第76話 ミヴァ④
魔王がアリアネルの前に姿を現したのは、それから約ひと月後――アリアネルの誕生日を翌日に控えた日だった。
「パパ!」
一ヶ月ぶりに見る父の姿に、アリアネルは歓声にも似た声を上げて駆け寄る。
「お帰りなさいませ、魔王様」
「俺が不在の間も、変わりはなかったか」
「はい。重要事項は適宜
「ならばいい」
右腕であるゼルカヴィアと短く業務連絡を済ませてから、魔王は駆け寄ってきたアリアネルへと眼を落とす。
「お前の人間界での活動に支障が出ないよう、新しい魔族を造った。……来い」
後ろを横顔だけで振り返って、顎で示すように指示すると、その後ろから小柄な影がひょこっと現れた。
アリアネルと変わらないくらいの身長をした、少女型の魔族。
頭には猫を思わせるふさふさとした耳がついていて、背後には長い尻尾がゆらゆらと揺れていた。半獣の姿から察するに、魔族としての階級は中級程度らしい。
「わ――!猫ちゃんだ……!」
絵本の中と、街で遠目に見かけたことしかなかった愛らしい小動物を思い浮かべ、アリアネルは感動の声を上げる。
成人型しか造ったことがないはずの魔王が手掛けた、初めての少女型の魔族は、半獣で猫顔という特徴はあれど、魔王の作品に相応しく、他の魔族らと同様整った顔をしている。
愛嬌のあるくりっとした少し釣り目がちの大きな瞳に見つめられ、きゅんっとアリアネルの小さな胸が高鳴った。
「かわいい!」
ぎゅっと胸を鷲掴みにされるような愛しさが募り、思わず少女に抱き付く。
「ひゃ――!」
「可愛い!可愛い、かわいい!ねぇ、猫ちゃん。お名前はなんて言うの?」
すりすりと頬を摺り寄せながら全力で好意を示すアリアネルに戸惑う少女型の魔族は、恐る恐る答える。
「ミヴァ、と言います」
「ミヴァ!っ、可愛い!私はね、アリアネルって言うの」
「存じています。……アリアネル様」
ほんのりと頬を上気させて、ミヴァと名乗った猫顔の少女は噛みしめるようにアリアネルの名を呼ぶ。
「魔王様に命を頂いてからずっと――ずっと、ずっと、貴女にお会いしたかったのです」
「本当――!?私も、ミヴァの話を聞いてから、すっごくすっごく逢いたかったよ!」
少女たちが抱き合いながら笑顔で戯れる姿を、ゼルカヴィアが微笑ましく見守っていると、魔王は静かにフンと鼻を鳴らした。
「お前のために造った魔族だ。お前に尽くし、お前を助けるように造っている。うまく使って、役割を果たせ」
「うん!ありがとう、パパ!大好き!」
ミヴァを離して一か月ぶりの父に駆け寄り、長身に飛びつきながらちゅっと頬に口付けを落とす。
「……重くなったな」
「大きくなったんだよ!」
慣れた様子で久しぶりにアリアネルの身体を支えた魔王は、興味深げに抱えた少女を眺める。キラキラと眩しい笑顔が煌めいていた。
「良かったですね、アリアネル。魔王様から誕生日プレゼントを頂ける存在など、世界広しと言えど、貴女以外にいないでしょう」
「誕生日プレゼント――!?パパ、本当!?」
ぱぁっとアリアネルの顔が輝くと同時に、魔王は顰め面を返す。
「そんなつもりはない。たまたま時期が重なっただけだ。……ゼルカヴィア。余計なことを言うな」
「おや。そうでしょうか。てっきり、彼女の誕生日に間に合わせるために急いで造られたのかと思っていましたが」
飄々と言ってのける右腕に、魔王はさらに渋面を刻み込む。
「何が誕生日だ。そんなものの、何がめでたいものか。――下らないことを言っている暇があったら、さっさと仕事に戻れ」
冷たく言い放って、アリアネルの身体を床に降ろすと、くるりと魔王は背を向けてしまう。
相変わらずの塩対応だが、抱き付いたときに支えてくれる逞しい腕も、突然のキスを当たり前のように許してくれる優しさも、全てが不器用な魔王なりのアリアネルへの愛情だとわかっている。
魔界の王たる魔王に、そんな無礼を許してもらえるのは、アリアネル唯一人だけなのだから。
「パパ!本当に、ありがとう!大好き!」
去っていく背に声をかけて、アリアネルは嬉しそうに笑顔をはじけさせたのだった。
◆◆◆
魔王の不在時は、全てゼルカヴィアが仕事を引き受けていたが、どうしても魔王本人にしか出来ないことも存在する。
それが、魔王への謁見の対応だ。
戻って来てから、時間を惜しむように分刻みのスケジュールで緊急を要する謁見をこなし終わり、魔王は大きく息を吐いた。
「お疲れ様でした。休憩を入れますか?」
「あぁ。何度経験しても、これは骨が折れる」
当然ながら、命の創造は簡単なことではない。
複雑な属性を付与する場合や、高位の存在を創造するときは、それだけ時間も手間もかかる。
もう何千年も一緒にいれば、魔王が命を創造するために一定期間地下に籠ることなど珍しくもないことであり、その間の仕事を引き受けることもゼルカヴィアにとっては慣れたものだったが、やはり復帰後に瞬間的に多忙になることだけは、何度経験しても慣れないらしい。
「花茶を持ってこさせますか?」
「いや……外の空気を吸いに行く」
ゆっくりと玉座から立ち上がり、魔王が歩き出すのを見て、ゼルカヴィアもそっと後ろに付き従う。
魔王がこう言うときは、十中八九、”太陽の樹”を見に行くのだろう。
「大樹は、今も変わりないですよ」
