第200話 デート④

 待ち合わせの男子寮の前に到着すると、既に緊張した面持ちのシグルトが直立不動で待っていた。

 遠目にもはっきりとわかるくらいに固まっている背中は、一年後には世界の命運をかけて戦いに挑む勇者のものとはとても思えない。

 耳の先をほんのりと朱色に染めて、そわそわしながら周囲を伺う横顔は、生まれて初めての想い人とのデートを前に緊張する年相応の少年らしさを感じさせた。

 デート、などと言い出したのはマナリーアの悪ふざけだとわかっているはずなのに、アリアネルと同様に嘘を吐くことが苦手な勇者がそんな雰囲気を出していては、今日の“おでかけ”がまるで特別な意味を孕むもののように思えてしまう。


「シっ……シグルト!」


 少年の緊張がこちらまで伝染してしまいそうになり、去勢を張るようにアリアネルはあえて元気よく声をかける。ほんの少し声が裏返ってしまったのは、気づかないフリをした。

 声をかけられて弾かれたように振り返ったシグルトは、驚いたように群青の瞳を大きく見開く。


「あ、アリィ……?」

「お、お待たせっ」


 学園で毎日のように顔を見ている気の置けない級友のはずなのに、どうして今日は、妙な気恥ずかしさが込み上げてくるのだろう。


(し、私服のシグルトを見たことがなかったからかな……?)


 ここ数年で急激に身長を伸ばした少年は、少し高い位置からアリアネルを見下ろしている。陽光に煌めく黄金の髪と、吸い込まれそうなくっきりとした二重瞼の群青の瞳は、日々、父の造形美が惜しみなく発揮された魔族にばかり囲まれているアリアネルから見ても、素直に整っていると思う。

 いつもの制服姿よりもカジュアな装いは、街歩きに適しているが、滲み出る上品な清潔感は、彼の生まれや育ちの良さを隠しきれていない。

 “王子様”が、お忍びで下町に降りてきた――などと言われても信じてしまいそうだった。


「いや、そんな待ってないけど……あの、えっと」


 アリアネルの姿を見たシグルトは、目を泳がせるように左右に彷徨わせた後、耳の先を赤らめながら後ろ頭を掻く。


「その……私服だと、いつもと雰囲気、変わるんだな」

「えっ?あ……うん。マナが、お化粧とかしてくれたの。へ、変かな?」

「いや、全っっ然!あの、えっと……に、にに、似合ってる……よ」

「ふぇっ?あ、ありがとう……シグルトも、似合ってるよ」

「お、おぅ。サンキュ」


 小春日和の穏やかな晴天の下、互いに照れあってモジモジと互いを褒め合う初々しい男女を揶揄う無粋な人間はいない。仮にゼルカヴィアがいれば間に割って入ったかもしれないが、ここには数年越しの片想いを拗らせている勇者の卵を、ヤキモキしながら応援する男子寮生しかいないからだ。

 

「じゃ、じゃあ……行こうか」

「う、うん」


 ただ、学園の外で休日に、友人と出掛けるだけなのに、どうしてこんなにも緊張しなくてはいけないのか。

 雰囲気に呑まれている自覚を持ちながらも、そわそわする感情を持て余しながら、アリアネルはシグルトのエスコートに従って足を一歩踏み出すのだった。


 ◆◆◆


 アリアネルは、実は”街歩き”と呼ばれることを殆どしたことがない。

 魔界に暮らす少女は、上級魔族が開く転移門ゲートを通らなければ、家に帰ることすら出来ない。天使勢力に存在が露見しないよう細心の注意を払うためにも、基本的にはゼルカヴィアか財布の役割を果たすミュルソスと一緒でなければ、街へと繰り出すことなどなかったのだ。

 学園に入学する前の幼少期に、聖気や人間界に慣れるために赴いていたころも、ゼルカヴィアの簡単な”仕事”や人間界でしか手に入らないアリアネルのための”買い出し”に連れて行ってもらった記憶しかない。

 そのせいで、学園に入ってからは『世間知らずな箱入りお嬢様』として周囲に認識されてしまったが、玄関横付けで馬車の送迎付きの学園生活では不便を感じたこともなかった。


「わぁ……シグルト、街はいつもこんなに賑やかなの……!?」

「いや、今日から三日間は平和記念祭だから、ひと際にぎわってるんだよ」

「お祭り!?」

「あぁ。一万年前に、天変地異が起きて人間界が魔王に支配されそうになった時に、天使が魔王を魔界に幽閉した事件があっただろ?人間界に平穏が訪れたのを記念して、毎年この時期に三日間、盛大に祭りをするんだ。……ま、"天使のお膝元"の王都以外では、ただ出店が出たり地域主催の催し物が開催されたりするだけだけどな」

「そうなんだ……」


 かつて、『太陽祭』のことすら知らなかったほどのアリアネルのことを思い出し、シグルトは馬鹿にするでもなく丁寧に教えてくれる。

 アリアネルは、数年前の太陽祭にシグルトが教えてくれた逸話をぼんやりと思い出していた。


(パパは、逸話自体が正天使のでっち上げだって言ってたけど……幽閉っていうのは、もしかして、パパが最初に魔界に堕とされたときに、天界勢力に介入することを禁止されたことを指してるのかな)


