第199話 デート③

「はいっ、完成〜!これでどう?」

「わぁ……!」


 ぽん、と肩に手を置かれて完了宣言を受け、アリアネルは改めて感動の声を漏らす。

 アリアネルは幼い頃から、お世辞にも手先が器用とは言い難い。おしゃれと言っても、洋服を可愛くするか、せいぜい長い髪を一括りにするのが精一杯で、複雑な編み込みのヘアアレンジや、華やかな化粧などというものとは無縁の生活を送ってきた。

 しかし今、人生で初めて、“おしゃれ”の醍醐味を実感している。


「すごい……!すごいよ、マナ!」

「ふふん、そうでしょうそうでしょう。アンタは何もしなくても元がずば抜けていいのは事実だけど、その素材はもっと生かさなきゃダメよ。ちょっと手を加えるだけで、何倍も綺麗になるんだから」

「ぇ、ぇへへ……」


 鏡に映った自分の姿に、アリアネルは頬を染めてはにかむ。

 象牙色の髪を編みこみながらアップスタイルにしたヘアアレンジには、アクセントとして瞳の色に合わせたような目の覚めるような青紫のリボンが器用にあしらわれている。普段あまり露出させない項から自然に出ているおくれ毛は、少女のあどけなさと相まって少しの隙を演出しているようで若々しい。

 唇に乗せたのは、若者たちの間で流行している桜色の艶やかなリップ。ぷっくりと膨れた花弁のようなそれは、少女の愛らしさを際立たせるようだった。

 化粧の色味は、淡い暖色でまとめ上げられており、春の訪れを予感させる。年ごろの少女らしく、おしゃれに関心が高いマナリーアの技術は、アリアネルには逆立ちしても再現できそうになかった。


 頬を上気させて感嘆のため息を漏らしているアリアネルの横顔に、ふと妙な既視感を覚え、マナリーアは半眼でツッコミを入れる。


「ちょっと。まさか、せっかくデートのためにおしゃれしたのに、“パパ”に見てほしいな〜とか思ってるんじゃないでしょうね!?」

「えっ!?だめ!?」

「だめじゃないけど――もう!今日はシグルトとデートでしょ!」


 鏡を見つめるうっとりとした横顔は、いつものファザコンを炸裂させているときのそれだった。嫌な予感は的中したらしい。

 アリアネルが普段ベタ褒めしている“パパ”がどれほど少女の心を捉えているかは知っているつもりだが、今日ばかりは勇気を出した少年を見てあげてほしい。そうでなければ、大事な幼馴染が、報われないではないか。

 

「そ、それは勿論そうだけど……でも、シグルトはお友達だし……」

「いいのよ、お友達でも。デートはデートでしょ」

「で、デートって、言うのかなぁ……?」

「いいのよ!こういうのは、言ったもの勝ちなんだから!」


 ふん、と鼻息荒く拳を握って言い切る少女が可笑しくて、アリアネルは思わず声を漏らして笑ってしまう。


「シグルトと二人きりで街に出かけるのなんて、初めてじゃない?楽しんでくるのよ。楽しい思い出、いっぱい作ってきなさいね」

「う、うん……」


 ぽんぽん、と両肩に何度も手を置かれて念押しされ、アリアネルは複雑な顔で頷く。


「どうしたの?」

「ぅ……あの……マナは、よかったの?」


 おずおずと、鏡越しに伺うようにそっと視線を投げる。

 マナリーアは、驚いたように二つ、若草色の瞳を瞬いた。


「シグルトと仲がいいのは、マナでしょ?私なんかよりずっと……その……」


 言葉に迷って、歯切れが悪くなる。

 二人は憎まれ口や軽口の応酬を繰り返していても、何度も共に作戦行動に随行していることもあり、戦場でも学園でも常に息がぴったりの連携を見せる。

 それは学園に入学する前からの”腐れ縁”だからだ――と互いに口を揃えているが、アリアネルは、二人の間にある空気に、ただそれだけでは形容しがたい何かがあるような気がしていた。

 その気配を感じるのはいつも、ふとした瞬間――マナリーアの小悪魔的な笑顔にふっと過る、切ない影を見たとき。

 シグルトを見つめるその瞳は、言葉にすることは難しいが、ただの”腐れ縁”というよりも、もっと――


「――いいのよ。あたしは」


 ふっ、と吐息に紛れるような笑みをこぼして、マナリーアはきっぱりと言い切る。


「でも――」

「あたしは、治天使様の加護を持ってるもの。絶対に、魔界侵攻のパーティに選ばれるわ」


 そ……とアリアネルの肩に置いた手が撫でるように動く。


「治天使様の加護を持った人間が、勇者と同じ年齢だなんて、前代未聞じゃないかしら。きっと、来年、学園を卒業したらすぐに魔界侵攻作戦が始まるわ。準備が出来次第、あたしとシグルトは、たくさんの腕利きの聖騎士を引き連れて、神殿の地下に据えられた魔界の入り口から、死地へ赴く」

