第204話 人形劇③
ぱちぱちと拍手がまばらになっていくのを見計らい、シグルトは隣で観劇していた少女を振り返る。
「どうだった?初めて見たんだろ?感想は?」
「……」
アリアネルは、ぎゅっと下唇を噛みしめて俯く。こういう時、上手に嘘の一つも言えない自分が嫌になるが、仕方ない。
目を輝かせて歓声を上げる広場の子供たちと同じ感想は、どうしても持てなかった。
「あ、アリィ……?」
「ねぇシグルト。……今のが、皆が知ってる『天魔の戦い』のお話なの?」
竜胆の瞳が、哀しみと仄かな怒りを湛えて、まっすぐにシグルトを見据える。
アリアネルは、学園の教本で学んだ「歴史」としてしか、この話を知らない。おとぎ話として、世間一般に伝わる”解釈”まではわからないのだ。
シグルトは少し驚いたように目を瞬いたが、少し考えてから、誠実に答える。
「いや。今日の話は、割と近代になってから出てきた新しいパターンの話だから、一般的ではないんじゃないか?だからほら、子供たちも前のめりで夢中になってただろ。この『天魔の戦い』は、アリィの家がどうだったかはわからないけど、一般庶民の家庭では、どこでも一冊くらいは絵本で読み聞かされるようなメジャーなものだし、いくら人形劇が珍しいって言ったって、誰もが聞いたことある一般的な流れじゃ子供たちも飽きてすぐにどっか行っちまうさ」
「じゃあ――じゃあ、一般的な流れって、どんな風なの?」
少し焦れるようにしてシグルトに身を乗り出し、問い詰める。
ふいに詰められた距離に、ドキリと心臓を高鳴らせてから、シグルトは体温を上昇させて答えた。
「や、えっと……そうだな、一番有名なのは、魔王と正天使の一騎打ち展開じゃないか?」
「一騎打ち?」
「人間界を手中に収めようとしたのを見かねて、猛毒の瘴気が渦巻く中に、正義の心を持った正天使が単身で果敢に乗り込み、一騎打ちを申し込むんだよ。一進一退の攻防を繰り広げるんだけど、魔界の王と第一位階の天使だろ?戦うだけで人間界に余波で被害が出るから、正天使は心を痛めて一旦天界に退こうとする」
「え……」
「背を向けて天に飛び立つ正天使を追いかけて、魔王は卑怯にも背中から切りかかって――基本的に中立を保つ造物主も、さすがにその卑怯な行いに腹を立て、魔王を幽閉すると宣言する」
「な――」
「背中から切りかかられた正天使を不憫に思った造物主は、斬りつけられて空に舞った無数の羽を全て黄金に変えて、夜空の星にした。魔界を思わせる昏い夜に人々が恐怖を覚えても、空を見上げればいつでも勇敢に戦った正天使の存在を感じられるように」
「――は……???」
ぽかん……
終盤で急にファンタジー極まりない話になって、アリアネルは思わず目を点にしてシグルトを見返す。
バツが悪そうに後ろ頭を掻いて、シグルトは恥ずかしそうに口を尖らせた。
「おとぎ話なんだから、無粋なツッコミは無しだぞ。まさか大人になってまで、本当に夜に見える星が、正天使の羽だったなんて話、信じてる奴いるわけない」
「あ……よ、よかった。びっくりした……」
聡明な頭脳を持つ勇者が幼児退行でもしたのかと焦ったアリアネルは、ほっと一息つく。
シグルトはきまり悪そうに頬を掻いてから、劇中で約束した通り、アリアネルにもわかるように説明した。
「この『天魔の戦い』の話は、いくつかパターンがあるって言っただろ。史実として文献とかで伝わってるところだけが共通要素で、そのほかの細かい所は時代によって自由に創られてるんだよ」
「共通要素……って?」
アリアネルの質問に、シグルトは右手を出して指を折る。
「まず、大きな地割れ。天変地異の始まりは必ずここから始まる。物語じゃ、魔王が地震を起こしたって言われることもあるけど、地震は基本的に地天使の管轄だろ。だから、解釈によって自然発生したとされるものもある。――でも、大きな地震があって、地面が深く裂けたっていうのは、どうやら事実らしい。地天使がゆっくりと戻したらしいけど、元に戻すのに百年くらいかかったって記録にある」
「えぇ……そ、そんなに……?」
「で、自分で地割れを起こしたか否かはさておき、大抵そこの裂け目から魔王が出てくる。で、人間界で正天使と戦う」
二つ目の指を折って、シグルトは続けた。
