第203話 人形劇②

 切り替わった背景は、人間界を模しているようだった。劇中で正天使が告げたように、世界を二分するような深い地割れと洪水、炎が渦巻き、地獄絵図さながらの様相を呈している。


『魔族が地上を蹂躙していく中、指揮を任されたのは黄金の魔族。魔王の右腕としての手腕を発揮し、人々を恐怖と混乱の渦に巻き込んで高笑いを上げます』


「はぁーっははは!惑え!狂え!魔王様の偉業を讃え、頭を垂れよ!」


 大袈裟な素振りで悪役らしい台詞を叫びながら、金髪の魔族は小柄な身体で人間界を駆ける。人形が行き過ぎるたびに、水や炎が人々の街を飲み込んだ。


「魔王様もきっとお喜びになる!天使など、この世からいなくなってしまえばいい!」

「――そこまでだ!」


 悦に入ったように両手を広げて高笑いを上げる魔族を遮るように、朗々とした声が響くと同時、破裂音が炸裂し、稲光を模した強烈な光が舞台で明滅した。


「ひゃ――」

「ぅわ、びっくりしたな。アリィ、大丈夫か?」


 予想外の轟音にアリアネルが肩を竦めると、自分も驚いただろうに、シグルトが気遣うように顔を覗き込んできた。

 いつでも周囲を気遣える彼の優しい気質は、生来の勇者の資質といって良いだろう。

 安心させるように笑顔で大丈夫だと答えてから、アリアネルはもう一度舞台へ視線を戻す。

 天使の叫びと共に現れた稲光は、金髪の魔族を直撃したようだった。


「ぐ――貴様は……正天使!」

「これ以上、お前たちの思い通りにはさせない!悪しき者よ、報いを受けよ!」


 天使の人形が剣を手にした腕を掲げるのに合わせて、再び破裂音が響き、背景に幾筋もの稲光のギミックが現れた。

 魔族が稲光に討たれて倒れると、正天使に付き従うようにして、わらわらと天から端役の天使の人形が降りてくる。


『人間界を蹂躙していた黄金の魔族は、驕りのあまり、孤立していたのです。その隙を見逃す正天使ではありません』


(寄ってたかって一人を苛めるなんて、酷い……!)


 蹲る魔族を、白い衣装と翼を纏った天使たちが取り囲むのをみて、アリアネルはむっと眉間に力を入れる。

 過去、魔王に尋ねたとき、人間界で語られているこの出来事は全て眉唾だと言っていた。天変地異と呼ぶに相応しい大きな災害が起きたことは事実だろうが、それが魔界勢力による恣意的なものだったというのは、おそらく正天使が天界勢力の威光を強めるために後世に伝えた偽りの解釈だという。

 だから、これが本当に、アリアネルに馴染み深いゼルカヴィアやミュルソスを相手にした出来事ではないと頭では理解しているが、”正義”を口実に多勢に無勢で魔族を討ち果たそうとする劇の進行は、やはりどこか面白くない。


「よし、十分痛めつけたな。それでは、黄金の魔族を拘束しろ!この魔族が犯した罪は重い。天界にて、正義の裁きを受けさせる」


 芝居らしく説明口調で言い切った正天使は、配下の端役天使に命じて、ぐったりしている魔族を取り囲み、持ち上げさせる。


「ぇ……」

「あぁ。このパターンの解釈なのか」


 思いがけない展開に息を飲むアリアネルと対照的に、シグルトは何かに納得したようにうんうん、と隣で頷いた。


「このパターン……って?」

「あぁ。この物語、大筋の流れは一緒なんだけど、細かい展開は結構解釈が分かれてるんだ。史実として記録されている内容から、後世の人間がストーリーを考えてるんだから当然と言えば当然だけど……まぁ、見てろって。他のパターンの展開は、終わった後に教えてやるから」

