第75話 ミヴァ③

「――――え……?」


 虚を突かれたような声を漏らす少女を見て、ゼルカヴィアは苦笑する。

 思い出すのは、魔王が何度も眉間に皺を寄せて熟考している姿。

 何度も、何度も――アリアネルが人間界で倒れて帰ってきた報告をしたときに何かを書きつけた紙に、付け足すようにメモを書いては考え込んでいた。


「貴女が以前、学園で倒れたことがあったでしょう。私が考えた対策は、単純に貴女を頻繁に人間界に通わせて、少しでも聖気に慣らさせるという面白みのない手法でしたが――魔王様は、あろうことか、聖気に満ちた学園の中でも瘴気を自在に生み出せる魔族を、貴女と一緒に潜り込ませる、という策をお考えのようです」

「えぇ!!?」


 仰天して思わず声が裏返る。

 ゼルカヴィアはなおもおかしそうに笑って続けた。


「さすがに、天使の加護まで偽ることは出来ませんから、一般クラスへの編入となるでしょうが――休み時間ごとに特待クラスに行って、貴女の傍で瘴気を生み出しては体調を安定させる係を担わせようとお考えのようですよ」

「そ……そんな――」

「勿論、無から瘴気を生み出す魔族など前代未聞。――どころか、学園への編入という作戦を違和感なく遂行しようと思えば、外見は子供型で作らねばならないでしょう。いずれにせよ、魔王様にとっては初めての試みだと推察されます」


 目を白黒させて混乱しているらしい少女に笑って、頭を撫でながら優しく告げた。


「それもこれも、全て、貴女の人間界での体調を慮ってのこと。そして――魔王様に、『友人が欲しい』と言ったそうですね?」

「確かに、い、言った、けど……でも、それはっ……」

「友が欲しいと言っても、やがて敵となる勇者ら一行と親しくなれば、貴女が将来苦しむかもしれない。そうお考えになったのでしょう。瘴気を生み出す魔族を、貴女の同世代の外見で造ろうとしたのは、貴女の友人としての役割を兼ねることも考えてのことでしょうね。口では色々と言っておきながら――随分と過保護な”パパ”でしょう?」

「そっ……そんな――そんな、こと――本当に、パパが――?」


 へにょ、とアリアネルの眉が下がる。喜びと戸惑いが溢れて、じわりと涙腺が緩んだ。


(まぁ、どこの馬の骨ともわからぬ同世代の男たちが、純粋無垢なアリアネルに下心を隠して友人として近づこうとするのを防ぎたい、という目論見もあるのかもしれませんが)


 ゼルカヴィアは魔王の複雑な親心を推察して、苦笑してから純粋に喜んでいるらしい少女へと向き直る。


「だから、アリアネル。貴女は何も心配することはないのです。貴女のまっすぐでひたむきな”無償の愛”は――ちゃんと、魔王様に届いています」

「で、でも――」

「魔王様も、不器用な方ですから。ご自身に自覚があるかどうかはわかりませんが――この魔界で、魔王様と最も長く時間を共にした者として断言します。貴女は、あの氷のような心を持った魔王様に”愛”を届けて――あの御方の中に、”愛”の芽となる何かを芽生えさせていますよ」


 じわじわと喜びがこみ上げてきたのだろうか。ぽろぽろと涙をこぼす少女に、ゼルカヴィアはすっと花瓶に活けられた花を一つ取り、髪に飾ってやった。


「私も、貴女と同意見です。……あのお方は、”愛”など理解できない、誰にも心を寄せないと頑なな態度を貫いておられますが、それは魔王様がそう思い込んでいらっしゃるだけのこと。”魔王”や”命天使”としての『役割』に縛られ、そうあるべしと己を律していらっしゃるだけで、その本質は、誰よりも優しく、慈しみ深い御方だと思っています。だからきっと――貴女のような存在が、”無償の愛”を注ぎ続ければ、魔王様も、その本質を思い出す日が、来るかもしれません」

「ゼル……」

「だから――不器用なあの方に愛想を尽かさず、辛抱強く愛を注いでくれませんか。何度拒絶されても、こうして花を贈り、笑顔を届けて、『大好き』だと伝え続けてくれませんか」


 眼鏡の奥の深緑色をした瞳が、少しだけ揺れる。


「魔王様と共に歩んで幾年月――辛抱強くない私には、ついに成し得なかったことですから」

「ゼル……?」


 複雑な色を孕んだそれは、微かに苦しそうに見えた。

 親代わりの青年が、そんな表情をするところを見たことがなくて――そして、もう一秒も見ていたくなくて――アリアネルは慌てて言葉を紡ぐ。


「だっ、大丈夫だよ!」

「アリアネル?」

「パパは、ゼルのこと、大好きだよ!ゼルが――ゼルが、ちゃんと、パパのこと『大好き』って思ってること、知ってると思う!」


 先ほどまで流していた涙をかき消して、たった十年しか生きていない少女が、万年に近い年月を生きている青年を一生懸命に励ます姿は、善性の塊のような魂をしているせいなのか。