「当時の記録じゃ、洪水だの炎だの稲妻だのが起きたっていうのが史実だ。それを魔王が人間界を手中に収めるために起こしたという物語もあるし、正天使との一騎打ちが激しすぎてその余波で世界が荒れたとする物語もある。これは”解釈”の違いだけど――まぁ、天変地異が起きた、っていうのは本当らしい」
それは、魔王も言っていたので、こくりと素直にアリアネルは頷く。
「火も水も魔族の魔法だけど、稲妻は天使の魔法だろ?魔王が天使の魔法を使えるわけがないから、その辺りをどうとらえるかっていうことで、解釈が分かれてるみたいだ」
「ふ、ふーん……ソウナンダ」
少し棒読みになりながら頷く。
シグルトは知らない。――魔王が本当は元天使で、どんな天使の魔法も無詠唱で簡単に操ることが出来る存在だと言うことを。
(だから、本当は……最初の地割れを起こした大地震も、人間界に落ちたたくさんの雷も、全部パパがやったって言われても、絶対にありえない――とまでは言えないんだよね。やる意味がなさそうだから、そんな下らないことはやらないと思う、としか……)
アリアネルはシグルトに訝しまれない程度に目を伏せて物思いにふける。
「で、最後の共通点は――黄金が空から降ってくる。これだけだ」
「へぇ、なるほ――――へ!?」
一瞬、聞き流しそうになり、慌てて我に返ってシグルトを振り返る。
最初の二つの共通点は、理解できる。たまたま、人間界で酷い災害が立て続けに起こり、それを文明も未発達だったころの人間たちが、未知の存在である魔族や魔王といったものと重ねて、陰謀による天変地異だと騒いだのだろう。あるいは、天界勢力の求心力を高めるために、そのように思い込ませるよう、後から狡猾な正天使が偽りの物語を広めたのかもしれない。
それが、魔王の話を鵜呑みにしていたアリアネルが理解した彼女なりの”解釈”だった。
当然それは、何万年も昔からこの世界を見守っている魔王が口にした限りなく『真実』に近い物語だと信じてやまなかったのに――
「黄金……が、降る……?」
「ビビるよな。急にファンタジー過ぎるっていうか、作り話っぽさが過ぎるっていうか。……でも、驚くことに、天変地異と謎の黄金の目撃証言は、同時期に相当な数が残ってるんだ」
ぱちぱち、と竜胆のつぶらな瞳が何度も瞬いて風を送る。どうやら、あまり話について来ていないらしい。
「砂漠の乾いた黄色い砂が大風で舞い上がったのを見間違えたんじゃないか、とかも検証されたんだが、沢山降ってきた地域にいた一族が黄金を集めて富豪に成りあがってたり、当時まだめちゃくちゃ希少だった金の流通量がそのころを境に世界中で爆発的に増えたりしてるんだ。今じゃ、どうやら本当に、正真正銘の黄金の砂が降ったんじゃないか、っていうのが定説だな。何度も否定する研究が試みられてきたけど、この一万年、明確にそれを否定することが出来る研究成果は出てない」
ぽかん……と再びアリアネルは間抜けな顔を晒す。
(え……どういうこと……?みゅ、ミュルソスが何かしたのかな……?人間界に、無意味に黄金をばらまいた、とか……?いやでも、わざわざ空から降らせる意味、ある……?瘴気を生んで糧にしたいだけなら、もっとこじんまりやらないと、パパに怒られるよね……?粛清されちゃう……)
今よりも希少価値が高かったという黄金の粒が、空から無数に振ってきたとなれば――それはもうきっと、人間界は大混乱だろう。人は、現世でさえ、金のために争い、血を流す愚かな生き物だ。
誰もが我先にと手を伸ばし、両手に抱えきれないくらいの黄金を必死にかき集め、醜悪な争いが各地で巻き起こったことは想像に難くない。
当然、そこで発生する瘴気はとんでもなく濃密かつ大量だろう。――身に余る量の瘴気の生成は、他でもない魔王によって禁じられている。そんなことをすれば、ミュルソスはあっという間に処刑対象だ。
「未だに、この黄金が一体どこから発生したのか、全くわかっていない。だから、正天使の羽だの星だのっていう解釈が昔から使われてたんだよ。……近世になって、黄金の魔族っていうのがいるんじゃないかって研究が出て来てから、今日の人形劇みたいな、黄金の魔族が降らせたっていう新解釈が出て来たんだ。そういう解釈がある、って聞いたことしかなかったから、俺も今日初めてちゃんと物語の流れを知った」
「そ、そう……なんだ……」
黄金の魔族はいる。……なんなら、シグルトも会ったことがある。誰もそうだと気づいていないだけで、ここ十年くらい、街はずれの山奥の屋敷で暮らしていたくらいだ。
