第201話 デート⑤

 アリアネルはその日、『生まれて初めて』を沢山体験した。

 人通りが多い表通りで逸れないように、と言ってシグルトに差し出された手を握った。魔族ではない異性と手をつなぐのは初めてだった。

 街で美味しいと評判の、学生の懐にも優しい価格のこじゃれた店でランチをとった。アリアネルは今まで、ロォヌの作った食事か、学園の学食以外で物を食べた記憶はない。

 人間界の街に繰り出すときにお供をしてくれるゼルカヴィアもミュルソスも、人間の食事を口にする嗜好を持っていないからだ。要望すれば、特にアリアネルに甘いミュルソスなどは快く連れて行ってくれるとわかっていたが、彼らが楽しめない場所に行くのは気が引けて、一度も誘ったことはなかった。

 シグルトと二人きりで食事をしたのも、実は初めてだった。いつも学園では、マナリーアと三人で学食に行くのが常だった。聖騎士団の作戦同行で学園を不在にするときは、シグルトとマナリーアは必ずセットで参加しているので、そういう日はミヴァと一緒に昼食を取った。

 昼食後、腹ごなしを兼ねて屋台を見て回ったのも、人生で初めてだ。ロォヌの買い出しについて行ったときに屋台を見たことはあるが、自分のための買い物を主目的としたことはない。

 色とりどりのアクセサリーが並べられた屋台を見たときは、思わず目を輝かせてしまった。


「何か、買わないのか?」

「うぅん……でも私、不器用だからなぁ。上手に使えない気がするの」

「そうか?むしろ、上手くないか?」


 シグルトは、複雑に編みこまれた象牙色の髪を彩る青紫のリボンを見ながら首をかしげる。


「これは、マナがやってくれたの。私一人じゃ、せいぜい訓練で邪魔にならないように一つに括るのが限界」

「へぇ、意外。アリィって、何でもできるタイプだと思ってた」

「まさか!そんなわけないよ。小さい頃、お花畑でどう頑張っても花冠が作れなくて、いつもゼルに作ってもらってたくらいだもん。たぶん、未だに作れないよ。どうしても、力加減がよくわかんなくて」

「あぁ……確かに言われてみれば、アリィって、大雑把な武器、よく使うよな」

「もうっ!」


 揶揄するようにニヤリと笑われて、赤い顔をごまかすようにぽかりと軽く拳で殴る。


「でも、括るのが出来るなら、差し込むだけで飾れるタイプの髪飾りなら大丈夫じゃないか?……ほら、これとか」


 言いながら、黄金色の大輪の花を模した髪飾りをサッと手に取り、少女の側頭部に翳してみせる。

 男らしく筋張った手が至近距離に伸びてきた途端、ふわりと香しい香りが漂う。何かの香料を身に着けているのか、自然に発せられる匂いなのかはわからないが、不意の接近にドキリ、とアリアネルの心臓は音を立てた。


