第205話 人形劇④
群青の透き通るような瞳が、驚いたように大きく見開かれる。
アリアネルは、ぎゅっと唇をかみしめた後、伸ばされていたシグルトの袖を握り、縋るように言い募った。
「シグルトは、好きで勇者になったわけじゃないんでしょう?正天使が、勝手にシグルトを選んで、役割を押し付けて、逃げることさえ許さず、死地へ向かわせようとしてるだけ――!シグルトは、巻き込まれただけじゃない」
「アリアネル……」
「シグルトは、凄いよ。昔目の前に現れた正天使に、違和感を感じていても、家族に辛く当たられることがあっても、『自分の役目だから』って言って、勇者の責任を全うしようとしてる――見たこともない世界の人たちのために、犠牲になってくれって言われても、引き受けちゃうくらい、責任感が強くて、魂が綺麗で、だから勇者に相応しくて――でも!」
そこに、一体どれくらいシグルト本人の意思が反映されているのだろうか。
尊敬している。自分には真似出来ないと思う。
だが、超越者によって与えられた『役割』に忠実に生きるあまり、己の幸も不幸も関係ないと斬り捨て、孤独に道を突き進む様は、まるで――まるで、よく知る誰かの背中を、見ているようで。
「でも、シグルトのことを大切に想っている皆の気持ちは、どうなるの……!?」
「アリィ……」
「確かに、人間にとって魔族は怖いかもしれない。理不尽に命を奪われて、不幸に巻き込まれるのを何とかしたいっていう気持ちはわかる。一万年も続いた、勇者と魔王の戦いの歴史も、脆弱な人間が未知の存在に翻弄されてきた苦しみも、ちゃんとわかってるつもりだよ。でも――でも!」
ぎゅっと少年の服を掴んで、必死に思いのたけをぶつける。
与えられた無情な『役割』を胸に義務感だけで足を進められるような人間離れした存在に、生きた言葉を届けることが、アリアネルの『役割』だと思うから。
「シグルトに死んでほしくないって思ってる人も、いるんだよ……!帰ってきてほしいって思ってる人が、たくさんいる。生きて、幸せになって、お爺ちゃんになるまで笑っててほしいって思う人が、いるんだよ!」
脳裏に浮かぶのは、今朝、アリアネルを着飾るのを手伝いながら鏡越しに笑んだ美少女。
若草色の柔らかな瞳を緩めて、己の命を賭して愛しい男を守る、凄絶な覚悟を決めた、哀しい微笑。
「心配するな、なんて言わないで……心配、するに決まってるよ。いつだってシグルトは百点満点の答えをくれるけれど、それで安心する人ばかりじゃないって、ちゃんと知っておいて!」
きっと、マナリーアは絶対にその胸の内を明らかにしない。
誰よりシグルトのことを理解しているからこそ、それを告げても意味がないと思っているのだろう。
だから、これはアリアネルのおせっかいだ。
「シグルトは、もっと我儘になっていいんだよ。優等生な答えばっかりじゃなくて、もっと生きることに貪欲になって――もっと、もっと、周りを見てほしい。”勇者”じゃなくてもいい。ただの”シグルト”を大切に想っている人は、いっぱいいるの!」
アリアネルは、必死に言葉を重ねる。
「だから、もっと真剣に考えてほしい。マナリーアとだって、もっとちゃんと、本音を話し合って――……シグルト?」
唾を飛ばす勢いで訴えていた言葉を切って、はたと首をかしげる。
距離を詰めて言い募るアリアネルから顔を隠すように背けたシグルトは、何故か耳まで火がついたように真っ赤だ。
「どうしたの?」
「っ、いや……その……ちょっと、待ってくれ。心臓が爆発しそうだから……」
「?」
手でこちらを制すように言われて、疑問符を上げる。
「本当にわかってる?」
「わ、わかった、わかってる!ただ、その……ちょっと、予想外で――」
「予想外?」
「俺、アリィがそんな風に思ってくれてるなんて、全然思ってなくて――むしろ、全然眼中にないと思われてそうというか……」
「?」
頭から湯気を出しそうな勢いで、色白の肌を真っ赤に染め上げて照れているらしい少年に、アリアネルは再び首をかしげる。
「きっと、マナも素直になれないだけで、本当は同じことを思ってるんだからね!」
「なんでそこでマナが出て来るのかわかんねぇけど……うん。わかった」
「?」
徹頭徹尾マナリーアの話しかしていないのに、シグルトの発言はよくわからない。
「お、俺――あ、でも、今言うのはアレか……もっと、ちゃんと、責任取れるようになってから――」
「シグルト?」
何やら真っ赤な顔でぶつぶつと口の中で呟いている少年に、怪訝な顔を返す。
「そのっ……だ、大丈夫だ!俺、ちゃんと――その、こう見えても、男だし」
「……ぅん?」
「俺だって、本当は、魔界から戻って来て、け、結婚したいとかそういう欲もちゃんとあるっていうか――」
「?……うん」
それは何よりだ。華々しく勇者としての名誉を手にして死ぬことを美徳だと思うような男でなくてよかった。
ぜひともその調子で、マナリーアと手に手を取って魔界から戻って結婚するのだと一念発起してほしい。
「い、今はまだ、立場もあるし、無責任なことは言えないけど――でも、本気で考えてる!いつか、絶対、ちゃんと言うから――ま、待っててほしい!」
「?……う、うん……?」
”優等生”な回答を撤回するにも、体面があると言うことだろうか。アリアネルは、よくわからないながらも、少女の小さな手を握って力強く言い切るシグルトの真剣な表情に、思わず頷いてしまう。
哀しいすれ違いが生じているなど互いに気づかぬまま、ある種幸せな誤解を解かぬままに、生まれて初めての”デート”は幕を下ろしたのだった。
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