「う、うん」


 博識な学友は、世間知らずなアリアネルにもわかりやすく知識を授けてくれるらしい。

 少年の優しさに感謝しながら、アリアネルは劇へと視線を戻す。

 天使たちに抱えられて天界へと連れられようとしている最中、舞台の端に、魔王の人形が現れた。


「お前たち!何をしている!」

「しまった!魔王だ!」


 野太い魔王役の声が響いて、魔王の人形が慌てた様子で天使たちの元へと駆け寄っていく。


「それは俺のモノだ!返してもらおう!」

「馬鹿なことを!返せば再び、人間界を混乱に巻き込むつもりだろう!」

「だが、これだけは譲れない!俺の一番大切な臣下だ!」


 魔王は、悲痛な声で叫び、天へと逃げようとする天使たちへと追い縋る。


「返せ!返せ!それは俺の大切な右腕だ!」

「くっ……させるものか!必ず天界へと連行する!」


 キィンッ キィンッ

 人形たちが手にした剣を振るう素振りをすると、安っぽい金属音が鳴り響く。


『正天使は必死に抵抗しますが、ここは、魔王の侵略によって瘴気が渦巻いている人間界。思った様に動けません。空中で、一進一退の攻防が繰り広げられました』


(な、なんか……創作にしては、妙に具体的なお話の展開じゃない……?シグルトは、史実として記載されている内容から作ったって言ってたけど……史実って、天変地異があったってことだけじゃ、ないの……?)


 ごくりと唾を飲み、アリアネルは大きな見せ場を迎える劇に見入っていると、天から見覚えのある人形が降りてくる。

 それは、先ほど天界のシーンで正天使と会話をしていた、造物主に他ならなかった。


「これ以上の争乱は、世界の秩序を大きく乱す。どちらも争いをやめ、剣を納めよ」


 どんな演出を掛けているのかはわからないが、反響効果エコーを伴った声が舞台に響く。

 すると、魔王も天使も一斉に争いをやめ、サッと造物主に首を垂れた。


「正義の天使よ。其方はこれをどう裁く」


 威厳に満ちた声音が朗々と尋ねると、凛とした返事が舞台に響いた。


「魔王は許しがたき悪です。人間界を不当に手中に収めることで、主が定めし世の中の均衡を崩そうとしました。悪には、報いを。耐えがたき永遠の責め苦を与え、悪の手先たる魔族を全て滅ぼすべきと考えます」

「なんだと!横暴な天使め!」


 どこから見ても矮小な悪党の発言をする魔王役に、大きな解釈違いにむっとしながら、アリアネルは造物主の声を待つ。

 造物主は思慮深く考えた後、ゆっくりと両手を広げた。


「正義の天使の言うことは一理ある。世の中の均衡を崩そうとした罪は重い」

「では――!」


 正天使が希望に満ちた声を上げたのを、「しかし」と遮る。


「人間界に瘴気が生まれる限り、魔界は世界に必要である。今、魔王と魔族をこの場で滅ぼすことは出来ない」

「ですが!」

「故に、魔王には犯した罪に相応しい罰を与えよう。――未来永劫、暗く、寒く、寂しい魔界から、決して出られぬ永遠の咎を」

「な――!」


 魔王が驚いたように顔を上げて、絶望に身体を戦慄かせる。


「人間の瘴気を消費する魔族は手元に残してやろう。だが、その身は二度と魔界から出られず――当然、楽園たる天界に足を踏み入れるなど夢のまた夢。明けることの無い夜の世界で、孤独と絶望を抱えて己の役割を果たすがよい」

「造物主!」


 非難するような声を上げたのは、魔王ではなく、正天使だった。


「それは慈悲が過ぎます!この人間界の惨状をご覧ください!どれだけの無辜の民が犠牲となり、命を散らしたか!今日の恐怖は人間の歴史に刻まれ、根強く残るでしょう。我ら天使がどれほど希望を与えても、この日の記憶がある限り、人間は魔王を恐れ、瘴気を生む!世の秩序を乱した罰として、幽閉だけとは罪が軽すぎます!」