ひくり、と頬を引き攣らせて、アリアネルはシグルトの話を聞き流す。あまりここについてはツッコミを入れない方が正解かもしれない。
「まぁそれで、最終的には造物主の力で神殿の地下に魔界に通じる扉を造ってもらって、人間が正天使の力を借りて勇者として魔王に挑むことになりました――っていう締めくくりも、基本的には一緒だな。勇者の存在が世に出たのも、ちょうどそれ以降だし」
「造物主が……どうやって作ったんだろう……」
アリアネルは難しい顔で唸る。
少女の頭の中にある”扉”のイメージは、いつも上級魔族が送り迎えをしてくれるときに開く紫色の
空間を飛び越えて好きな所へ転移する門だが、あれは魔王が造ったルシーニという魔族の魔法である。呪文を唱えることで発動し、役目を終えればふっ……と掻き消えてしまうような存在だ。
だが、神殿に設置されているという魔界に通じる扉は、この一万年、ずっとそこに鎮座して、歴代の勇者を送り出していると言う。ルシーニの魔法とは異なる原理で造られているのだろう。
「さぁ。さすがに原理までは俺もわからないけど……でも、天界と人間界を繋いでるのも、どこかに造物主が造った空の扉らしいから、それと同じなんじゃないか、って言われてる。絶対に魔族に攻め入られない王都の中の、神殿の地下に作ったっていうのも、一方通行を可能にするためなんだろうし」
「あ、そ、そっか。魔界にいるのは魔族だけだから、魔界側からは結界に阻まれて入って来れないんだ」
「そりゃそうだろ。もし王都のど真ん中、それも天使のお膝元の神殿の中心から魔族が沸いて来たら大変だ。大混乱になる」
シグルトが呆れて言うのに、ハハ、と乾いた笑いで誤魔化す。
――つい数日後、そこから”お兄ちゃん”と一緒に侵入する作戦を立てているとは、口が裂けても言えない。
(でも――中心、なんだ。ってことは、丁度、『天使降臨の間』があるあたりの地下なのかも。まっすぐ数フロア上がれば、目的地にたどり着くってことだよね)
神殿内部の見取り図は、例え学園生相手でも公開されていない部分が多い。シグルトがうっかりと口を滑らせてくれたおかげで、アリアネルは一度侵入した構造を思い出しながら、数日後の作戦行動の開始場所をイメージする。
「いつかは、シグルトもそこから魔界へ旅立つの……?」
そっと、伺うように隣の長身を見上げると、シグルトはほんの少し困ったように微笑を浮かべた。
「あぁ。……そんな、心配そうな顔するなよ。ここ数年は、歴史上類を見ないくらいの強力な魔族の観測報告が次々に上がってる。難易度の高い討伐任務もたくさんある。当然、聖騎士の戦力も幾らか削がれてはいるけれど、反面、実戦経験は今までにないくらい積めているから、瘴気塗れの場所で、チームで連携して強力な魔族を相手取る戦術が、今も現在進行形で、沢山生み出されてるんだ」
「……うん」
人間が敵うはずもないくらいの本当に強い上級魔族は、魔王や城勤めの古参魔族らが人知れず処罰してきただろうが、中級魔族程度であれば、人間の手によって討伐されることもあった。
学園にもひっきりなしに実践投入の要請が来ては、加護という強力な防御機能を持つ学生たちを使って、様々な作戦行動をとって日々戦術に磨きをかけていたはずだ。
そのど真ん中にいたのが、シグルトであり、マナリーアだ。
彼らが魔界へ乗り込むときは、確かに歴代の勇者とは比べ物にならない実戦での経験値を持って挑むことが出来るだろう。
「魔族の活動が活発なおかげで、魔石も沢山見つかってる。魔晶石の加工もどんどん進んでるから、きっと、来年魔界に挑むときは、今までの人間の歴史の粋を集めた最高の状態でパーティーが組まれるはずだ」
「うん……」
「心配しなくても、勝つさ。ちゃんと、長い戦いの歴史に終止符を打って、帰ってくる」
「……うん……」
ぎゅ……と指先を握り込んで俯くことしかできないアリアネルは、言葉少なく答える。
「アリィ……?」
様子がおかしい少女の様子を気遣って、シグルトはそっと俯くアリアネルの頭へと手を伸ばす。
数度瞬きを繰り返したアリアネルは、ぐっと息を飲みこんで、まっすぐにシグルトを見上げた。
「シグルトは、逃げ出したいって思ったことは、ないの?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます