第202話 人形劇①
設営された舞台の幕が上がると、集まった子供たちの中から、わぁっと歓声と共に拍手が上がる。
『昔々、まだ、私たち人間が、天使の力を借りねば日々の生活すらままならなかった頃。魔界に、魔王と呼ばれる悪しき王がおりました』
どこからともなく聞こえてくるナレーションとともに舞台に現れたのは、遠くの観客からもしっかりと見えるようにと配慮されたのか、予想よりも大きな人形。
草木の一つも生えていない灰色の地面が広がる背景セットは、魔界をイメージしたものなのだろう。
『魔界――それは、人間界に生まれる瘴気を排出するための世界。その陰鬱とした世界で、魔王は考えます』
ガチャン、と耳障りな音がして人形が腕を組む。どうやら可動域が細かく造られていて、随分手が込んでいるらしい。
「自然に瘴気が溜まるのを待つだけでは物足りない。もっと大量の瘴気を、一度に手に入れるにはどうしたらよいだろうか」
野太い声が響くのに合わせて、人形の口がパクパクと開閉する。
(あれが、人間界で思い描かれる魔王像……何度見ても、パパとは似ても似つかないなぁ。声だって、あんなオジサンっぽくない。万人が聞き惚れるくらいの美声なのに)
邪悪な角を生やした凶悪な容貌を備えた、ひと眼で人外とわかる獰猛な大男――それが、この人間界で一般的に信じられている”魔王”像だ。
アリアネルはむっと小さく唇を尖らせながら、劇を眺める。
「そのためには、聖気を生ませる天使が邪魔だ。そして、人間の味方をする造物主も。この俺様をこんな薄暗く鬱蒼とした世界に閉じ込めやがって……そうだ。人間界を恐怖のどん底に突き落とし、全てを手中に収めてしまえばいい。そうすれば、聖気を糧とする天使は皆、飢えて死ぬだろう。この寒々しい闇の世界からも、解放される。造物主も、俺の力を認めるはずだ」
パクパクと口を動かしながら、良いことを思いついた、と言わんばかりに立ち上がり、邪悪な高笑いを上げる魔王の人形に、アリアネルは小さくむくれる。
少女が知る魔王はそんなことをしない。
造物主が狂い、人間が絶滅寸前になるほど荒れ果てたとき、数々の天使を生んで世界を正常に戻して行ったのはかつての命天使だ。中級以上の魔族が瘴気に酔って暴走し人間界に甚大な被害が出たとき、聖騎士では手に負えない強力な魔族を処罰するのは、魔王だ。
つまり人間は、彼に何度も救われていることになる。
そもそも造物主は、人間の味方などではない。
魔王の言葉によれば、この世界は所詮、造物主が永遠の孤独から逃れるために創った一つの箱庭。造物主本人は、仮に人間が滅んでもまた別の生命を創ればいい、と簡単に考える超越者だ。
何より、愛に飢えた造物主は、人間の平穏よりも命天使への執着を優先し、世界を放置した。
そして今、一時的に人間に深刻な害が及ぼうとも、憎い魔王の勢力を削ぐことを優先する正天使を好きにさせている時点で、造物主が今も変わらず、人間よりも正天使から与えられる愛を優先させ、正天使の言いなりになっていることは想像に難くない。
どう好意的に解釈しても、造物主が人間の味方だとは言い難いだろう。
(本当の意味で人間の生態を守るために尽力してるのはパパだけじゃん。誰からも認められてなくても、見返りなんて何もなくても、ただそれが自分に課せられた『役割』だから、って言って何万年も続けてるんだよ?パパは凄いんだから!)
ぎゅっと拳を握って心の中で主張する。
四六時中太陽の光に包まれ美しい花々が咲き乱れる天界から、薄暗くて寒々しい花の一つも根付かぬ魔界に堕とされても、文句ひとつ言わずに己の『役割』をこなし続けている。
嫌いな造物主と顔を合わせずに済む今の魔王としての暮らしを、むしろ気に入っているくらいだ。
人間界を瘴気で満たすだの、天使を飢えさせるだの、造物主を見返すだの、そんな下らないことには毛ほどの興味もないだろう。
「大掛かりな仕事になるだろう。独りでは心許ない。……そうだ。俺の手足となる下僕を造り、魔族と名付けよう」
『こうして魔王は、数々の凶悪な魔族を造り出し、魔界で力を蓄えます』
カチャカチャと耳障りな音がして、小さな人形が魔王の足元に跪くようにして現れる。
その中で、他の魔族人形とは明らかに異なる精巧な作りの一体がスッと立ち上がった。
「お前は一番出来がいい。俺様の右腕にしてやろう」
「ははっ。有難き幸せ」
魔王の声に、恭しく腰を折って礼をする人形の姿を見て、アリアネルはぱちぱちと眼を瞬く。
(右腕……ゼルのこと?天変地異があったのが一万年前くらいっていうなら――うん。ゼルが存在しててもおかしくないよね。ゼルだと認識されてなくても、右腕がいたっていう伝承だけは残ってるのかな?)