「うん。すげぇ似合う。やっぱりアリィは、太陽の花が似合うな」

「!」


 言われて初めて、満足そうに笑う少年の手に握られているのが、毎年彼が心を込めて贈ってくれる花を模した飾りだと気づいた。


「おじさん、これ頂戴」

「まいど!」

「えっ!?ちょ――シグルト、いいよ、自分で買う!」

「いいって、気にすんな」

「でも、さっきのお昼ご飯だって――!」

「いいんだよ。”デート”なんだから、格好つけさせろよ」


 わざとらしく言ってごまかそうとしているのだろうが、少年の耳の先が赤い。

 店主は、シグルトから代金を受け取り、品物を包み終えて渡しながらカラリと笑った。


「初々しいねぇ、お二人さん。お嬢ちゃん、こういうときは男に花を持たせてやるつもりで、笑顔で礼を言っておくもんだよ」

「ぅ……で、でも……」

「天使様の加護を賜ったみたいなお似合いの美男美女に、ちょいと人生長く生きてるおっさんからのおせっかいさ」


 バチン、と片目を閉じて茶目っ気たっぷりに言われれば、それ以上何も言えない。アリアネルは困った顔をしてから、シグルトに心からの礼を告げた。


「いいって。……あ。甘いモン食べたくないか?アリィ、菓子とか好きだろ」

「うん。よく知ってるね」

「そりゃ……学食でも、デザート絶対つけてるしな。めちゃくちゃ幸せそうな顔で食べてるし」

「ぅ……」


 気恥ずかしさに頬に朱が差す。そんな少女を軽く笑い飛ばして、シグルトはそっと手を握った。


「来るとき、揚げ菓子の屋台が準備してるの見つけたんだ。行こうぜ」

「うん……!」


 今日は、とことん付き合おう。

 きっと、来年はもう、こんな時間を過ごすことは出来ない。


 来年の平和を祝う祭りがおこなわれる頃、二人は互いに異なる道を歩み出す。こんな風に、隣同士で同じ方向を向いて歩みを揃えることは、ないだろう。


 卒業後、再びまみえるのは、太陽が存在しない、薄暗い瘴気渦巻く魔界。

 決して相容れることのない敵として、正面から武器を手に相対するしかない運命なのだから――


 ◆◆◆


 たっぷりと粉砂糖が掛けられた揚げ菓子を二つ、さらりとシグルトが会計を済ませて、より砂糖が多くかかっている方を手渡す。先ほどの店主の教えを思い出し、丁寧に礼を言って受け取ると、シグルトは何故か嬉しそうに笑った。

 そこでアリアネルはまた、人生で初めてを経験した。


「ぁ、ぅ、ゎわ……」


 シグルトは当然のような顔で、周囲の人々がしているように片手で器用に揚げ菓子に口を衝けていると言うのに、アリアネルはもたもたと口を衝けてはポロポロと溢してしまい、上手く食べられない。

 それもそのはずだ。――食べ歩き、など、生まれて初めてしたのだから。

 ゼルカヴィアやミュルソスと一緒に街へ行くときには、食事をしない。魔王城の中でも、当然食べ歩きなどする機会はなかった。

 幼少期から魔王に対して物怖じせずどこまでも馴れ馴れしく接するアリアネルに肝を冷やしたゼルカヴィアは、絶対に魔王に対する不敬は許さぬと、幼いころから徹底的に礼儀作法を叩きこんだのだ。

 アリアネル自身に自覚はないが、その振る舞いは、学園の者たちが自然と荒唐無稽な”噂”を受け入れてしまうくらいに、上流階級の出自を彷彿とさせるほど上品なものだった。


「あはは、食べにくいか。んじゃ、そこに座って食べよう」


 シグルトはあっさりと言って、広場の噴水を指さす。彼もまた、生まれも育ちも生粋の上流階級だろうに、この差は何だろう、と少し情けなくなった。

 二人で並んで、噴水の縁に腰掛けると、アリアネルは安心して口を衝ける。サクサクの揚げ菓子を幸せそうに食べる少女を、眩しい物でも見るかのように少しだけ目を眇めて眺めた後、シグルトも己の菓子に手を付けた。


「子供が多いね」

「あぁ。何か催し物でもやるのかもな。昼間は、子供向けの出し物も多いんだ」


 へぇ、と感心しながら菓子を齧る。三口ほどであっという間に平らげてしまったシグルトと違って、アリアネルは小さな口でもぐもぐと咀嚼するせいで、時間がかかった。

 しかし、催促するような空気を欠片も出さずに、シグルトは右手で広場を指さす。


「お。ほら、やっぱり。子供向けの人形劇だ」

「わ……!私、人形劇って、見たことない……!」

「ぅお、マジで?じゃ、見てくか。せっかくだし」


 キラリと目を輝かせたアリアネルの世間知らずな一面に驚きながらも、当たり前のように提案してくれるのがありがたい。


「演目は何かな?」

「そうだな……平和記念祭だし、やっぱり、一万年前の天使と魔王の戦いじゃないか?おとぎ話としても、『天魔の戦い』は定番だし」


 何気なく告げられた言葉に、ドキリと心臓が不穏に撥ねる。

 当然、アリアネルもその逸話は学園で習ったため知っている。教本も何度も読み返した。

 だが、学園で教わったそれらは、歴史を学ぶという側面が強かった。子供に語り継ぐことを目的にしたストーリーがどのようになっているのかは、知らない。


「お、始まるぞ」


 子供たちが集まっていくのを眺めながら、シグルトは穏やかな顔で笑う。

 アリアネルは、揚げ菓子の最後の一口を食べ終えて、真剣な顔で劇に注目するのだった。

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