「地下……」

「知らない?魔界が地の底にあるって言われてるのは、その昔、造物主が人間に与えた魔界侵攻のための門が神殿の地下にあるからなのよ」


 おそらくそれは、選択授業で勇者クラスを選択した者たちにとっては常識だったのだろう。マナリーアは警戒するでもなく、あっさりと教えてくれた。

 

「魔界は、太陽が存在しない薄暗くて寒い場所だって言うわ。過去、勇者パーティーに選ばれたメンバーのうち、大怪我をしながらも命からがら戻ってきた者は何人かいるけれど――不思議よね。勇者だけは、歴代の誰一人、戻ってこないのよ。そういう資質がないと勇者になれないのかもしれないけど」


 小馬鹿にするように軽く肩を竦めて言うマナリーアに、アリアネルはぎゅっと見えない角度で服の裾を握る。


 魔王の言葉が正しいならば、勇者パーティーが魔界へと赴く直前の儀式として”神託”を下される場で、正天使によって”魂の選択”が成されている可能性が高い。

 眷属として天界に迎え入れるに相応しい清らかな魂を持った者にだけ”寵愛”を与え、『命が尽きるまで決して人間界に戻るな』と厳命され、魔界へと送り出される。

 勇者は、正天使の加護がついた存在だ。パーティー内でも最も清らかな魂を持つであろう彼らが、過去、今まで一人も帰ってきていないのも、当然だった。

 決してそれは、人類を救うという責任感のためではない。――死の恐怖すら凌駕する強制力で命じられたせいなのだ。


「――でも」


 静かに息を吸って言葉を続けたとき、マナリーアの瞳に、既に茶化すような光はなかった。

 

「シグルトは、歴史上初めて、戻ってくる勇者になるわ」

「マナ……」

「だって、あたしが、命を賭して、守るんだもの」


 強い言葉に、アリアネルの心臓がドキン……と跳ねる。

 凄絶な横顔は、齢十四の少女とは思えぬほどの凄みを伴っていた。


「あたしは、シグルトを置いて戻ってくることなんてない。もしもシグルトが魔界で死ぬなら、あたしも一緒よ」


 治天使の気まぐれによって、マナリーアにはたった一つだけ、”切り札”がある。

 例えシグルトが息絶えたとしても、己の命を引き換えにして少年の命を現世へと呼び戻す、”切り札”。


「だから、いいの。あたしの人生最後の瞬間は、絶対に、シグルトの隣だって、わかってるから」


 寒くて、暗い、敵地のど真ん中――

 太陽の光さえ届かないその恐ろしい世界で、瞳を閉じる最期に見るのは、愛しい金髪の勇者の姿だろう。


「それがわかってるから――シグルトには、『絶対に人間界に帰らなきゃ』って思うくらい、沢山の思い出をここで作ってほしい。……いいのよ。あの底抜けのお人よしは、自分を守って魔界で息絶えた幼馴染のことを忘れられるような人間じゃないって、わかってるもの。きっと一生、ずっと、ずっと、死ぬまであたしのこと、覚えててくれるわ」


 シグルトは本当に、勇者と呼ばれるに相応しい資質の青年だから。

 マナリーアが己の命と引き換えに自分を現世に呼び戻したとあれば、きっとずっと、幼馴染の死を悔やみ、悼み続けるだろう。

 

 彼の恋愛対象にならなくてもいい。生涯を添い遂げられなくていい。

 もし彼が生きて戻って、初恋を実らせてアリアネルと生涯を共にしたとしても――その幸せの裏にマナリーアの尊い犠牲があったなら、生涯折に触れて、魔界の底に置いてきた幼馴染を思い出すことだろう。


「デートなんてしなくてもいいわ。あたしとの間に、特別な思い出なんていらないのよ。あたしは、シグルトが背中を預けられる一番の相棒になれればいい。――この『役割』だけは、絶対に、誰にも脅かせないから」


 戦闘力だけならシグルトにも劣らぬアリアネルでさえも、それだけは叶わない。

 どれだけシグルトの愛を一身に受けようと――彼が命をかけた死闘に挑むとき、背中を預けるのは、他でもないマナリーアなのだ。


 あぁ、それは、どんなに素晴らしいことだろう。


 世界で一番愛しい人の、誰より一番特別な存在。


「だから、せいぜい楽しんできて、アリィ。シグルトが、魔界で死にそうになった時に『アリィが待ってるんだ!』って火事場の馬鹿力を出して、戻りたくなるくらい、とびっきり楽しい思い出を作ってあげてほしいのよ」

「マナリーア……」


 ぽん、ともう一度肩に手を置いて、柔らかく微笑まれては、それ以上何も言えない。

 アリアネルは、どこか吹っ切れた様子の友人を前に、憂いを帯びた顔を返すしか出来なかった。

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