人間界に伝わる物語が真実を伝えているなどとは毛ほども思っていないが、事実が別の解釈をされて伝わっていることは往々にしてある。
この時代に魔王の側近が生み出され、常に傍に控えていた――という事実が、何らかの形で人間界に伝わっていたとしてもおかしくはない。
(相変わらず、ゼルの面影も何もない外見だけど)
人形は、魔王が『出来がいい』と褒めただけあって、他の異形よりも人間に近い外見をしていた。
黄金の短髪を持ち、背丈は大柄な魔王の半分ほど――小柄と言っても差し支えない。まるで少年のような出で立ちの”右腕”は、申し訳程度の小さな角と、人間にしては尖り過ぎている耳を持っていることで、観客にもかろうじてそれが魔族なのだとわかった。
「さぁ、早く人間界へと向かおう。世界を恐怖の渦に巻き込んで、全てをこの手に収めるのだ!」
人形はバッとマントを大袈裟に振り払う動きと共に、右手を大きく掲げる。
そのとたん、ドォーン!と大きな音がして、幼い観客たちとアリアネルは、揃ってビクリと肩をはねさせた。
『何と魔王は、魔界から見て空――人間界に向かって、強力な魔法を放って巨大な地震を起こし、大きな大地の裂け目を造ったのです!』
ナレーションと共にガラガラと舞台の裏で音がして、背景が回転し切り替わっていく。どうやら先ほどの大きな音は、魔王が魔法を放った効果音だったらしい。
急な展開にドキドキと駆け出した心臓を宥めながら、アリアネルはじっと舞台を見つめる。
回転して現れた背景は、先ほどまでの殺風景なものとは打って変わって、無数の花々が芽吹く陽光差し込む美しい世界だった。天界を模しているのだろう。
そこに現れたのは、黄金の短髪と真紅の瞳を持つ羽を持つ青年だ。剣を携えたその天使は、焦った様子で舞台の端から逆サイドに据えられた建物の方へと駆け寄っていく。
「造物主!大変です!魔王が、たくさんの魔族を引き連れて、人間界を混乱に陥れています」
「何!?それは誠か、正天使!」
慌てた声と共に、建物の中から、長い金髪の上に草で編まれた緑の冠を携えた背の高い人形が現れた。
(え……造物主?あれが?パパの話じゃ、”思念体”って言ってたけど……あれじゃまるで人間みたい。お話の都合上なのかな)
「地上は今、地面が割れ、洪水が起き、炎の海が広がっています」
「なんと……!」
「最も厄介なのは魔王の右腕――黄金を司る魔族です!あれだけは放置しておけません!」
ずるっ……
「アリィ?どうした?」
「ちょ、ちょっとバランスを崩しちゃっただけ……」
劇の予想外な展開にずっこけたのをごまかしながら、アリアネルは頭を抱える。
(ミュ、ミュルソスじゃん……!右腕って言ったらゼルでしょ!?あ、もしかして、人間界じゃ二人は混同されてるのかな。そういえば学園の教本でも、黄金の魔族は上級魔族として明記されてたけど、どんなに探しても記憶を司る魔族なんてなかった……ゼルのことは、能力も合わせて、人間たちは全く知らないってこと?)
そう言えば、ミュルソスは本来、ゼルカヴィアの補佐をするために、彼が誕生してから数年後に造られたと言っていた。
もしこの出来事が本当に一万年前に起きたことなのだとしたら、ゼルカヴィアと同じく、既にミュルソスも生み出されていた可能性は高い。
(でも、仮にミュルソスだったとしても外見は全然似てな――もしかして、黄金を司るから金髪の魔族とか、そんな安易な発想?いや、まぁ確かにミュルソスの瞳は黄金だけど……でもパパがその色にしたのは、安直な思い付きじゃなくてきっと深い、ふか~い理由が……!)
鋼色の髪をオールバックに撫でつけたフロックコートが似合う垂れ眼の紳士を思い出して脳内で反論する。今日帰ったら、父にミュルソスの外見をあのカラーで組成した理由を聞いてみようと心に誓った。
「このままでは人間界が魔王の手中に落ちます。すぐに我らも戦力を集め、人間たちを守らなければなりません!」
「あぁ、わかった、正天使。すぐに腕利きの天使たちを集めてくれ」
舞台では造物主の許可を受けて正天使が仲間の天使たちを集めていく。
場面転換のナレーションが聞こえて、再びガラガラと音を立てながら背景が切り替わっていった。
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