光を宿していた。


「席は基本的に自由だ。どこでも、空いている席に座ればいい」

「はい、先生。えぇと……じゃあ……」


 きょろ、と左右に視線を巡らせ、目当ての人物を探す。

 少女がこの学園に来た目的は、たった一つだ。


(金髪――金髪で、蒼い目の――パパとか天使みたいな外見をした――ぁっ、いた!……あ、でも、急に勇者の隣を希望したら怪しく思われる……?)


 少し悩むように、少女が今にも折れそうな細い指を口元に当てて考える素振りを見せた瞬間、ザッ!と教室中のいたるところで勢いよく手が挙がった。


「お、俺の隣空いてるぞ!」「いや、ぼぼぼ僕のところに!」「こっちは女子もいるから、このあたりに座れよ!」「ちょ、お前、席詰めろって!」「男子、色めき立ちすぎ!キモっ!」「アリアネルちゃん、こっちに来なよ!男子の言うことなんて聞かなくっていいって!」


 俄かにアリアネルの争奪戦が始まり、ガヤガヤと騒がしくなった教室に、アリアネルは驚いたようにぱちぱちと眼を瞬いた。


「え……っと……」


(加護がついてたら学費も入園料も全部免除される特待クラスで、編入生ってのは珍しいから……かな……?)


 戸惑いながらチラリと横目で教師を見上げると、中年の屈強な男性教師は、腹の底から疲れたため息を吐いた。


「お前が決めない限り、騒ぎが収まらないだろう。どこでもいいから決めろ」

「あ、は、はい……えぇと、それじゃ――」


 お祭り騒ぎの様相を呈している目の前の光景に面喰いながらも、アリアネルは教師に尋ねる。

 

「私と同じ、正天使の加護がつけられた生徒がいると聞きました。どなたですか?」


 急にシグルトを名指しして距離を詰めるのではなく、怪しまれないように理由を付けて、自然な出会いを演出しようと教師に話を振ると、「あぁ」と教師は頷いてすぃっと指をさした。


「あれだ。……名前は、シグルト・ルーゲル。ルーゲル一族は知ってるか?」

「はい。あの『竜殺しの英雄』の絵本で有名な、一族ですよね……?」

「そうだ。……よかったな、シグルト。噂の編入生はお前の一族のこと知ってるらしいぞ」


 ニヤリと片頬を歪めて笑いながら茶化す教師の言葉を受けて、指さされた金髪碧眼の少年の頬がサッと赤く染まる。


(……やっぱり、あの子が『竜殺し』の一族の出身の勇者なんだ)


 ゼルカヴィアが仕入れていた事前情報に誤りがなかったことがわかり、ほっと胸をなでおろす。

 

「では……シグルトさん。お隣、よろしいでしょうか」

「っ……ももも勿論!」


 バッと慌てて隣に置いていた荷物を床に落とすようにして席を空けた少年の元に、にこりと笑いかけて足を踏み出す。

 天使の隣を確保した幸福者に、一斉に冷やかしや羨望の声が投げかけられた。

 

「はじめまして。アリアネルです。……以前、帽子を拾ってくれましたよね」

「あ、いや、そんな――っていうか、敬語なんて、いいよ。同い年だし……名前も、呼び捨てで」


 緊張した様子でぐっと唾を飲み込んだ後、後ろ頭を掻きながらそんなことを言うシグルトに、少し驚いたようにアリアネルは瞬きをした。

 長い睫毛が何度も上下し、風を贈る。


「?……な……なんだよ……変なこと言ったか……?」

「いえ……」


 上流階級の『お嬢様』を演じるために、キャラづくりの一環として丁寧な言葉遣いを心掛けていたのだが――


(どうしよう……ここで断ったら、変、だよね……?パパやゼルの役に立とうと思ったら、勇者には信頼してもらわなきゃいけないし……)


「ルーゲル一族は、領地を王から与えられ貴族位を持っていると聞いていたので――随分、気安く話してくれるんだな、と……」

「あぁ……領地って言ってもド田舎の中のド田舎だからな。あんな辺鄙な痩せた土地で、気取った社交なんか何の意味もない。代々、当主自ら剣の腕を磨いて前線に立つような、粗野な一族なんだよ。お上品な会話なんて、しろって言われても無理だ」

「そう……なんだ」


 恐る恐る、敬語を崩して返事をすると、少年はくすぐったそうに――嬉しそうに、ニカッと笑みを見せた。


「おぅ。よろしくな、アリアネル」

「う、うん。よろしく、シグルト」


 こちらの素性を疑うことなど全く考えていないらしい純粋な笑顔を向けられ、ズキリと胸の奥が痛む。

 アリアネルは少し困ったように、ゆるりと微笑を湛えて答えるのだった。

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