「当然だろう。あれは、魔界の瘴気を吸って生きる、いわば、植物型の魔族だ。魔界から瘴気が無くならない限り、変わるはずもない」
謁見の間を出て廊下へと足を踏み出しながら、魔王は冷静に答える。
無骨な岩肌ばかりが広がり、太陽が出ないこの魔界では、本来植物など育つはずがないが、”太陽の樹”はその固定概念をあざ笑うように、何時でも枯れた大地にどっしりと根を張り、幹を伸ばして今日も変わらず葉を茂らせているのだろう。
「そうわかっていらっしゃるのに、毎度足を運ばれるのですね」
ゼルカヴィアは、少しだけ苦笑を浮かべて告げた。
「……変化を観察しているわけではない」
「ほう。……では、何故?」
「――――……」
魔王は、その当然ともいえる問いかけに、すっと口を閉ざした。
(何故――か。そんなことは、俺自身が知りたい)
”無駄なこと”を嫌う性分の自分が、何故か、あの青々と葉を茂らせる大樹を見る時間を好む理由――
もう何千年も、明確な答えを導き出すことが出来ていない。
(俺が造った記憶のない魔族――ならば、当然、あれを造ったのは造物主なのだろう)
造物主との記憶に、楽しく愉快だったものなどないはずだった。なるべくなら、もう二度と関わり合いになりたくないとすら思っている。
冷静に頭で考えれば、造物主の気配を感じさせるものになど、近寄りたくはないと思うはずなのに――
(あれを眺めると、何故か心が落ち着く。遠い昔に忘れたはずの、穏やかな日常を思い出すような――もう戻っては来ないそれを懐かしみ、焦がれ、切望するような――)
太陽の祝福が降り注ぐ天界には、目に痛いほどの豊かな自然が設けられ、見渡す限り植物が生い茂っていた。
寿命のない愛する命天使の心を喜ばせるためにと造られたそれらは、地上の花々と違い、決して枯れることのない存在として、造物主に特別に生み出されたものだった。
それは、間違いなくこの世界に存在する中で最も美しい虹色の光景だったはずだが、命天使として生きていた当時、それらは彼の心を和ますことはなかった。
唯一人を喜ばせるためだけに造られた楽園――造物主の身勝手な愛の象徴ともいえる天界の光景は、魔王の眼にはモノクロのつまらないものにしか見えなかったのだ。
そう考えれば、花だの樹だのといった天界にいた頃を思い出させる植物など、本来視界に入れることすら煩わしく思うべきなのに――足繁く通っては心を和ませるのは、何故なのか。
造物主と離れ、ほっとしていたつもりだったが、もしや心の奥底では、自分はあの天界で過ごしていた日々に未練があったのだろうか。
そんなことを考えては、頭を振る。
そのたった一つの大樹が、何の意味があって造られたのか、魔王にはわからない。
だからいつも、きっと何かの意味があるはずだと考え、遠い昔に想いを馳せて――
「……別に、良いのではないでしょうか」
「……?」
押し黙ったまま答えを返さない主に、ゼルカヴィアは静かに進言する。
「別に、この世の神羅万象全てに、何かしらの理屈が無ければいけないというものでもないでしょう。……大した理由などなくても、あの大樹を眺めたくなる理由など、『なぜか心が落ち着くから』で、良いのではないですか?」
「フン……随分とわかったような口を利く……」
「申し訳ございません」
クス、と小さく笑いを漏らす右腕は、昔からこちらの考えを見透かしたように振舞うから、面倒くさい。
居心地が良くて、他の部下に右腕を任せるつもりが無くなるくらいに。
「そう言えば、ミヴァという魔族――あれは、とても興味深い個体ですね」
ゼルカヴィアは話題を変え、今頃アリアネルと一緒に部屋でキャッキャと笑いながら時間を過ごしているであろう猫の要素を取り入れた魔族を思い出す。
「当てて見せましょうか。――魔王様は、あの個体を作る時、『子供』とはどういう振る舞いをするか……そう考えてお造りになりましたね?」
「……だったら、何だ」
「いえ、別に。……ふふふ。とても興味深いです」
「気味の悪い奴だ」
どうやら、ここでも魔王の考えを読んでいるようだ。
魔王はその整った顔を軽く顰めて不機嫌になるが、ゼルカヴィアはどこ吹く風といった様子で気づかぬふりをした。
(まったく――十年以上前の魔王様からは、想像が出来なかったことですよ)
少し観察するだけで、ミヴァがどんな性格をしているのかはすぐにわかった。
くるくるとせわしなく変わる表情。まっすぐな感情表現。万人に愛されるために生まれてきたと錯覚するほどの愛嬌の塊。子供型の外見とは少しギャップのある聡明な頭脳。立派な魔族であろうと少し背伸びをしているくせに、菓子を口に入れると蕩けるような笑顔を見せて外見年齢相応の幼さを見せてしまうほどに、甘味には目がないらしい。
そして何より――魔王への盲目的な愛を、脇目もふらず熱心に語る姿。
(全く以て、誰かさんを彷彿とさせる要素ばかりではないですか)
もし、この予想が当たっているとしたら――魔王は普段、アリアネルのことを、あんなにも愛くるしい愛玩動物のようだと認識しているのだろうか。
口にしたら間違いなく叱責されるであろう考えを飲み込んで、ゼルカヴィアは意味深に笑うだけに留めるのだった。
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