 天使の人形の紅い瞳がキラリと光り、怒りが燃え盛っていることを如実に表す。

 

「ならばせめて、今日の恐れを怒りに変えて、正義のために突き進む力を人間にお与えください!」

「何……?」

「人々が感じた恐怖も、絶望も、憎しみも――ただ強者に翻弄されるばかりの弱者であり続ける限り、未来永劫残り続ける。ならば、彼らに報復の機会を!人の力で魔王を打ち倒す奇跡が成し遂げられるとき、世の中は瘴気から解き放たれ、魔界の存在も必要なくなるでしょう」

「ふむ……」

「魔王の強大な力にもひるまぬ、最も勇気ある魂に、我が正義の力を貸し与えましょう。人間が、恐怖の過去を振り払い、己の手で未来を切り開く――その機会を与えたまえ!」


 正天使が剣を掲げて朗々と叫び、ブンッと白刃を振るった。

 正義の刃は、狙い違わず――捕らえられていた黄金の魔族を捉える。


「えっ――」


 アリアネルが思わず口の中で小さな悲鳴を上げるのと同時に、人形の腹が裂け、真っ赤な血液の代わりに、舞台一杯に黄金色の砂が降り注いだ。


(えええええええっ!!!ミュルソスーーーーー!!!?)


 子供たちに見せるにはいささか残酷すぎるのではないかと思いながらも、思わず見知った顔の紳士を思い浮かべてしまって、蒼い顔で口元を両手で覆う。

 しかし、黄金の砂粒が舞台上に惜しみなく降り注ぐ様は、残酷さよりも幻想的な空気を醸しだしたのか、子供たちは無邪気に歓声を上げている。


「貴様っ――貴様ああああああああああ!」


 右腕を無残に殺され、魔王が悔し気に叫ぶのを聞きながら、造物主はやれやれと首を振る。


「わかった、正天使。魔王は右腕を失い幽閉され、人間は降り注ぐ黄金で災害からの復興を遂げる。これでやっと審判の秤が均等だと言いたいのだな」

「左様でございます」

「さすがは正義を司る天使よ。見事な采配だ。褒めてつかわす」

「ははっ。有難き幸せ――」


(はぁあっ!!?ちょ――何なの、その適当なオチは!!!明らかにパパだけが損してるじゃん!どう見ても贔屓だよ!)


 舞台上で繰り広げられる造物主と正天使の茶番に、少女はわなわなと手を震わせる。

 

「それでは、改めて沙汰を言い渡す。魔王は未来永劫、魔界に幽閉され、人間界に顕現することは叶わない。人間たちには、今日の恐怖を克服するために、魔界へ通じる扉を授けよう。正義の天使の名のもとに、勇敢なる魂を奮い立たせ、強大な敵を打ち倒すときに開かれる扉だ。容易くは成し遂げられぬだろうが、私は人々の希望の力を信じている。奇跡はいつか起こせると、きっと信じているぞ――」


(いやいやいや、何、最後なんかちょっといい話風に締めようとしてるの!?全っ然締まってないけど!?)


 にゅっと下から生えるようにして現れた禍々しい装飾の扉が舞台中央に現れ、バンッと音を立てて開くと、魔王の人形を吸い込んでいく。


「くそ――この屈辱、決して忘れぬ……!覚えていろ、正天使――!人間どもよ――!」


 情けない捨て台詞を吐きながら、魔王は扉の奥へと消えて、退場した。

 それを見届けてから、造物主と天使たちも宙へと舞い上がるようにして退場していく。

 天使たちが飛んでいく軌跡に、黄金の砂が溢れんばかりにまき散らされ、ナレーションと共に幕が引かれると、幼い観客たちから歓声と割れんばかりの拍手が鳴り響くのだった。

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