 初めて教本で逸話を見たときは、書かれている内容全てが荒唐無稽な嘘だと思っていたが、先日ゼルカヴィアから明かされた魔王に課されている制約を思い返せば、全部が嘘というわけではないのかもしれない。

 魔王が人間界に天変地異を起こして人間を滅ぼそうとしたというのは、魔王とは無関係のところで発生した自然災害を”神託”で魔王の所業だと偽ったのだろうと魔王は言っていた。人間界では、その事件に対する罰として魔王が魔界に幽閉された――とされているようだが、先日の話を鑑みれば、天変地異が起きる前から魔王は天界勢力に介入することを禁じられていたと言う。

 

(その事件をきっかけにして、正天使が勇者を生み出して魔界に攻め入らせる今の風習が出来たんだもんね。パパは天使と敵対することは禁じられてた上に、確か、当時はまだ魔族が少なくて人間界に積極的に食事に行く必要はなかったって言ってた。ってことは、当時、人間界で魔族による直接的な被害の心配なんてなかったってことだよね。それを「自分たちの功績で幽閉したおかげだ」って正天使が”ありがたいお言葉”として告げたら、天使の株は上がるし、実際に魔族からの被害はないわけだから、人間たちも信じちゃうよね)


 大好きな父が、狡猾な正天使のせいで人間たちに嫌われていることに心の中で憤慨しながら、アリアネルは周囲を見渡す。

 街を行く人々は、一万年前にあったと言う厄災など毛ほども感じられない穏やかな笑顔で平和を享受している。

 父が誤解を受けているのは悔しい限りだが、その代償が、今視界に映る人々の穏やかな営みなのだとすれば、世界のバランスを保つことを至上の命題としている魔王本人は、「些末なことだ」とあっさり言ってのけるのだろう。


「今年を逃すと、もう一緒に祭りに繰り出すことなんて出来なさそうだなって思ったんだよ」

「ぁ……そっか。来年の今頃は、卒業式も終わっちゃってるもんね」


 思い出したように口にすると、シグルトは少しだけ寂しそうな笑みを湛える。

 卒業式が終われば、生徒らはすぐに新生活の準備に入る。

 シグルトやマナリーアは王都に移り、すぐにでも聖騎士団への加入手続きを進めて、勇者パーティー候補の選出が始まるのだろう。

 

(私は……どうなってるのかな。シグルトやマナが魔界に攻めて来るまでは、お城に置いてもらえる、かな……)


 そもそもが、魔王の気まぐれで拾われた存在であることは、誰に言われるまでもなくわかっていた。

 アリアネルは魔界に人間界の知識をもたらし、最後は聖気の塊である勇者やパーティーメンバーに絶望を与えるために存在している。それが終われば、アリアネルに与えられた『役割』はなくなる。

 『役割』に対してどこまでも厳格な父のことだ。未だアリアネルの将来は、何一つ保障されていない。


(シグルトやマナと戦うことは避けられない。それが私の『役割』だから)


 今、隣で思春期の少年らしく浮足立っている無垢な彼は、人類の敵と定めて決死の覚悟で乗り込んできた先に初恋の少女の武装した姿を見たとしたら、どんな顔をするのだろうか。


「アリアネル……?」

「あ、ご、ごめん。ちょっと、卒業後のことを考えて、寂しいなぁって考えてたの」


 嘘ではない言葉で慌てて取り繕うと、シグルトは安心させるようにふわりと笑みを湛える。

 勇気を与える者――どこまでも、勇者に相応しい心根を持つ少年だ。


「アリィは、卒業したらどうするんだ?やっぱり、神殿に?」

「う、うぅん……どう、かな。王都でも、体調が万全でいられるかはわからないし……今のお屋敷に住んでいるのが一番かもしれないから、パパやゼルと相談して決めることになると思う」

「そっか。俺も、サバヒラ地方で初めて、瘴気が濃すぎて息苦しくなる感覚を知った。アリィは頻繁にあんな風になってるんだろ?そりゃ、辛いよな」

「う、うん……」


 瘴気ではなく聖気のせいで息苦しくなっているのだが、敢えて認識を正す必要はない。気まずさをごまかすように、アリアネルは綺麗に整備された石畳に視線を落とした。

 

「今日も、苦しくなったらすぐに言えよ?初日の昼間は、毎年そんなに人通りが多くないから大丈夫だと思うけど――やっぱり、人ごみの方が辛くなりやすいんだろ?」

「……今日は、元気だから、大丈夫だよ」


 少し困った顔ではぐらかす。人混みの方が、混雑に対する不快感で聖気よりも瘴気の発生が多くなる。混じり気のない聖気の塊であるシグルトと共に出かけるならば、むしろ人ごみの中の方がありがたいくらいだ。

 

「そっか。無理は絶対にするなよ。……じゃあ、まずは、表通りの方から回るか」

「うん。ありがとう。私、お祭りって初めてだから、楽しみ!」


 真実を口に出せない関係の中で、その言葉だけは、心からの気持ち。

 アリアネルは太陽のような笑顔をはじけさせて、背の高い少年と並んで軽やかな足取りで表通りへと足を向けた。

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