 

「いつも、パパはゼルのこと気にかけてるよ!昔、私が新月の夜に、寂しくなってロォヌとオゥゾと一緒にいたら、『お前の不在が長いと、ゼルカヴィアが心配するだろう』って言って早く帰れって怒られたことあるし――パパに何か怒られるときって、『ゼルカヴィアに迷惑をかけるな』って言われることすごく多い気がする……!」

「――――……」

「あと、パパ、ゼルのこと『無礼』だって言ってた。――そんなことするの、私とゼルだけだって言ってた」

「それは……褒め言葉ではないような――」

「あっ、ち、違うの!パパ、それ言ってた時――笑ってたの!」

「魔王様が……?」


 怪訝な表情で問い返すゼルカヴィアに、こくこく、と何度も頷く。


「第一、私に『家族』の温かさを教えてくれたのは、ゼルでしょう?」

「私は――」

「ゼルがたくさんの”無償の愛”をくれたから、私もパパにそれを精一杯伝えられるんだよ。だから、私がパパに言っている『大好き』は、そもそもゼルから教えてもらったもので……えっと、えっと……」


 手をバタバタとさせながら、必死に拙い言葉を紡ぐ様は、どこか滑稽で、自然と口の端に笑みが浮かんだ。


「ぅ……ゼルのいじわる。私は真面目に言ってるのに……」

「いえ、すみません。育てた子供に励まされるなど、お世話係失格ですね」


 あくまで自分を『家族』や『親』とは認めないのはゼルカヴィアらしい。

 アリアネルは不満そうに口を尖らせてぼやいた。


「もう……ゼルは、魔族には『家族』とか『親子』っていう概念が理解できないっていつも否定するけど――私なんかより、よっぽどゼルの方が、パパと家族っぽいよ。私はゼルの方が、ずっとずっと、羨ましい」


 予想外の発言だったのだろうか。

 ゼルカヴィアは、ぱちぱちと驚いたように目を瞬く。


「まぁでも、そうだよね。私とパパは、まだ十年しか一緒にいないけど、ゼルはもう何千年も一緒にいるんだもんね」

「それは――初めて言われましたね。どのあたりが、貴女の言うところの『家族』のようだと思ったのですか?」


 本当に考えたこともなかったのだろう。興味深げに問いかける親代わりの青年に、アリアネルは呆れたように返す。


「気づいてないの?――パパとゼルって、そっくりじゃない」

「そっ……くり……?」


 ぎゅっとゼルカヴィアの眉間に皺が寄る。

 魔王の外見は、元天使らしい太陽の祝福を感じさせるものだ。髪も服も全て黒ずくめのゼルカヴィアとは、似ても似つかない。

 

「勿論、外見の話じゃないよ。ちょっとしたときの仕草とか、考え方とか――あ、味覚もかな?パパもゼルも、他の皆みたいに、『娯楽』でもご飯とか固形物は殆ど食べないくせに、花茶だけは好きでいっつも飲んでるよね」

「そ、れは……全く、考えたこともありませんでしたが……」


 口元に手を当てて、驚愕を露わにする。

 常日頃から、並々ならぬ忠誠を示しているゼルカヴィアだ。魔王と似ているなどと言われれば、恐れ多いと言って素直に受け取って貰えないかもしれない。

 捻くれ者の黒ずくめの忠臣に、アリアネルは急いで言葉を重ねた。


「ずっと一緒にいるから、似て来たんじゃない?……これだけは、どんなに私がパパを大好きでも、ゼルには敵わないから、ずるいなぁって思う。私も、魔族に生まれてたら、ずーっと一緒に過ごして、パパと本当の『家族』っぽくなれたかなぁ……」

「それは……どうでしょうねぇ」


 苦笑する青年に、アリアネルはふふっと笑い声を漏らした。


「でも……きっと、知らず知らずに似ちゃうくらい、ずっと一緒にいたゼルだもん。私には出来ない方法で、パパにも影響を与えてると思うよ」

「……そうですか。そうだと、良いのですが」


 そう言ったゼルカヴィアの深い青緑の瞳には、既に陰はどこにも見当たらない。

 ほっと安堵の息を吐いて、アリアネルもにこりと笑ったのだった。

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